第17話

 花屋「ブルーメ」から慌てて飛び出したヴェルナーはしばらく走った後、呼吸を整えながら走る速度を落としていった。


「俺は一体何を……っ!」


 思わずアンの店を飛び出してしまったが、深呼吸して落ち着いてみると、自分の挙動不審な行動に頭を抱えたくなる。


 呼吸が整ってもヴェルナーの顔は赤いままで、心臓の鼓動もずっと速い。


(アンちゃんのあんな笑顔を見せられたら、誰だってこうなるよな……)


 王都の外れにある花屋の評判を聞き、冷やかしのつもりでアンの店を訪れたヴェルナーは、生き生きと元気に一人で店を切り盛りしているアンに一目惚れしてしまったのだ。


 アンに会うために、姉へのプレゼントという口実を作って何度も店に足を運んでいたヴェルナーだったが、何となくアンから一線を引かれているような気がしていた。

 だがそれが勘違いの所為だと判明し、誤解が解けたことでアンとの距離がぐっと縮まって、あまつさえ彼女の自然な笑顔を見ることが出来た。


(これからはもっとアンちゃんの笑顔が見られるかな……)


 ヴェルナーはアンから貰った袋からプレッツヒェンを取り出し、口の中に放り込む。


 バターと砂糖が焼けた香ばしさと、クラテールの爽やかな風味が溶け合ったプレッツヒェンは、絶妙な甘さと歯ごたえで、今まで食べたどのお菓子よりも美味しかった。


 ヴェルナーは、プレッツヒェンのあまりの美味しさに、思わず全て食べてしまいたい衝動に駆られたものの、アンとの約束は守らねばならないと我慢する。


 そしてヴェルナーはアンの笑顔を思い出し、その笑顔を少しでも忘れないようにプレッツヒェンの袋と花束を大事に抱え直すと、妹が待つ家へと軽い足取りで向かう。


 ──その姿は、まるで大切な宝物を手に入れた少年のようであった。






 * * * * * *






 アンの魔法が<再生>だと知ったジギスヴァルトとヘルムフリートは、騎士団長の執務室でアンの処遇と今後のことを相談していた。

 人払いがされた部屋にはヘルムフリートにより防音の魔法がかけられている。


「アンさんが持つ属性については出来るだけ知られないようにしないといけないね。取り敢えず報告するのは陛下と宰相閣下かな」


「……うむ。……しかしアンを取り込もうとしたり、軟禁しようとしたりしないだろうか」


 アンの持つ力は誰もが欲しがる希少なものだ。もし強欲な権力者がアンの存在を知れば、どんな酷い扱いを受けるか容易に想像できる。


「……アンさんはフロレンティーナの恩人でもあるから、軟禁なんてことはしないと思うよ」


 アンが育てたマイグレックヒェンがなければ、フロレンティーナは命を落としていただろう。しかもアンは同じ病気に苦しむ人々を救える唯一の人間でもあるのだ。


(……まあ、婚姻という取り込みはあるかも知れないけど)


 ジギスヴァルトのアンへの想いを知れば、国王と宰相は身分など関係なく二人に婚姻を結ばせようとするだろう。


 しかし、ヘルムフリートは二人にそのことを伝えるつもりはなかった。

 何故なら、ようやく初恋を迎えた親友にその想いを、恋心を誰にも干渉されること無く、大切に育んで欲しいと思ったからだ。


「それでもアンさんの守りは固めないとね。……だけど店の周りを警備する訳にいかないから、一先ず防犯の魔道具を設置させて貰おうよ」


 アンの店は王都の端にあり、馬を急がせたとしても到着までに三十分はかかる。しかし防犯の魔道具は侵入者を知らせるためのもので、対象者を守るものではないので気休めにしかならないだろう。


「後は俺と同じように身体防御の術式を掛けることかな」


「その術式を指輪か首飾りに刻印することは可能か?」


「……いや、そりゃ出来るけど、指輪か首飾りって……」


「それは俺が用意する。アンには世話になっているからな」


「……えっ?! お前がっ?!」


 ヘルムフリートはジギスヴァルトの提案に驚いた。まさか贈り物にアクセサリーを選ぼうとするとは、今までのジギスヴァルトからは想像もつかなかったのだ。


「うむ。何を贈るかは俺が決める」


 ジギスヴァルトはどうしてもアンに何かを贈りたいらしい。それが馬車からアクセサリーへと変化したところに、彼の成長が窺える。


「わかった! 術式を刻む素材はジギスヴァルトに任せるよ! 楽しみにしてる!」


「む? 何故お前が楽しみにするのかわからんが……。ああ、そろそろアンの店へ行く時間だな」


「ははは。フロレンティーナがわがままを言ってすまないね。でもジギスヴァルトに頼んで本当にいいの? 忙しかったら他の人間に頼むけど?」


「……いや、構わない。アンの店には俺が行く」


 ジギスヴァルトの言葉にヘルムフリートは「そう? 悪いなぁ」と言ってほくそ笑む。


 フロレンティーナがこれからもアンの花束を部屋に飾りたい、と言っているのは本当だが、常識的に考えて花束の注文は王国騎士団団長の仕事ではない。

 しかしヘルムフリートはフロレンティーナと協力し合い、ジギスヴァルトにわざわざおつかいを頼んだのだ。……全ては幼馴染の初恋を応援するために。


「うん! いってらっしゃい! アンさんによろしくね!」


 騎士団の団舎前でヘルムフリートと別れたジギスヴァルトは、待機させていた馬車に乗り込み、アンの店へと向かわせる。


 馬車の窓から外の景色を眺めていたジギスヴァルトは、アンの店を初めて訪れた時のことを思い出していた。





 ──3ヶ月前。


 フロレンティーナが難病に罹ったと聞かされたジギスヴァルトは『彼女を元気付けたい』と言うヘルムフリートの代わりに、贈り物を用意することになった。


 当のヘルムフリートは特効薬の開発に専念していて、研究室から出ない日がしばらく続いており、時間が出来ればフロレンティーナの面会に訪れていたため、贈り物を買いに行く余裕が全く無かったのだ。


 ジギスヴァルトが贈り物について悩んでいた時、偶然騎士団員達の会話を耳にする。その内容は、”姉に花束を贈ったらすごく喜んだ”、というものであった。


(……む。花束か……全く考えていなかったな……)


 その情報は、綺麗な物好きのフロレンティーナが喜ぶような贈り物を全く思い付かなかったジギスヴァルトに、大いなるヒントを与えてくれた。


 しかしその後すぐ、国境近くの大森林に強力な魔物が現れたと報告を受けたジギスヴァルトは、急遽遠征することになってしまう。


 魔物はS級ランクのグリフィンで、鷲の上半身に獅子の下半身の姿をした強力な魔獣だ。空の支配者と呼ばれるグリフィンは多数の国の騎士団を幾つも全滅させたと聞く。


 今回のグリフィン討伐に、精鋭と讃えられている騎士団員達も流石に死を覚悟した。

 しかしジギスヴァルトによる活躍で、獰猛な肉食獣であるグリフィンの討伐に成功する。しかもS級魔物の討伐で死者が一人も出なかったのは奇跡に近いだろう。


 そうして事後処理を終わらせ、討伐完了の報告するために王宮へ向かう馬車の中で、ジギスヴァルトは疲れを癒やしながら移りゆく景色を眺めていた。


 アレリード王国は所謂工業国で、人々に活気はあるものの、丈夫さを重視した石造りの建物が並ぶ街並みはどことなく殺風景で、ジギスヴァルトの目に世界はいつも灰色に見えていたのだ。


 馬車が王都入りし、もうすぐ王宮に到着すると思ったその時、灰色しか映していなかったジギスヴァルトの目に、突然色鮮やかな景色が飛び込んできた。


 ジギスヴァルトの目に止まったのは『ブルーメ』と看板を掲げている花屋で、小さい店のその一画が、まるで別世界のように色彩豊かに見えたのだ。


「馬車を停めてくれ」


 咄嗟に御者に声を掛け、馬車を停止させたジギスヴァルトは、まるで吸い込まれるかのように花屋へと向かった。


 ジギスヴァルトがドアを開けると、ドアベルの乾いた音が鳴り響き、店員らしき少女が「いらっしゃいませ!」と元気よく出迎えてくれる。


 少女の花が咲くような笑顔を見た瞬間、今まで灰色に見えた世界が、鮮やかに色付いていく。


 ──それは、ジギスヴァルトが生まれて初めて経験する感覚であった。





(……今思えば、あの時の感覚はアンに一目惚れしたからだったのか)


 ヘルムフリートに指摘されたジギスヴァルトは、ようやく自分がアンを好きなのだと自覚することが出来た。

 今まで恋愛経験が無いからといって、気付くのが遅すぎだろうと自分でも思う。


 ──馬車から降りたジギスヴァルトは、グリフォン討伐の時よりも緊張した面持ちで、アンの店の扉を開いたのだった。

 



* * * * * *



お読みいただきありがとうございました!(*´艸`*)


更新が停滞していてすみません!このお話も随分前に出来ていたのですがタイミング逃してました。_(┐「ε:)_

これからちょくちょく更新するつもりなので、お付き合いいただけたら嬉しいです!


ちなみに後1話で終わるつもりでしたが、もう少し続きそうです。(通常運転)

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