第16話
──ジルさんとヘルムフリートさんが来て、私の水魔法の効果がわかった日から一週間が経った。
だからと言って私の生活は変わることなく、相変わらず花屋の朝は早い。
ベッドから降りた私は顔を洗い、動きやすい服にさっと着替えると、一階にあるキッチンへと向かう。
そして軽く朝食を摂ると温室へ向かい、お店で売る分の花を収穫した。
私は花を水揚げしている間に、ヘルムフリートさんから依頼された仕事である、マイグレックヒェンの様子を確認する。
(……うん。今回の球根も元気に育ってる!)
黄色っぽい緑色の蕾をつけたマイグレックヒェンが、丸い白い花を鈴なりに咲かせる姿を思い出して笑みが溢れる。
紫色のマイグレックヒェンも可愛かったけれど、やっぱり本来の色である白色のマイグレックヒェンは「純潔、純粋、幸福」の花言葉がぴったりだと思う。
この鉢ももうすぐヘルムフリートさんに渡すことが出来そうだ。
(あ! 今日はジルさんが店に顔を出してくれる日だ!)
ジルさんはフロレンティーナ王女殿下が元気になってからも、変わらずに花束を買いに来てくれる。
フロレンティーナ王女殿下は私の店の花をとても気に入ってくれているらしく、部屋に飾るための花を注文してくれているのだ。
花の注文ならお城の使用人さんでも良いんじゃないかと思うけれど、忙しいはずの騎士団長が何故か毎週自ら足を運んでくれている。
(ジルさんのご尊顔を拝する事が出来るのはすごく嬉しいけれど……)
私はわざわざ来てくれるジルさんの、疲れが取れるようなものはないかと考える。
今温室にあるクラテールで疲労回復に使えそうなのは、ローズマリンかハーゲブッテだろう。
それらのクラテールをお茶にしてイングヴェアを足して、ホーニッヒで甘さを加えればきっと飲みやすいクロイターティになるはず……と頭の中で考え、ついでに収穫しておく。
(そうだ、クラテールのプレッツヒェンも作ろう! ジルさんもまた食べたいって言ってくれていたし)
プレッツヒェンを作ろうと決めた私は、さっさと生地の準備をすることにする。
(クロイターティにローズマリンを使うから、プレッツヒェンもローズマリン入りにしよう!)
私はローズマリンの葉を茎からしごくように取ると、包丁で刻みプレッツヒェンの生地と混ぜ合わせる。
生地をまとめた後は、氷属性が付与された魔導庫に入れてしばらく寝かせておく。
そうして生地を寝かしている間に水揚げした花をお店に並べ、開店準備を急いで終わらせてキッチンに戻った私は、魔導庫から寝かせていた生地を取り出すと、型抜きをして鉄板に並べ、温めておいた魔導オーブンに入れる。
焦げないように見守りながら、プレッツヒェン作りに使った道具を片付けていると、甘くて香ばしい香りが部屋中に広がっていく。
丁度いい焼き目がついたタイミングで魔導オーブンを止め、扉を開ける。
ちなみに鉄板はすぐ取り出さず、余分な熱が冷めるまでそのままにしておく。そうすることで予熱がプレッツヒェンを乾燥させ、サクサクになるのだ。
(うーん、我ながら良い出来! 多めに焼いたし、残ったら持って帰ってもらおうかな)
私は味見のために冷めたてのプレッツヒェンをかじってみる。
サクサクとした歯ごたえとホロホロとした口溶けに、ローズマリンの香りが相俟って幾つでも食べられそうだ。
ついついプレッツヒェンを堪能していると、結構な時間となっていた。
急遽プレッツヒェンを作ることにしたので、開店時間が押し迫っていたのだ。
(もうこんな時間! 美味しくてつい夢中になっちゃった……!)
慌ててお店に戻り、ギリギリ開店に間に合ったと同時に、見知った人が来店する。
「アンちゃんおはよう! 今日も可愛いね!」
「……いらっしゃいませ。今日はお仕事お休みなのですか?」
意外なことに、朝一番お店にやって来たのはヴェルナーさんだった。
いつも通りにこにこと笑顔を浮かべているけれど、何となく疲れて見えるのは……気のせいだろうか。
「そうなんだよ。今日は久しぶりの非番なんだ」
(なるほど。久しぶりのお休みだから朝早くデートなんだ。なかなかのラブラブっぷりだなぁ)
「今騎士団の方は忙しいのですか? お疲れのように見えますけど……」
「え……そう見えちゃう? 目聡いなぁ。アンちゃんにはいつも格好良い姿を見せたかったのに」
「ええ……。今からデートに行く人がそんな事を言っちゃ駄目ですよ」
「デート? 誰が?」
「え? 今から花束を持ってデートに行かれるんじゃ……?」
「違う違う! 今日は妹の誕生日なんだ! だからお祝いに花束を贈ろうと思ってたんだけど……。もしかして今までもそう思ってた?」
「あ……はい。ずっと彼女さんへの贈り物かと……」
「うわ〜〜! そっか……! 普通はそう思うのか……。俺、姉弟が多くてさ。姉ちゃん達の誕生日祝いに花束をお願いしていたんだよ」
「えっ……! そうだったんですか……? だからいつも雰囲気が違う花束を……?」
「そうなんだ。うちって姉弟でもそれぞれタイプが違うんだよね」
私はヴェルナーさんから聞いた事実に衝撃を受ける。
(まさかずっと勘違いしていたなんて……!)
複数の彼女がいると思っていたヴェルナーさんは、実は姉弟思いの優しい人だった。
私は勝手な思い込みで彼を不誠実な人だと思っていた自分を、すごく情けなくて恥ずかしく思う。
「す、すみません……! 本当にすみません……! 私、勝手に勘違いしていました! ヴェルナーさん格好良いから、彼女さんもたくさんいるのかなって……!」
「えっ?! か、格好良い? ホント? アンちゃんがそう思ってくれるなら嬉しいな!」
「嘘じゃないです! お世辞でそんなことは言いません!」
実際、ヴェルナーさんの顔は整っているし、格好良いと思う。しかも老若男女憧れの騎士団員だし、かなりモテるのではないだろうか。
「あっ! そうだ! 妹さんのお誕生日なんですよね? 花束はどうされますか?」
すっかり本題を忘れかけていたけれど、ヴェルナーさんは妹さんの花束を買いに来てくれたのだ。勘違いのお詫びも兼ねて、とびきり素敵な花束を作ろうと思う。
「あ、そうだね。えっと、じゃあ可愛い感じでお願いしようかな」
「はい! 少々お待ち下さいね」
私は八重咲きのトゥルペ、大輪のローゼとクリュザンテーメ、ガーベラにブプレリウムとヴィッケなど、お店に並んでいる花の中から厳選して花束を作る。
可愛い色合いながらも高級感が漂う、華やかな花束だ。
「うわぁ! すごく可愛いね! これならフィーネも喜ぶよ! アンちゃん有難う!」
私の渾身の花束をヴェルナーさんはとても喜んでくれた。妹さんも喜んでくれたら、と思ったところでふとあることを思いつく。
「気に入って貰えて嬉しいです。あの、ヴェルナーさんは今少しだけお時間ありますか?」
「え? うん、そんなに急がなくても大丈夫だけど?」
「じゃあ、すみませんが少しお待ちいただけますか?」
私はヴェルナーさんが「え、いいけど……?」と、了承すると同時にキッチンへと向かい、焼いたプレッツヒェンを数個袋に入れる。
そしてリボンを掛けて可愛くラッピングすると、急いでお店に戻った。
「すみません、これ! さっき焼いたプレッツヒェンなんですけど、良かったらフィーネさんと一緒に召し上がって下さい」
プレッツヒェンが入った袋を差し出すと、ヴェルナーさんはとても嬉しそうに笑う。
「えっ! いいの!? アンちゃん有難う! もしかしてこれ手作り?」
「はい、さっき作ったところなんです。疲れが取れるクラテールのローズマリンが入っていますから、ヴェルナーさんにもぴったりかと思って」
「……すごく嬉しい。フィーネと分けるのが勿体ないよ」
「ふふっ、独り占めは駄目ですよ。ちゃんと二人で食べてくださいね」
思わず笑みが溢れてしまった私を見たヴェルナーさんが、驚きの表情を浮かべている。そして「アンちゃん……あのさ……」と言いかけたところに、お客さんが入ってきた。
「おう、アンちゃんおはようさん! お、先客か?」
「あ、ロルフさんおはようございます! 少々お待ち下さいね! ヴェルナーさん、すみません。今何か言い掛けてましたよね?」
話の続きを聞こうと思ったけれど、ヴェルナーさんは「気にしないで! プレッツヒェン有難う! また来るから!」と言って慌ててお店から出て行ってしまった。
……大丈夫だとは言っていたけれど、やっぱり時間が無かったのかもしれない。
ヴェルナーさんに悪いことをしたなぁと反省しつつ、私は仕事を頑張るのだった。
* * * * * *
お読みいただきありがとうございました!(*´꒳`*)
❀名前解説❀(復習も兼ねてます)
クラテール→ハーブ
ローズマリン→ローズマリー
ハーゲブッテ→ローズヒップ
イングヴェア→生姜
ホーニッヒ→はちみつ
クロイターティ→ハーブティー
トゥルペ→チューリップ
ローゼ→バラ
クリュザンテーメ→菊
ヴィッケ→スイートピー
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