第15話

 球根の検査結果を見たジルさんとヘルムフリートさんが、真剣な顔をして話し合っている。


(そんなに難しい結果が出たのかな……?)


 検査結果にソワソワしていると、ヘルムフリートさんが困ったような、苦笑いを浮かべながら説明してくれた。


「えっとね、検査結果なんだけど、結論から言うとアンさんの魔法で出した水には<浄化>に近い<治癒>の効果があるみたいなんだ」


「……はい?」


「毒がある球根は長い間瘴気に侵されていたからか、遺伝情報が変異していたよ。人間で言うと病気になりやすい感じかな? アンさんの魔法は瘴気によって変質してしまった遺伝情報を、元の状態に治療したということになるね。恐らくアンさんのお店の花が色鮮やかで、花持ちが良いのも同じ理由だと思う」


 全ての生き物は遺伝情報を持っていて、その中はまるで設計図のようになっているのだそうだ。

 そんな生命の設計図が瘴気にあてられて変異してしまったから、マイグレックヒェンは毒を持つようになり、他の花も弱まって色褪せてしまった、というのがヘルムフリートさんの出した答えらしい。


「アンのおかげで文献通り、本来のマイグレックヒェンに薬の効果を発揮する成分が含まれていると実証された。色も本当は紫ではなく白だったんだ」


「まさか変異したせいで薬が毒に変わっていたなんて思わなくてね。球根を買い占めたのは無駄だったのかと焦ったよ」


 ヘルムフリートさんはマイグレックヒェンを薬として使用したと書かれた文献を見付けたものの、実際のマイグレックヒェンに毒があったため、薬の開発に行き詰まっていたという。

 昔は今ほど瘴気が溢れていなかったから、人々は薬としてマイグレックヒェンを使用出来ていたのだろう。


「まさかマイグレックヒェンを買い占めていたのがヘルムフリートさんだったなんて……世間は狭いですね」


 私は商業ギルドで聞いた話を思い出していた。

 あの時は球根を買い占めていたのが不思議だったけれど、研究のためだったのだと納得する。


「そうそう、フロレンティーナと同じ病に苦しむ人達のために、もっと薬を量産したいんだ。それで相談なんだけど、その残った球根をアンさんに育てて貰いたいんだ。……どうかな? もちろん報酬はお支払いするよ」


「そんな、報酬だなんて……」


 マイグレックヒェンを育てるぐらいそんなに手間ではないし、人のためになるのであればと、報酬を辞退しようと思った私にジルさんが待ったをかける。


「いや、報酬は受け取った方が良い。植物の栽培はアンが今まで培ってきた立派な技術で、その技術は無償で提供するものではないだろう?」


 私はジルさんの言葉を聞いて確かに、と思う。


「……わかりました。では正式に仕事としてお受けします」


「良かった! じゃあまた後日詳細を決めよう」


「はい。よろしくお願いします!」


(お仕事だもんね。朝昼晩と鉢の様子を見なくっちゃ……! よし、頑張ろう!)


 仕事として請け負ったのなら、報酬を貰う以上責任が発生する。これからは気を引き締めてマイグレックヒェンを管理しなければならないのだ。

 私はグッと拳を握って気合を入れる。


「……くっ。…………アン、そんなに気負わなくて大丈夫だ。今まで通り育ててくれて構わない」


 私の気合が顔に出ていたのだろう、ジルさんが堪らないといった感じで笑みを溢した。


「……っ! 笑うなんてヒドイです! 私は仕事を頑張ろうと思って……!」


 気合を入れているところを見られているとは思わなかった私は、恥ずかしいのを隠すようにジルさんへ抗議する。だけど、自分でもわかるほど熱を帯びて真っ赤になった顔に、迫力なんて全く無い。

 ジルさんはそれすら面白かったようで、声を出して笑い出した。


「ははは! いつもアンが真剣に仕事に取り組んでいるのはわかっている。アンが可愛くてつい笑ってしまった。不快にさせたのなら申し訳ない」


「……っ?! か、かわ……!! え、ええ〜〜〜!?」


 私はジルさんから放たれた強力な一言に撃沈する。しかも初めて声を出して笑っているジルさんの姿に、赤い顔が更に真っ赤になるし、心臓は痛いほどドキドキしているしで気絶してしまいそうになる。


「…………僕は一体何を見せられているんだろう……。あーあ。フロレンティーナに会いたくなってきちゃった……」


 私達の様子を見て絶句していたヘルムフリートさんが、遠い目をしながら寂しそうに呟いている。


「……む。お前もようやく俺の気持ちが理解できたか」


「まさかジギスヴァルトにあてられる日が来るとは思わなかったよ……。人生何があるかわからないものだね」


 ジルさんとヘルムフリートさんが軽口を叩きあっている。お互い遠慮する必要がないほど仲が良くて羨ましい。


 それから、二人はもう遅いからと言って帰る準備を始め、また改めて店に来ると言って帰って行った。

 ちなみに私の魔法に<浄化>と<治癒>の効果があることは他言無用らしい。


 私は二人を見送った後、温室に戻ってぼんやりと考える。


(まさか私の水魔法に<治癒>の効果があったなんて……。ジルさんたちに言われなかったらずっと知らないままだったんだろうな……)


 私のこの力が誰かを救う力になるのならとても嬉しいし、もっと役に立ちたいと思った。





 * * * * * *





 帰路につく馬車の中で、ジギスヴァルトとヘルムフリートが困惑した表情を浮かべている。

 先程まではアンの手前平静を装っていたが、発覚した驚愕の事実に、お互い動揺を隠すのが精一杯だったのだ。


「……ジギスヴァルトはどう思う?」


「む。それは俺よりお前の方が詳しいだろう」


「いや、そうなんだけどさ……アンさんの魔法は俺の知識の範疇? っていうか、常識を超えちゃっているんだよねぇ」


「うむ。アンには<浄化>に近い<治癒>と言ったものの、実際は<再生>だからな。俺でもその特異性はわかる」


 ジギスヴァルトの言葉の通り、アンが魔法で出した水には<再生>の力があった。

 しかし本人にそのまま真実を告げる訳にも行かず、ジギスヴァルトとヘルムフリートはアンに<浄化>に近い<治癒>と説明するしか無かったのだ。


「<浄化>はともかく<治癒>で遺伝情報が治る訳ないしねぇ。<再生>以外説明がつかないよねぇ」


 <治癒>で治せるのは精々怪我や病気までだ。生物の持つ遺伝情報のような生体構造の根源となる領域にその効果は及ばない。


 しかしアンの魔法は損壊した遺伝情報を修復し、失われた情報を再現したのだ。いくら強力な<治癒>でも、欠損したものを治すことは出来ない。それは失った腕を元に戻せないのと同じことだ。


 だけどアンの魔法なら──<再生>であれば、遺伝情報を再現したように、欠損した身体部分も元に戻せる可能性がある。


 ──その事実は、アンの魔法が、その存在がこの世界に大きな影響を及ぼすことを意味する。


「だけど、こんな情報を漏らすわけにはいかないからね。アンさんには悪いけど、頃合いを見計らって本当のことを伝えるしかないよね」


「うむ。そうだな……」


 もしアンの<再生>の力が好戦的な国に知られてしまったら、アレリード王国は争いに巻き込まれてしまうだろう。それほど<再生>の力は稀有な、奇跡の力なのだ。

 言い換えるならば、遺伝情報や生体情報を復元できるということは、時の権力者が追い求めていた『不老不死』の夢が手に入るということに他ならない。


「ジギスヴァルトはアンさんのことをどう思ってる? 俺、お前が声を出して笑うところを初めて見たよ。それってお前にとってアンさんは特別な存在ってことだろう?」


 アンの微笑ましい姿を見たジギスヴァルトが声を上げて笑った事実に、ヘルムフリートは衝撃を受けた。

 ジギスヴァルトとは生まれた時から交流があったが、彼が笑う場面を見たことは片手で数えるほどしか無かったのだ。

 もちろん、ジギスヴァルトにも人並みに感情はある。しかし何故かそれが表に出ることがないので、いつもジギスヴァルトは無表情に見えてしまう。

 そのせいで彼に対する心無い噂が跡を絶たないのだが、肝心の本人が気にしていないので、ヘルムフリートも静観するしかない状態だ。


「……そうか。俺にとってアンは特別な存在なのか……」


「え?! もしかして今気付いたの?!」


 思わずヘルムフリートが絶句する。ずっと色恋沙汰に疎い疎いと思ってはいたけれど、ここまで疎いとは思っていなかったのだ。


「ジギスヴァルトにもようやく──」


 ……春が来たのかと、遅い初恋を迎えた幼馴染に、声を掛けようとしたヘルムフリートは言葉を止める。

 何故なら、ジギスヴァルトの端正な顔は、耳まで真っ赤に染まっていたからだ。


 それは、「銀氷の騎士団長」と畏れられる英雄ジギスヴァルトの、誰も見たことがない年相応の姿だった。

 



* * * * * *



お読みいただきありがとうございました!( ´ ▽ ` )ノ


恋愛要素はないはずだったのにどうしてこうなった…_(┐「ε:)_

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