第19話

「アンさんこんにちは!」


 ヴェルナーさんの可愛らしい妹さん、フィーネちゃんがひょっこりと現れた。

 花たちに負けない笑顔を浮かべた天使の登場に、私の心がほっこりする。


「フィーネちゃんいらっしゃい! あれ? 今日は一人で来たの?」


 前回はヴェルナーさんと一緒にわざわざお礼を言いに来てくれたフィーネちゃんだったけれど、今日は一人で来たようだ。


「お兄様は急な仕事が入ったそうですの。一緒に来れなくてすごく残念そうでしたわ。アンさんによろしくと言っていましたわ」


「そうなんだ。騎士のお仕事も大変だなぁ。でもフィーネちゃん一人だと危ないよ?」


 フィーネちゃん達のお家がどこにあるかはわからないけれど、きっとこのお店から離れた場所だろう。だってこんなに可愛いフィーネちゃんを見かけたら絶対覚えているだろうし。


「ご心配いただき感謝しますわ! でも大丈夫ですのよ。ここまで馬車に乗って参りましたから!」


 そう自慢げに言うフィーネちゃんはとても愛らしい。頑張って背伸びしている感じが堪らない。


「なら大丈夫なのかな……? って、あれ? もしかしてフィーネちゃんは貴族のご令嬢……?」


 よく考えたら平民の少女が一人で馬車に乗ってやってくるなんてありえないのだ。


「あら? お兄様はアンさんに何もお伝えしておりませんの? 全くお兄様ったら!」


 フィーネちゃんがぷりぷりとヴェルナーさんに文句を言っている。そんな姿もとても愛らしい。けれど、何だか嫌な予感がするのは気のせいだろうか……。


「ええ、わたくしの家門は貴族の末席に名を連ねておりますわ」


「えぇっ?! 貴族?! フィーネちゃ……いや、フィーネ様、今までのご無礼をお許しください!!」


 嫌な予感が的中してしまった。私は貴族のご令嬢をちゃん付けで呼んでいたことになる。そうなると当然ヴェルナーさんも貴族のご令息になるわけで……。


 ちなみにジルさんとヘルムフリートさんも当然ながら貴族だった。だけど二人には身分を気にせず接して欲しいと言われたから、相変わらず普通に接しているけれど。


(こういう場合はどうすればいいの?! まさか貴族が直接お店に来るなんて思わないよね!!)


 普通、貴族が欲しい物を買う時は屋敷に商人を呼ぶか、使用人を使いを出す。だからフィーネちゃんが天使のように可愛くても、裕福なご家庭のお嬢さんぐらいにしか思っていなかったのだ。


「いやですわ! 今まで通りに呼んでくださいまし! わたくしはアンさんと仲良しになりたいのですわ! 身分など気になさらないで!」


 目をウルウルさせるフィーネちゃんの頼みを私が断れるはずもなく。……っていうか、何気に私の周りの貴族率が高くなってきたような……。


「フィーネちゃんがそう言ってくれるなら喜んで! 私もフィーネちゃんと仲良くなりたいな!」


 私がそう言うと、フィーネちゃんは曇らせていた表情をぱあっと明るく変化させる。コロコロ変わる表情がとても可愛くて、ジルさんとは違う花の幻影が舞っている気がする。


(お貴族様って皆んな顔が良いよね……! 遺伝か?! 遺伝なのか?!)


「う、嬉しいです! あ、あの、わたくし、実はアンさんにお願いがあって……」


 フィーネちゃんが頬を染めてもじもじとしている。上目遣いで私を見る姿があまりにも可愛くて、どんなお願いでも聞いてしまいそうになる。


「……何かな? 私に出来ることなら良いよ」


「その……とても厚かましいお願いですけれど、わたくしにお花の名前を教えてほしいのですわ!」


(……くっ! 何この天使……っ!! 可愛すぎでしょーー!!)


 聞くところによると、フィーネちゃんはとてもお花に興味があって、自分でも花束を作ってみたいのだそうだ。

 だからまずは花の名前を覚えるところから始めたいらしい。


「うんうん、もちろん! いくらでも教えてあげる! 何でも聞いて!」


 フィーネちゃんの可愛さと花に興味を持ってくれたことが嬉しくて、私は二つ返事で了承する。


 それから私はお客さんの対応をしながら、フィーネちゃんに花の名前や特徴を一つ一つ教えてあげた。


「……すごいですわ! さすがアンさんですわ! 同じお花に見えて全く違うお花だなんて、全く気付きませんでしたわ!」


 原種は同じでも色や形状が全く違う花もあるし、逆に違う品種なのに同じように見える花もあるから、この世界は奥が深いと思う。


 ちなみにフィーネちゃんに教えた花はフィングストローゼとペオーニエのことだ。

 フィングストローゼは茎が長く先端に花を咲かせ、葉に切り込みがない草本性だけれど、ペオーニエは花茎をあまり伸ばさず咲き、葉に3つの切り込みがある木本性だ。

 だけど、ぱっと花だけを見てどっちがどっちか見分けるのは難しいだろう。


「今はわからなくて当然だけど、でもずっと花に触れているとその内わかるようになるよ」


「本当ですの?! だったらわたくし、このお店で働きたいですわ!!」


「はっ?!」


 私は突然の申し出に驚いた。確かに自分の子供に手伝わせるお店もあるけれど、フィーネちゃんは私の妹どころか貴族令嬢なのだ。

 そんなフィーネちゃんを働かせるなんて出来るわけがない。


「いやいや! それは流石に無理でしょ!! 貴族のご令嬢にそんな事をさせるわけにはいかないよ!」


 不敬罪で捕まりたくないし、何よりご家族だって許可しないだろう。慌ててお断りする私に、フィーネちゃんはすごくガッカリしている。


(……くっ! そんな顔して頬を膨らませるの反則……っ!!)


 自分では真っ当なことを言っているつもりなのに、ものすごく意地悪しているような罪悪感が湧いてくる。


 他人の私でもこうなんだから、フィーネちゃんのご家族だったらもっと焦るかもしれない。フィーネちゃんには望みを叶えてあげたくなる不思議な魅力があるのだ。


「そこを何とかお願いしますわ! もちろん賃金は頂きません!!」


「ええーーっ!! いやいや、そういう問題じゃないから!!」


 意外なことにフィーネちゃんは諦めること無く、再び懇願してくる。

 そこまでして私のお店で働きたいと言ってくれるのはすごく嬉しいけれど、ここは心を鬼にしてでも断らなければならない。


 可愛いフィーネちゃんを傷つけること無く断る方法はないものかと考えていると、救いの手を差し伸べる人物が現れた。


「っ、アンちゃんごめんね! うちの妹が迷惑をかけなかった?」


 急いで用事を終わらせてきたのだろう、ヴェルナーさんが息を切らしながらお店に駆け込んできた。


「あっ! ヴェルナーさん、お疲れさまです! 取り敢えず冷たいクロイターティ飲まれますか?」


「はぁ、はぁ……っ、え、いいの? じゃあ、お願いできるかな?」


「少々お待ち下さいね」


 私はキッチンへと向かい、ツィトローネといくつかのクラテールを入れて冷やしておいた水をコップに注ぐと、ヴェルナーさんの元へと向かう。


「お待たせしました! ツィトローネがお嫌いでなければどうぞ!」


「お! いい香りだね! もちろんいただくよ。有難う!」


 ヴェルナーさんはクロイターティを受け取ると美味しそうにゴクゴクと飲んでくれた。


「はーっ! 美味い! アンちゃんが作るものはどれも美味しいね!」


「気に入って貰えて嬉しいです。そのクロイターティ私も好きなんですよ」


 ヴェルナーさんに美味しいと言って貰えて喜んでいると、フィーネちゃんがすっごく羨ましそうにクロイターティが入っていたコップを凝視していた。


「フィーネちゃんも飲んでみる? あ、ホーニッヒ入れても美味しいよ?」


「宜しいんですの?! 是非頂きたいですわ! ホーニッヒ入りで飲んでみたいですわ!!」


 ぱぁっと笑顔になったフィーネちゃんに待って貰い、ツィトローネ入りのクロイターティにホーニッヒを加えて持っていく。


「有難うございます! いただきますわ!!」


 フィーネちゃんものどが渇いていたようで、ヴェルナーさんと同じようにゴクゴクと飲んでくれた。

 こうして見ると流石兄弟、飲み方がそっくりだ。


 そうしてクロイターティを飲み終え、一息ついたところでフィーネちゃんのお願いの件をヴェルナーさんに相談した。


「う〜〜ん、そうだなぁ……。俺はどっちかと言うと賛成なんだよね。うちの家訓は”可愛い子には旅をさせよ”だしね」


「え? ヴェルナーさんは賛成なんですか?!」


「お兄様……!」


 てっきりフィーネちゃんに諦めるよう説得してくれると思っていたのに、とんだ伏兵がいたもんだ。

 



* * * * * *



お読みいただきありがとうございました!(*´꒳`*)


❀名前解説❀

フィングストローゼ→芍薬

ペオーニエ→牡丹

ツィトローネ→レモン

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