第9話
アレリード王国の王宮にある騎士団長の執務室で、ジギスヴァルトが書類の処理を行っていた。
団長であるジギスヴァルトは無駄を嫌う性格で、執務室は彼の性格を表すように必要最低限のものしか置いておらず、部屋を訪れる人々に殺風景な印象を与えていた──少し前までは。
現在の執務室は、以前の殺伐としていた雰囲気から一転し、和らいだ雰囲気へと変化していた。
──その変化は、執務室に白い花が置かれたことがきっかけだった。
白く上品な花弁の花は、執務室の品格を損なわず、高級な調度品と相まってすっかり部屋に馴染んでいる。
その白い花──アルペンファイルヒェンは執務室を華やかなものにするだけでなく、部屋の主であるジギスヴァルトにも変化を与えていた。
それはジギスヴァルトが纏う雰囲気が柔らかくなったことから始まり、アルペンファイルヒェンを愛でる彼の姿が頻繁に目撃されるようになったのだ。
今までジギスヴァルトの存在感に圧倒され、いつも緊張でガチガチになっていた団員達が、そんな彼の姿を見て緊張を解くようになるまでそう時間はかからなかった。
Sランクの魔物を屠る程の実力者で、冷たい美貌を持つジギスヴァルトを、近寄り難い存在だと認識していた団員達は、花を愛でる彼も自分達と変わらない人間なのだと親近感を持つようになり、その内花の世話をするジギスヴァルトを温かく見守るようになる。
そんな微笑ましい騎士団だったが、一時期崩壊の危機にさらされたことがあった。ジギスヴァルトが大切にしていたアルペンファイルヒェンが枯れかけてしまったのだ。
執務室に来た時はピンとしていたアルペンファイルヒェンの茎が段々萎れていき、遂にはクッタリとなった時、団員達は恐怖に襲われた。”この花が枯れた時、自分達もまた終わりなのだ”、と。
団員達がそう思うほどに、ジギスヴァルトは悲壮感を漂わせていた。
そして彼の心境を現すかのように、騎士団中の空気は凍てつき、雷雲が王宮を覆い、嵐が吹き荒れた……幻覚を団員達は見たという。
このままでは騎士団が機能せず、強力な魔物が現れても対処出来ないのではないか、と誰もが覚悟した時、救世主が現れた。
その人物はもうだめだと思われていたアルペンファイルヒェンを見事復活させたのだ。
団員達は見知らぬその人物に感謝した。
元気を取り戻した花と共にジギスヴァルトも復活し、しかも雰囲気がより一層柔らかくなったのだ。
ジギスヴァルトの一連の変化に、勘が良い者は”まさか救世主は女?”と気付き始めたようだった。
その憶測は噂となり、団員全員が知るところとなったのだが、誰一人として相手の女性を探そうとする者はいなかった。
下手にジギスヴァルトの不興を買うよりも、今ある平穏を手放したくないと誰もが思ったからだ。
そして団員達に色んな意味で見守られながら、騎士団長の仕事をこなすジギスヴァルトのもとへ、魔法師団長のヘルムフリートがやってきた。
寝る間も惜しんでフロレンティーナ王女の病気を治す薬を開発中の彼が、忙しい合間を縫って騎士団に来るとは、何か急ぎの用事の可能性がある。
ジギスヴァルトはヘルムフリートを来客用の椅子に座るよう促し、自身もヘルムフリートの正面に座った。
「突然来てしまってすまないな。研究が行き詰まっていてさ。気分転換に君の様子を見に来たんだけど……なんか雰囲気変わった?」
「最近よく言われるのだが……部屋にアルペンファイルヒェンの鉢を置いたからだろうか」
「いや、俺が言ってるのはジギスヴァルトの雰囲気のことなんだけど……。ん? 鉢?」
ヘルムフリートが「鉢」に反応するやいなや、ジギスヴァルトがアルペンファイルヒェンの鉢をヘルムフリートの前に持ってきた。
それは一瞬の出来事で、騎士団長の位に就くジギスヴァルトの身体能力の高さを表していたが、ヘルムフリートは内心、能力の無駄遣いだよな、と思う。
しかしジギスヴァルトの行動から察するに、彼が思いの外アルペンファイルヒェンを気に入っているのだと理解した。
「……へぇ。こんな鉢植えを置いていたんだ。部屋に馴染んでいたから気付かなかった……ってあれ?」
「どうかしたか?」
「そう言えばジギスヴァルトって、植物をよく枯らしてたよね。それなのにこの花は随分元気そうだなって」
ヘルムフリートはジギスヴァルトの自室に置かれていた鉢の数々を思い出す。
彼の母親は屋敷の庭に専用の温室を持つほどの園芸好きだった。
母親は息子であるジギスヴァルトに植物を見て和んで貰おうと、彼の部屋に鉢物を幾つか置いていたのだが、ジギスヴァルトはその悉くを枯らしてしまったのだ。
「……む。それは一度枯れかけていたのを助けて貰ったからな」
母親に似て、ジギスヴァルトも植物が好きだった。しかしどんなに気を付けていても、どうやっても枯らしてしまうのだ。
だからアルペンファイルヒェンだけは絶対枯らせたくなかったのだが、結局アンネリーエが助けてくれなかったらアルペンファイルヒェンもあっという間に枯れていただろう。
「へぇ。随分腕がいい庭師なんだな。それに俺、こんな真っ白の花なんて見たこと無いよ。一見白い花でもよく見ると色が付いているものなんだけど」
「そうか? 店には他の白い花もあったが……」
ジギスヴァルトはアンネリーエの店に置いてあったマイグレックヒェンを思い出す。小さく白い花を鈴なりに咲かせる姿はとても可憐だった。
「店ってフロレンティーナの花束を買ってる店? この花もそこで買ったの?」
「そうだ。そこの花はどれも色鮮やかでとても美しいんだ」
そう言って、笑みを浮かべるジギスヴァルトを見たヘルムフリートはポカンとする。
基本が無表情のジギスヴァルトの柔らかい微笑みなんて、今までの人生で数えるほどしか見たことがなかったのだ。
(そう言えばジギスヴァルトって、綺麗なものや可愛いものが好きだったよな。その店に可愛い子でもいるのかねぇ……?)
ヘルムフリートはジギスヴァルトの雰囲気が変わったのは、その花屋が関係しているのではないか、と考える。
しかしジギスヴァルトにわざわざそのことを質問するようなことはしない。親友である自分ができることは見守ることだけなのだと理解しているのだ。
「俺もその花屋に連れて行ってくれない? 俺からもお礼を伝えたいし」
それでも親友の恋のお相手が気になるのは仕方がない。それにこうして花屋に行く口実を作って協力するのも親友の勤めなのだと、ヘルムフリートは自分に言い聞かせる。決して好奇心に負けたわけではないのだ。
「……む。お前なら……まあ……」
「よし! じゃあ善は急げ! 今から行こう!」
ヘルムフリートは椅子から立ち上がると、ジギスヴァルトの都合などお構いなしに連れて行こうとする。
「む。 しかしまだ仕事が残っているのだが」
「そんなのあとあと! 俺今研究が行き詰ってるって言っただろ? 気分転換に付き合ってくれよ! これは最優先事項の案件でもあるんだからさ。もしかしたらその花屋に何かヒントがあるかもしれないし」
ヘルムフリートの研究である薬の開発はフロレンティーナ──王族の危機として急務となっていた。
彼らの前では気丈に振る舞っているフロレンティーナだが、その病状は日に日に悪くなっている。
そのこともあり、ヘルムフリートは薬の開発を焦るあまり、研究が手につかなくなってしまったのだ。
ジギスヴァルトは平静を装うヘルムフリートの中に焦りを見る。
確かに、火急の任務が無い自分が優先すべきは大切な親友と幼馴染だろう。それが最優先事項の案件であれば尚更だ。
「わかった。少し遠い場所にあるが大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ! 有難うな」
「気にするな」
ジギスヴァルトは部下に執務を引き継ぎ、外出する旨伝えると個人用の馬車の準備をさせ、アンネリーエの店へと向かうよう指示を出す。
「……薬の開発はそんなに難しいのか?」
馬車が走り出してしばらく、ジギスヴァルトがヘルムフリートに質問する。
先日フロレンティーナの部屋で会った時に、手掛かりを見付けたと言っていたのだが上手く行っていないらしい。
「そうなんだよ……。治療薬として使えそうな植物を見付けてさ、土魔法で育成させたんだけど、薬どころか毒を持ってたんだよ。毒を薬として用いた例は過去にあるけれど、結構強い毒だから加減も難しいんだ」
「毒か……」
「紫色の花でね。形は可愛いんだけどさ」
ジギスヴァルトはアンネリーエの店にあったマイグレックヒェンを思い出していた。毒があるため売って貰えなくて残念だったが、小さくて可憐な花だった。
* * * * * *
お読みいただきありがとうございました!(*´艸`*)
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