第8話

 アレリード王国の王都バルリングの中心にある、絢爛豪華な王宮の廊下を颯爽と歩く人物がいた。


 その人物は王国を守護する騎士団を統括する騎士団長で、その強さは周辺国にまで知れ渡っている。


 若くして騎士団長に叙任された彼はその美貌も相まって、貴族令嬢達の憧れの的になっていた。

 しかし彼に女っ気は全く無く、恋愛にも興味がないのか、いくら令嬢達から秋波を送られても一貫して無視している。

 だがそれが誠実で素敵だと、更に彼の好感度をあげる要素の一つとなってしまっているのは、本人にとっては迷惑以外の何物でもないだろう。


 そんな彼は暇を持て余す貴族達から常に注目され、貴族達はどの令嬢が彼の心を掴むのかと、密かに賭けを行っているという。


 余りにも女性の影がないので、「もしかして彼は極度の女性嫌いではないか?」と貴族達が勘ぐり始めた頃、ある噂が社交界を駆け巡った。


 ──それは、彼が頻繁に花束を持ってフロレンティーナ王女殿下の部屋へ通っている、と言う噂だった。


その噂を肯定するように、騎士団長の彼──ジギスヴァルトの腕には、随分と可愛らしい花束が抱えられていた。


「おや、ジギスヴァルト殿。『ブルーメ』の帰りですか」


「はい」


「相変わらずアンネリーエさんの花束は見事ですね。フロレンティーナ王女殿下もさぞお喜びでしょう」


 ジギスヴァルトに話しかけた人物はこの国で大臣を務めている人物だ。


「フィリベルト殿もアンの腕を評価されているのですね」


「ええ、知り合いに紹介されましてね。妻の誕生日に花束を依頼したのですが、それが素晴らしくてね。妻も随分喜んでいましたよ」


 ジギスヴァルトと会話する人物。それは以前アンネリーエの店に来た、常連ロルフの知り合い──フィリベルトであった。


「確かに、アンの花束の出来には、俺も毎回驚かされています」


「ジギスヴァルト殿もすっかり常連ですね。私も近々花を買いに行くつもりです。……ああ、引き止めて申し訳ない。フロレンティーナ王女殿下が首を長くしてお待ちでしょう」


「はい、では俺はこれで」


 フィリベルトと別れたジギスヴァルトが王女の部屋へ向かうと、扉の前を二人の衛兵が警護していた。

 衛兵達はジギスヴァルトに気付くと礼を取り、中で控える侍女へ来客を告げる。


「ジギスヴァルト様、どうぞこちらへ」


 侍女に案内され室内に足を踏み入れたジギスヴァルトは、応接室を埋め尽くすほど贈られたお見舞いの品々を一瞥する。その中には豪華な花束も幾つか含まれていた。


 応接室の奥には更に扉があり、王女の寝室となっている。

 未婚の王族の寝室に入ることが出来るのはごく一部の人間だけで、その限られた人間の中でも異性だと王族ぐらいしかいない。

 しかしジギスヴァルトは騎士団長という役職を持っているため、許可さえあれば王宮のどの部屋でもフリーパスで入ることが出来る。


「……待っていたわ、ジギスヴァルト。いつもご苦労さま」


 寝室に入ってきたジギスヴァルトに声を掛けたのは、この部屋の主であるフロレンティーナ王女だ。

 彼女は病床に伏していると言う噂通り、ベッドから降りること無くジギスヴァルトを迎え入れた。


「まあ……! そちらが新しい花束ね! とっても素敵……! なんて可愛らしいのかしら!」


 ジギスヴァルトが持つ花束を見た王女が喜びの声を上げる。ジギスヴァルトは花束を侍女に渡し、侍女から花束を受け取った王女は、その白い頬を紅潮させた。


「綺麗ね……。色が鮮やかで素晴らしいわ。ねぇ、この花束を飾ってくれるかしら? 場所は……そうねぇ。サイドボードの上にお願いするわ」


「畏まりました」


 侍女が恭しく王女から花束を受け取ると、用意していた花瓶に花を生ける。

 この寝室には同じように生けられた花が幾つか飾られているのだが、それは全てアンが作った花束だった。

 初めて作った花束は流石に枯れてしまったのか、もう飾られていないようだが、前回作った花束はまだ元気に咲いていて、王女の目を楽しませている。


 お見舞いとして貴族達から幾つも花束を贈られているが、王女はあまり気に入っておらず、寝室に飾るのはアンが作った花束だけになっていた。


「アンにお礼を伝えてくれるかしら? いつもアンの花束に励まされているって」


「承知しました。必ず伝えます」


 ジギスヴァルトが王女に一礼し、部屋を退出しようとした時、慌てた様子で部屋に入ってきた人物がいた。


「遅くなってすまない。フロレンティーナ、具合はどう?」


「あらあら、ヘルムフリートったらそんなに慌てちゃって。ほら、ジギスヴァルトも来てくれているのよ?」


「ああ、いたのかジギスヴァルト。気配がなかったから気付かなかったよ」


 ヘルムフリートと呼ばれた人物はジギスヴァルトと同じぐらいの歳の青年で、騎士服を着用しているジギスヴァルトとは違い、王宮魔術師の証であるローブを纏っていた。


「魔術師団長は随分忙しいみたいだな。目の下に隈ができているぞ」


「まあ、薬を開発するまではね。しばらくこんな調子だろうさ」


 ヘルムフリートが肩をすくめて苦笑いを浮かべる。ジギスヴァルトの指摘通り、彼はここしばらく徹夜続きなのだ。


「ヘルムフリート……! まさか私のために……?」


「ああ、フロレンティーナ! 気にしないで! 僕がやりたくてやっているんだから!」


 ヘルムフリートはフロレンティーナの白い手を取るとギュッと握りしめる。


「……でも……。貴方まで病気になってしまったら、私……!」


「大丈夫だよ。僕は君を救うまで死なないさ……!」


 突如始まった恋人同士のやり取りに、ジギスヴァルトは心の中でゲンナリする。


 見ての通り、ヘルムフリートとフロレンティーナは恋人同士で、ジギスヴァルトはこの二人と幼馴染だった。

 昔からこの二人はラブラブで、そんな二人を冷めた目で見るというのが定番の光景となっている。


 しかし周りの人間はジギスヴァルトとフロレンティーナが恋仲なのではないかと勘違いしているので、正直迷惑ではあるものの、ジギスヴァルトもその方が虫除けになると思い、噂を放置しているのでお互い様な関係ではある。


「それに文献を調べていたら、君の病気に効くかもしれない植物を見付けてね。その植物の球根を買い占めたんだ。土魔法の使い手に栽培を頼んでいるから、すぐ芽がつくと思うよ」


「さすがヘルムフリートだわ! 大好きよ!」


 再び二人がイチャイチャしだしたので、ジギスヴァルトは二人を放置して騎士団の詰所へ戻ることにする。


 大理石の廊下を歩きながら、ジギスヴァルトはふとアンのことを思い出す。

 イチャイチャする幼馴染の二人に当てられたのかもしれない。しかしジギスヴァルトはいつも笑顔で元気なアンの顔を思い出すと、心が温かくなるのを感じていた。


「あれ? 団長お疲れさまです。随分ご機嫌が良さそうですが、なにか良い事でもありましたか?」


 アンのことを考えながら歩いていたからだろう、無表情のジギスヴァルトしか知らない団員が驚いた顔で声を掛けてきた。


「……いや、何でも無い。そう言えばお前には店を紹介して貰ったな。礼を言う」


「あ、いえ! お役に立てたのなら良かったです! とは言っても、僕もヴェルナー班長から聞いた情報なんですけど」


「……ヴェルナーか」


 騎士団は団長の下に副団長が、更にその下に十二人の班長がいて、それぞれが団員達を取りまとめている。

 ヴェルナーは数多い団員の中から班長に選ばれるほどなので、当然ジギスヴァルトはその存在を知っている──そして彼がアンの店の常連だということも。


 ヴェルナーとアンが親しくしているところを想像したジギスヴァルトの胸に、言い知れぬ不快感が込み上がってくる。

 それは相手がヴェルナーだけでなく、見知らぬ男でも同じ事だった。


(こんなにイライラするとは……どうかしているな……)


 ジギスヴァルトは今まで知らなかった感情に戸惑ってしまう。しかし恋愛経験が皆無なジギスヴァルトは、イライラの原因は疲労だろうと判断する。


(こういう時はアルペンファイルヒェンでも見て和むか)


 アンが手入れをしてくれたおかげで、枯れそうだったアルペンファイルヒェンはすっかり元気になった。

 更にアンのアドバイス通りに、アルペンファイルヒェンを観察しながら世話をすると、綺麗な花を咲かせてくれるようになったのだ。


 その出来事は、今まで魔物を討伐するか、植物を枯らすことしか出来なかったジギスヴァルトに衝撃と感動を齎すこととなった。


 ──それでも彼は気付かない。


 無表情で無感動だった自分の、感情や心が動かされる全ての原因に、いつもアンが関わっているということを。

 



* * * * * *



お読みいただきありがとうございました!( ´ ▽ ` )ノ

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