第7話
朝起きた私は、朝食も取らずに早々に温室へと向かう。
ジルさんから預かっているアルペンファイルヒェンの様子がずっと気になっていたのだ。
バケツの中に入れておいたアルペンファイルヒェンを取り出し、花を傷めないように括っていた紐を解く。
「良かった! 元気になった!」
ジルさんのアルペンファイルヒェンは、予想通り水切れだったらしく、水をたっぷりあげると、花の茎がピンと立っていた。
更に水を花の先っぽまで吸い上げたのだろう、花が固くなっているのがわかる。
すっかり元気になったアルペンファイルヒェンに安堵した私は朝食を作るため、キッチンへ向かう。
肌寒い時には温かいスープが欲しくなる。
私はコゥルとシュペックを簡単に刻むと、具沢山のディ・コンゾミーのスープを作る。煮込まれて味が染みたコゥルはくたっと柔らかいし、シュペックから出た脂身はスープにコクを出し、程よい燻製の香りと塩味が絶妙だ。
温めたパンはもっちりとして柔らかく、いくらでも食べられそうだ。
お腹と心が満たされた私は、今日も一日頑張ろうと開店準備を始める。
今日はジルさんがお店に来てくれると思うと、楽しみでいつもより気合が入る。
お店に出す花も、ジルさんの花束に使う花を中心に選んでいるので、何となくいつものお店が甘ったるい雰囲気になってしまった。
(うーん、ちょっと可愛すぎたかな? どんだけ楽しみにしてるんだか……)
やはりいつもと違う店の雰囲気に常連さんも気付いたらしく、「あらあら、今日は可愛いお花でいっぱいね」とか「おお?! 何だ何だ。今日は随分華やかじゃねぇか」と言われてしまった。
「えへへ。今日は週末だし、花束を買いに来てくれる人が多いからね」
私は誤魔化すようにお客さんに説明した。皆さんとっても良い方達なので、疑う素振り無く信じてくれたけれど。
(これはイカン。お店が変な方向に行ってしまう)
お花屋さんだから可愛い花でいっぱいなのは当たり前ではあるけれど、花屋「ブルーメ」は幅広い層をターゲットにしているのだ。
中には年配のお客様も多いのだから、こんなきゅるんきゅるんした甘い雰囲気なお店ではダメなのだ。
それからしばらく、お店に来るお客さんに甘い甘いと言われながら仕事をこなしていく。
でも若い女性からは大変好評だったので、たまにはこんなお店も良いかな? と思ってしまう私は流されやすいのかもしれない。
* * * * * *
(そろそろ閉店時間だけど……ジルさん来ないなぁ……)
私が閉店準備をしても良いものかどうか迷っていると、ジルさんが慌てた様子で店に駆け込んできた。
「すまん! 遅くなった!」
「ひぇ?! あ、いえ、まだ大丈夫ですよ!」
もしかしたら今日は来ないかも、と思っていたので、来てくれてとても嬉しい。
「昨日お預かりしたアルペンファイルヒェンです。元気になってくれましたよ」
私がアルペンファイルヒェンの鉢を見せると、ジルさんが驚きの表情を浮かべた。
「……これは……! 本当に元に戻っている……! アンは『緑の手を持つ人』なのだな」
ジルさんはそう言うと、眩しいものを見るかのように目を細めて私を見た。
「あ! いや、そんな! 花屋なら誰でも出来ますよ?」
ジルさんが言う「緑の手を持つ人」とは、植物を育てるのがとても上手な人のことを言う。
何をしても植物が元気に育つので、植物と話ができるのではないか、と考えられているらしい。
もちろん、私には植物の言葉なんてわからないけれど。
「俺はアンが羨ましい。俺は昔からよく植物を枯らしてしまうんだ」
ジルさんは植物が好きな母親の影響で、自身も植物が好きだったけど、植物に手をかければかけるほど、次々と枯らしてしまうのだそうだ。
「だが、アンの店の植物はいつも元気がいいから、今度こそ俺でも育てられるんじゃないかと期待したんだが……」
あまり手をかけずに植物を生き生きと育てる「緑の手を持つ人」とは違い、何をしても植物を枯らしてしまう人のことを「茶色の手を持つ人」もしくは「火の手」と呼ぶ。
「えっと、私も詳しくはわからないのですが、目の前の植物をよく見ているかいないか、の違いじゃないかと……」
私は仕事だから、というのもあるけれど、植物のチェックは欠かさず行っている。
「それに植物にも個性がありますから、よく観察している内に水やりとか肥料をあげるタイミングがわかるようになりますよ」
「そうか、観察か……」
「はい。私たち人間と違って植物は自分で暑さをしのいだり暖をとったりできませんから。だから植物の好む環境やそれぞれの植物に必要な環境を作ってあげるんです」
「……む。なるほど」
ジルさんは私から受け取った鉢をじっと眺め、何かを考え込んでいる。
「植物に愛情があったとしても、押し付けては駄目なんです。時には引いたり、じっと待っていたりする時間も大切なんですよ」
人間だってずっと構われていると疲れてしまう。それは植物だって一緒なのだ。
「有難うアン。大事にするあまり手を掛けすぎたようだ」
ジルさんがフッと柔らかく微笑んだ。それは花が咲き乱れる幻影ではなく、蕾がふんわりと咲くような幻影だった。
「あ、いえ、偉そうなことを言ってしまいましたが、参考になったなら嬉しいです」
ジルさんが悲しそうだったので、思わず長々と語ってしまったけれど、段々恥ずかしくなって来た私は話題を変えて誤魔化すことにする。
「あの、それで、今日の花束はどうされますか?」
「ああ、そうだった。今日もおまかせで頼む。アンのセンスは信用できるからな」
「……っ、有難うございます……!」
ジルさんはとても褒め上手だ。こうして褒められるともっと頑張ろう、という気になってくるから、きっと私はチョロいんだろうな、と思う。
「じゃあ、今から作りますから少々お待ちくださいね」
「よろしく頼む」
今回の花束はお客さんに甘い甘いと言われているように、ピンクと白を基調に仕上げようと考えている。
ピンクの大きめのローゼをメインに、濃いピンクのフィングストローゼをアクセントにして、薄いピンク色のレースラインや淡いパステルカラーのヴィッケ、グリーンのブプレリウムと白い小花が可愛いアドーニスレースヒェンをバランス良く組み上げていく。
完成した花束はやっぱり甘々になったけれど、後悔はしない。
私が花束を作っている間、ジルさんは飾っていたマイグレックヒェンをずっと眺めていた。そんな様子に、余程気に入ったのだろうな、と思う。
(マイグレックヒェンに毒がなければなぁ。花束にしたらすっごく可愛いのに)
私はマイグレックヒェンを使った花束を想像する。
パステルカラーでまとめた花束は可憐だし、マイグレックヒェンを葉ごと束ねても清楚でとっても可愛いと思う。
私はマイグレックヒェンが使えないことを少し残念に思いながら、ジルさんに花束の完成を告げる。
「ほう……これは。いつも可愛らしいが、今日はとびきり愛らしいな」
ジルさんから見ても今日の花束は甘いらしい。
「いつも素晴らしい花束を有難う。今は無理だが、彼女もアンにお礼を言いたいと言っていた。ああ、それとこれはアルペンファイルヒェンが世話になった礼だ。受け取って欲しい」
ジルさんはポケットからリボンがついた袋を取り出し、私に渡してくれた。
「そんな! お礼だなんて! ……でもすごく嬉しいです! 有難うございます!」
受け取った瞬間、甘い香りがふわっと広がって、それがお菓子なのだと気付く。
(あれ? このマークはもしかしてかの有名なスイーツのお店「ズースィックカイテン」のお品では?!)
貴族街にある「ズースィックカイテン」は老舗で王家御用達のお店だ。
いつも行列ができる有名店だと聞いた事がある。
「じゃあ、俺はこれで。また来る」
甘そうな色の花が咲くお店で、甘そうな色の花束を持ったジルさんは、甘い香りのお菓子を私に渡し、甘い笑顔を浮かべて去っていった。
私は甘い雰囲気が残る店内で、しばらく紅茶に砂糖はいらないな、とぼんやり思った。
* * * * * *
お読みいただきありがとうございました!(*´艸`*)
❀花と食材の名前解説❀
コゥル→キャベツ
シュペック→ベーコン
ディ・コンゾミー→コンソメ
フィングストローゼ→芍薬
レースライン→ミニバラ(っぽいの)
(店名だけど)ズースィックカイテン→お菓子
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