取材の完了

 最後のピースが揃った。

白石良美との会談を終えた後、私はエズラ・ネイスンと連絡を取る。

<会談は無事終わった。貴重な資料を得ることができた。協力に感謝する>

 ネイスンからの返答はこうだった。

<相手が来なかったとか、そういう話になるものだとばかり思っていた>

<調査の進捗をお伺いしたい。こちらは宮川春子の生誕からソロ活動を開始するに至るまでの情報が揃っているが、以降がほぼ抜け落ちている状態にある>

<私の方は逆だ。ハルコ・ミヤカワのデビュー以降は揃うが、それ以前についてはあまり芳しくない。来月、また日本に行くと思うのでその際に話し合おう>

<いいでしょう。日程についてはまた後日>

 そうしてネイスンとのメールのやり取りは一度途切れる。

私は再度、白石良美にお礼を言った。

<先日はお付き合い頂き、感謝します>

<お陰で評伝については目処が立ちました>

<報酬は必要ない、とのことでしたが>

<献本だけでもさせて貰えませんでしょうか>

<連絡、お待ちしております>

 しかし、返答は来ない。

 三日待つ。反応はない。一週間経つ。アカウントには何一つ発言が浮かんでこない……結局、ネイスンが来日の日程をメールで送ってくる頃まで、彼女のアカウントには何の動きもなかった。

そうしてネイスンと会談の日程を決める算段をつける辺りになって、彼女は私に返答するでもなく、SNS上でたった一言。

『私は、みんな』

 とだけ――発言した。

 私はその様子からただならぬ雰囲気を感じ取り、何とかして彼女に連絡を取ろうとするが、やりようがない。彼女のアカウントにはそれ以降の発言もなく、私は途方に暮れた。

ネイスンとの会談の三日前。私の携帯に知らない番号から連絡が来る。私はそれに出る。

「あの、こちら奥村剛男さんのお電話で宜しいでしょうか?」

 男性の声だった。

「はい、そうなりますが」

「ご本人様でいらっしゃいますか?」

「そうです」

「私、釧路方面帯広警察署の達川という者なのですが」

「え、警察?」

「はい――白石良美さんの自殺に関することをお伺いしたく、お電話させて頂きました」

「……自殺?」

 脳裏によぎる、彼女のさいごの言葉。

『私は、みんな』

 そんな……そんな。

そんなあからさまな死に方があってたまるか。そう思いながら、同時に私は考える。

彼女。白石良美は死んだ。未遂ではない。自殺だ、と警察は言う。彼女が失われた責任の一部は私にもあるのではないか、と考える。しかしその事実はあまりに重く――直視しがたい。だから私は、彼女の死に責任を負える立場ではない。そう考えたがる。考え、たくなる……。

次の日、私は最寄りの警察署に呼ばれて話をした。結局、怪しいところは何もないということで解放されたため、数日後に控えていたネイスンとの会談には何とか間に合った。

ネイスンは相変わらずだった。

相変わらず、コウテイペンギンのような歩き方をして、非常に丁寧に箸を扱い、ビールを飲み、話をする。

 食事を終えた後、私は白石良美から渡された資料をネイスンに見せる。

「――これは、すごい資料だ。まるで彼女自身が。そのシライシヨシミ自身が評伝を書こうとしていたかのような……そう思えるほど、正確な資料だ」

「私はこれを彼女から無償で受け取りました」

「何ということだ……私も彼女に礼がしたい。手段はないのか?」

 ネイスンの言葉に私は答える。

「もう礼を言うことも、会話を交わすこともできません」

 Oh。彼は言う。おおよそを察したらしい。

「彼女は――自殺、しました。私はつい一昨日まで警察から取り調べを受けていました」

「何と馬鹿なこと」

 彼は言う。

「ウェルテル効果だな。馬鹿馬鹿しい。何故彼女は自身の生命を大事にすることができなかったのか。これだけの資料を精査して集積できるような人間が、何故死ぬ必要があるのか……理解できない」

「ウェルテル効果と言いますが、ハルコ・ミヤカワは自殺とは言い切れないのではないですか?」

「そのへんもどうやら怪しいらしい。オーストラリアでホテルマンに聞き取りをしたところ、どうもこれは自殺だったんじゃないかと話をされた。状況証拠も幾つか揃っている」

「そう、でしたか」

 私は何を言うでもなく、残っていた日本酒を一気に飲む。既にぬるくなっている。あまり美味しいものではない。……彼は訝しげに私を見る。

「どうしたんだ。オクムラさん。あなたはハルコ・ミヤカワの評伝を書くのではないのか」

「はい。そうです――そうですね」

「どちらにせよ僕らはもう書く以外にやれることがないのさ。これが彼女の、ハルコ・ミヤカワやシライシヨシミの追悼になるかは分からないが、ここで書かない方が余程問題じゃないのか」

「そうでしょうね……実際、出版の人間と既にある程度話はつけています。そちらは?」

「君の出したその資料が最後のピースだ」

 言って彼は初めて会った時と同じように右手を差し出す――私はその手をぎゅっと、強く握り締めた。

「では、お互いの著作物がしっかりと形になったらまた、会いましょう」

「ああ――色々面倒をかけさせたが、君がいて本当に助かったよ」

「……こちらこそ」

 そこで彼は言う。何も知らない子供が、無邪気な顔で、大人が答えづらい質問をする時のような、そんな表情で。

「結局――『私は、みんな』とは一体、どういう意味だったのだろうな」

 私は答える。

「私はその言葉の意味について、断言も断定もできません。だから私は、その言葉に言及する資格を持ち合わせていません」

「……そうか」

「ですが」

 私は想起する。

 私が評伝を書くにあたって、会談してきた相手を、私は一人ひとり、想起する。

 木崎紅葉。大泉五月。芹沢嗣治。阿久津光輝。上山紗夜。白瀬美希。紫藤流星。甲斐和美。大野啓司。久原涼子。竜崎善知鳥。夏川りりこ。龍造寺豊。ダン・イチワラ……。

エズラ・ネイスン。そして――白石良美。

「宮川春子は、一体誰に殺されたのでしょう。状況的には確かに自殺と思えるかもしれません。ですが――果たして本当に。彼女の死を。ハルコ・ミヤカワが二十七歳で死んだということを。たんに自殺の一言で片付けて良いものなのでしょうか?」

「私には、宮川春子が分かりません。ただ何か、宮川春子は――彼女は綺羅びやかで、鮮烈で、それでいて途方も無いくらい淋しげで、ひとりぼっちだったような、そんな気がしてならないんですよ」

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