雪は溶けて春が来る
華ノ月
雪は溶けて春が来る
〜プロローグ〜
キャッキャッ!アハハ!
いつもの子供たちの楽しそうな笑い声が室内に響いていた。子供たちは笑い声を上げながら元気に走り回ったり、ゲームをしたりしている。先生たちはそれを見守りながら、遊び相手をしたりしていた。いつもと変わらない学童保育所の日常だった。
だからこそ、あんなことが起きるとは誰も予想していなかった………。
1.
私は生嶋香苗。
この学童保育所で先生をしている。私は昔から子供が大好きで、ずっと子供と関わる仕事がしたいと思い、私が住むこの地域の学童で働き始めた。子供たちは最初、新しい先生というので戸惑ったりしていたが、すぐに懐いてくれた。学童は賑やかで、私は毎日のように忙しかったが充実した日々を過ごしていた。子供たちが学校から帰ってくると、まずは宿題から始まる。そして、おやつを出したり一緒に遊んだりしていた。時には、なかなか言うこと聞かない子供が暴れて止めに入ったとき、腕や足を噛まれたこともあった。けど、子供たちと正面から本気で向き合う事で子供たちは少しずつ心を開き、仲良くなっていった。そして、休みの日は大学でお世話になった先輩にあったりして、一緒に出掛けたりお茶をしたりしていた。先輩は「元気に仕事してるか?」と聞いてくれてるので、私は「毎日が楽しいです!」と、学童でこんな遊びをしましたとか言いながら先輩に報告していた。先輩は「楽しそうで良かったよ」と、いつも安心した顔を見せてくれていた。先輩なりに、ちゃんと元気で仕事をしているか心配だったのだろう。そこは先輩としての心配だけじゃなく、私だからこそ心配したのだろう。私は、そんな優しい先輩が大好きでずっと慕っていた。私は毎日、こんな賑やかでいつもと変わらない日々が続くと思っていた。だから、まさかあんな体験をすることになるとは夢にも思っていなかった………。
今日も、私はもう一人の先生と一緒に子供たちを見ていた。子供たちの宿題が終わり、おやつを食べ、私はいつものように言った。
「今日は誰が机を拭いてくれるかな~?」
私はいつものように布巾を持って子供たちに聞いた。すると、いつものようにある女の子が元気よく返事した。
「はーい!私!私が拭くー!」
柚菜ちゃんだった。柚菜ちゃんは私から布巾を受けとると、楽しそうに机を拭き始めた。私はその様子を温かく見守った。この柚菜ちゃんも、最初は手を焼く子供の一人だった。宿題をしない子で、他の先生はお手上げ状態だったらしい。私が入ってからもしばらくはなかなか宿題をしてくれなかった。でも、ある日、私はなかなか宿題をしない柚菜ちゃんを捕まえて何度も「宿題しましょう!」と言った。それでもなかなか宿題を始めなくて、かなり長い時間、私は柚菜ちゃんと根比べをした。柚菜ちゃんは「どうせ諦めるだろう」と思っていたのであろうが、私は負けずにずっと二人で押し問答をしていた。その結果、柚菜ちゃんは根負けして泣きながら宿題を始めた。お母さんが迎えに来て「今日は宿題しましたよ」と伝えると、お母さんはすごく喜び、柚菜ちゃんに「えらいえらい」と言って沢山誉めていた。それから、柚菜ちゃんはちゃんと宿題をするようになり、私にはすごく懐くようになった。あの時は私は柚菜ちゃんに嫌われてもいい覚悟で根比べをしたが、結果は好いてくれるようになった。
おやつの時間が終わり、私は子供と人生ゲームをして遊んだり、トランプで七並べをしたりして楽しく遊んでいた。そんな時だった。
2.
ガシャーン………!!
学童の玄関の引戸を強い力で引いた音が聞こえた。私は「何事!」と思い、玄関に行くと………ナイフを持った一人の男が立っていた。
「動くな!」
男はそう叫ぶと、ナイフの切っ先を私に向けた。男の声で、もう一人の先生と子供たちがやってきた。男がナイフを持っているのを見ると、子供たちはパニックになり騒ぎ出した。このままじゃまずいと私は思い、私は叫んだ。
「みんな!!静かに!!」
私が強く叫んだお陰で子供たちはシーンとしてその場に硬直した。私は男を刺激するわけにはいかないと思い、どうしたらいい………と考えを巡らせた。そして、私は男に口を開いた。
「………人質は私がなります。子供は強い恐怖感を感じると嘔吐する場合があり、一人が嘔吐すると連鎖して他の子も嘔吐する可能性があります。だから、お願いです。この子たちは解放してください」
私がそう告げると、男は迷った様子を見せたが「いいだろう」と言った。そして、私はもう一人の先生に「子供たちを安全な場所に誘導してください」と告げた。先生は子供たちを連れて学童を後にした。柚菜ちゃんが泣きそうな顔で「先生………」と言ったので、私は大丈夫だよという笑顔を作った。私はみんなが無事に学童を出たことを確認すると、安堵してため息を付いた。
男は私にナイフを突き付けたまま、吐き捨てるように言った。
「自分は殺されようとも、子供たちは守るってか?ご立派な先生だなぁ、おい」
男はそう言うと、急に私の頭を掴み、床に叩き付けた。
「つっ………!」
私は床に叩き付けられた衝撃で、頭から僅かに血を流した。そして、男は更に言った。
「あんた、自分がなにやってるか分かってんのか?自分から進んで人質になったんだ。俺に殺されようが、何かされようが、構わないんだよな?」
男はそう言うと、私の手足を拘束した。外には人だかりが出来ていた。警察や特殊部隊も来ていて、只ならね緊張が走っていた。警察はスピーカーを使って降伏しなさいと叫んでいる。しかし、男はその言葉を無視していた。男は、私にナイフを向けたまま向き合いながらその場にしゃがんだ。私は男に言った。
「私は子供たちが大切です。一人だって傷付けたくない。ただ、それだけです」
私のその言葉は本音だった。私は殺されても構わない。私はただ、あの子たちには死んで欲しくない一心で、人質になった。それに、気になっていることもあった。私は思いきって聞いた。
「あなたはなぜこんな事をしたんですか?」
すると、男は「この状況でなんでそんなことを聞くんだ?」という顔をした。私は言った。
「私にはあなたが根っからの悪い人には見えません。確かにやっていることは悪いことです。でも、私には何か理由があるように思えます」
私がそう言うと、男は唖然とした顔をして「なんなんだこいつ………」と呟き、調子が狂ったのか、口を開いた。
「復讐だよ。世間に対しての復讐をしてるんだ。あんたみたいなお人好しに何が分かる?」
そう言って男は冷めた眼で私を見ていた。私は確信があったわけではないが、もしかしたらと思い、言葉を発した。
「あなたからは………私と同じ匂いがするんです。世間に復讐というのは、あなたを誰も理解してくれなかったからじゃないですか?」
私がそう話すと、男は「なんで!」と、驚きを隠せない顔をした。私は「やっぱり」と思い、話し始めた。
「私は子供の頃からいじめにあってきました。私が何かをしたわけじゃありません。ただ、他の子達とは違うという理由だけで、私は虐げられ、罵詈雑言を浴びせられました。学校の先生もお前に何かあるんだろうというだけで、何もしてくれませんでした。いじめは中学生になっても高校生になっても続きました。私は毎日、私が何をしたの?何もしてないのに、なんでいじめられるの?と、泣いていました。大学もまたいじめに遭うのが怖かったけど、ずっとずっと小さい子供の先生になりたいっていう夢があったから大学に行きました。でも、大学生になってもやはりいじめは続いて、私はとうとう心が壊れてしまいました。それからはずっと入院を余儀なくされてしまいました。入院して検査をした結果、私は先天性の発達障がいだということが分かり、なぜ他の子達と違っていたのかは判明しましたが、その時はもうどうしようもないくらいに病んでいて、回復する見込みはなかったそうです」
私がそこまでしゃべると、一息付いた。男はずっと黙って聞いていた。そして「俺は………」と言って、話し出した。
「………俺はそんな検査を受けてないからわかんねぇけど、あんたと一緒だよ。周りと違うっつぅだけでいじめられた。中学を卒業して働き出したが、いじめが原因で仕事も転々としていた。でも、ある日ふと思った。こんな理不尽な社会はぶっ壊してやろうってな。それで、ぶっ壊すならどこがいいか探していくなかでたまたまここに目を付けた」
男はそう話すと「聞いていいか?」と尋ねてきたので、私は「はい」と言った。
「あんた、良くなる見込みなかったんだろ?なのになんで回復したんだ?」
男の言葉はごもっともだった。確かに私は心が壊れてしまっていた。医者もさじを投げた。私は「それは………」と言い、続きを話し始めた。
「病院に大学の時に良くしてくれていた先輩がお見舞いに来てくれたんです。先輩はどこで聞いたのか、私が入院していることを知って会いに来てくれました。お見舞いに来てくれても、最初の頃は私はまともに喋れませんでした。先輩が私を元気付けようと言葉を掛けてくれても、私は死にたい………としか言わなかったそうです。でも、先輩は時間を作って何度もお見舞いに来てくれました。先輩は来る度に私を散歩に連れていき、何度も、頑張れって言って抱き締めてくれました。私は先輩の優しさや温もりに触れていくうちに僅かづつ壊れていた心に明かりが入っていきました。そして、もう一度頑張ってみようって思ったんです。当時はほとんど食べていなかったからガリガリに痩せていました。私はとりあえず頑張って食べて体重を戻すことから始めました。それから、主治医や看護師と一緒に自分の障がいとどう向き合えばいいのか勉強して、二年前に退院しました。その後の一年間は自宅で療養しながら体力を付けて、私は子供に私と同じような子供を出したくない気持ちから、去年から、この学童で働き始めました。子供のなかには問題のある子供や私と境遇が似ているような子もいます。だから私はどんな子達でも、本気で正面から向き合いました。それはもしかしたら、私自身が子供の頃、そうして欲しかったからかもしれません」
私が話し終わると、男は「ハハ………ハハ………」と乾いたような笑い声を出しながら、眼には涙を貯めていた。男は静かに涙を流しながら、私に言った。
「俺にも………俺にもそんなやつが一人でもいたら、俺も救われたかもな………。俺にはそんなやつ一人もいなかったからよぉ……」
男はそう言いながらポタポタと涙を流し、「俺にもそんなやつが欲しかった………」と呟いていた。私は男に言った。
「………降伏しませんか?」
男は「………あぁ」と言い、私を拘束していた縄を切った。私は最後に言葉を紡いだ。
「あなたも私も世間から理不尽な扱いを受けてきました。あなたの苦しみは私なんかより、とても大きかったと思います。ずっと一人で苦しんで、誰も手を差しのべてくれなくて、ずっとずっと辛かったと思います。でも、だからといって犯罪を犯しても何も変わりません。だから………」
私はそこまで言って、涙が溢れてきた。この人は私と似たような苦しみを味わい、そして、誰も救ってくれなかった………。私は、涙を流しながら言葉を発した。
「私はあなたが罪を償って、前に進むのを祈ります………」
私がそう言うと、男はその場に泣き崩れた。私は、男を優しく抱き締めた。私には同じような境遇のこの男が他人なのに他人とは思えなかった。私は彼が泣き止むまで彼を抱き締め続けた。しばらくして男は泣き止み、私は男の肩に手を置いて「一緒に出ましょう」と言った。男は肩に置いた私の手に掌を添えて、ゆっくりと立ち上がった。そして、一緒に外に出た。外はもう夜になっていた。私が男と出てくると、警察は一瞬身構えたが、私と男が涙を流していることに気づき、困惑していた。私は男の背中を押しながら、警察官の前に行き、そして言った。
「………お願いがあります。彼の心の声を聞いてあげてください。ちゃんと聞いて、彼のためにもどうしたらいいか、ちゃんと考えてあげてください。………よろしくお願いします」
私はそう言って、深々と頭を下げた。警察官は戸惑っていたが、「分かりました」といい、男をパトカーに乗せた。男はパトカーに乗ろうとして、私に振り向き言った。
「あんたみたいなやつに会えて良かったよ………」
男はそう言うと、少しだけ笑顔を見せた。そして、パトカーに乗り込み去っていった。
こうして、事件は幕を閉じた………。
3.
あの後、私は頭から少しだけ血が滲んでいた為、病院で検査を受けることになった。検査の結果、脳に異常はなかったので、私は家に帰った。病院には事件の事を聞いた親が飛んできた。泣きながら「大丈夫なの!?」と何度も言って私の頭の傷を手で撫でた。私は「痛いよ~」って言ってから「心配掛けてごめんね」と言い、「大丈夫だよ」と言って笑顔を見せた。あの後、警察が来て事情聴取を受けた。その時の事を話すと警察官は「無茶な真似をするね」と半分呆れたように言っていた。男は素直に取り調べに応じているらしく、念のため、検査が行われたそうだ。検査結果は伝えられないということだが、警察がおそらく君は予想していると思うよと言い、また話を聞くかもしれませんと言って帰っていった。私は頭の傷が治るまではしばらく自宅で療養することになった。たまに学童の先生たちがお見舞いに来て「みんな待ってるから、早く良くなってね」と言っていた。特に柚菜ちゃんが「先生、大丈夫なの?」と、連日のように聞いているらしく、まだかまだかと毎日そわそわしているみたいだ。私は子供たちのためにも早く良くなって復帰しなくちゃと思い、療養中は復帰したら子供たちとどんな遊びをするか考えていた。療養中に、一度だけ警察から電話があり、男は罪に問われたものの、男の受けてきた理不尽な境遇を考慮し、執行猶予が付いた判決が出たと言うことだった。私はそれを聞いて、警察がちゃんと話を聞いてくれたんだと思い、安心した。そして、頭の傷も良くなり、数日後、私は職場に復帰した。子供たちは私を見ると駆け寄ってきて、口々に「もう大丈夫?痛くない?」と聞いてきた。私は「大丈夫だよ」と言って笑顔を見せた。ふと目をやると、柚菜ちゃんがちょっと離れたところで見ていた。柚菜ちゃんは立ち尽くしていたが、次第に目に涙を潤ませて、
「先生~!」
と言って、駆け寄ってきて抱き付いてきた。柚菜ちゃんは「良かった~良かった~」と言ってワンワン泣いていた。私は「心配掛けてごめんね」と言い、涙が溢れてきた。私はこの子達に怪我がなくて良かったと思い、かわいい子供たちの頭を一人一人優しく撫でた。子供のお迎えに来た親たちも「無事で良かったです」と声をかけてくれた。
私は子供たちを守れて良かったと、心から感じた………。
~エピローグ~
空は眩しいくらいの晴天だった。私は久しぶりに先輩と会うことになり、待ち合わせの場所に行った。
近場にある灯台に行くと、先輩は先に来ていた。
「先輩!」
私は先輩を見付け、駆け寄っていった。先輩は私を見ると安心した顔をした。私が「お久しぶりです」と言うと、先輩は震えだし、叫んだ。
「………バカヤロウ!」
先輩の第一声はそれだった。先輩は一筋の涙を流しながら言葉を発した。
「どれだけ………どれだけ心配したと思うんだ………。事件の事を聞いたときは心臓が止まるほどだったんだぞ………」
先輩はそう言うと、私を強く抱き締めた。
「………無事で………良かった………」
私は先輩の身体に手を回し、抱き締め返した。
波は穏やかに揺れ、良く晴れた気持ちの良い日差しが二人を包み込んだ………。
雪は溶けて春が来る 華ノ月 @hananotuki
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