59話 激闘の末——


 途中出場の俺は、ヴィクトル先輩とツートップを組みような形で投入された。


 俺が送り出されたタイミングで残された時間は20分とロスタイム。

 試合も終盤に差し掛かり、1点リードしている小田原ユナイテッドは、無理して攻めに行かず自陣に引いて守る戦法を徐々に取り始めていた。


 流石の阿崎も引いて守る敵に苦戦しているようで、俺が入ってからもなかなかFWまでパスが通らない。

 その上、敵の選手が時間稼ぎのためにちょっとした接触で倒れ込み、起き上がらなくなってしまった。


 やばいな、このまま時間だけ過ぎていったらチャンスすら回ってこないんじゃ。

 俺が冷や汗を拭っていると、試合が止まっている間に阿崎が俺の近くに来た。


「あいつらプロのくせに虎の子の1点守りきるつもりだぜ」


 何を言いに来たかと思ったら、ただの愚痴だった。


「そりゃ相手だって大学生には負けたくないだろ」

「関係ねーよ! ボール持ってんのに攻撃してこねえのは卑怯だ!」

「それ、俺たちが1点リードしてても言えるのか?」

「…………むう」

「言えないだろ?」


 ぐうの音もでない阿崎は、タッチラインの外にあったペットボトルを拾うと坊主頭に水をぶっかけると、真面目な面構えに戻る。


「槇島……俺がドリブルで行けるところまで行くから、お前は一定の距離感保って最終ラインの間に構えてろ。タイミングよくロブパス出すから、お前はそれに合わせていつもの裏抜けしてこい」

「……お、おう」


 首尾よくいけばいいが……。

 敵の遅延行為が終わり試合が再開する。

 小田原の選手たちは無理に攻めてこないで自陣でボールを回しながら、ワンチャンスを狙っているようだ。

 俺とヴィクトル先輩が前からプレッシングに行くが、敵は淡々とプレスを躱して、貰いに来た金川へとパスを通す。


 またこのパターンだ。

 金川は自慢のドリブルで突破して来るはず。

 先輩たちも同じことを思ったようで、金川のドリブルを警戒して構えていたが……ペナルティエリアの外でボールを受けた金川は、いきなり右足を大きく振りかぶると強烈なミドルシュートを放った。


 その位置から、ミドル⁈


 ゴールから30mは離れた位置から放たれた弾丸のようなミドルシュート。

 距離があったことで若干コースが甘くなり、チャン先輩は横っ飛びでボールを弾き、味方にボールを託した。


 金川のミドルシュートでスタジアム全体が響めいて、次第に歓声へ変わる。

 なんつう空気感だ。高東のファンまでみんな金川に熱視線を送ってるし……完全に試合のムードが小田原ユナイテッドに傾いてる。


 そんな空気感でも、阿崎だけは冷静だった。

 チャン先輩からボールを受けた阿崎は、真っ先に俺の方を見ると、周りの先輩たちを動かしてパスコースを作りながら一気に上がってくる。

 前線のヴィクトル先輩にボールが渡り、先輩の身体を張ったポストプレーを経由して、阿崎が再びセンターサークルの右でボールを受けた。そこからは緩急のあるドリブルで1人また1人と敵を往なすと、中央で待つ俺の方へ顔を上げる。


 このタイミングならいける、あとは俺が裏のスペースに俺が走り込めば——っ。


 俺は最終ラインからオフサイドギリギリのタイミングで抜け出す準備を始めた——が、試合終盤ということもあり、ついに阿崎にも限界が来ていた。


「え……」


 阿崎の右足から放たれた——俺の前方へと向かっていくはずのロングフィードが、どんどん右に流れていく。

 阿崎、やっぱり無理して……。


「——槇島ァッ! 死んでも残せッ!」


 普段の阿崎からは考えられないくらいの、怒号にも似た叫びが耳に届き、俺の身体は反応した。


 トップスピードでタッチラインを割りそうになったボールに足を伸ばし、スパイクのインサイドでなんとか残すと、ペナルティエリア5m手前で持ち直す。


 このまま中央に向かってドリブルを……。


「待て、16番——」


 アメフト選手のような肉体の影が背後から襲いかかる。


 か、金川……っ⁈


 背後から現れた金川は、右足のアウトサイドで俺の足元にあるボールを弾いた。

 オフェンスだけじゃなくてディフェンスまで上手いとか、こいつ、反則すぎる……っ。


 せっかくピッチに残したボールが、タッチラインの方へと転がっていく。


 身体も強くて、足も速くて、生まれ持ったサッカーの才能もあって、羨ましい——俺はずっと、金川みたいな才能に満ち溢れた選手になりたかったのかもしれない。

 何もない俺は、無いものねだりをするように、オーバートレーニングになるまで練習して……結局俺は何も得られてない。

 だから、金川みたいな絶対的な才能を前に……このまま負け——。


『弱気にならない! サッカーだろうがなんだろうが、向上心がない人間は淘汰されるだけ!』


 不意に脳裏をよぎった佐々木の言葉。

 初めて会った夜の河川敷で弱音を吐く俺に佐々木が言ったあの……。


「ふっ」


 こんな絶望的な状況なのに、笑っちまう。

 リアル金川流心を前にして、つい自信を無くしてたなんて……佐々木あいつが聞いたらぜってー怒るよな。


 そうだ……俺には才能なんて無くていい。

 別にサッカーで一番にもなれなくていい。

 誰かを見返す力も、誰かに賞賛される能力も要らない。


 ただただ、"佐々木絢音"1人を喜ばせられる、そんな男になりたい……っ。


「だから、約束……っ!」


 金川に弾き出されたボールに目を移す。

 まだ、ラインから外に出てない。


「16番、お前」


 金川が外へ弾こうとしたボールを、俺は股関節が抉れるくらい目一杯に足を広げ、タッチラインのスレスレでボールを回収する。


 そのままバランスを崩していた金川を置き去りにして右サイドから中央に向かって侵入していく。


「こいつを潰せ! ファウルでもいい!」


 背後から金川の指示が飛び、小田原の選手がカバーに入ってくる。


 ドリブルがド下手な俺が、プロ相手に抜けるわけない。

 だから俺は、あいつを信じてノールックで中央にボールを戻すしかないっ。


「こい……っ! 阿崎っ」


「……ごーかくだぜ、槇島ぁっ!」


 歯茎を剥き出しにしながら、全速力で上がって来た阿崎は、俺からのパスをワンタッチで最終ラインの背後に放った。


 オフサイドギリギリ、いや、もしVARがあったら出てたかも知れないくらいのタイミングで、右サイドから中央の最終ラインの背後に切り込んで阿崎のロブパスを完全フリーで受ける。


 俺はワンタッチでシュートモーションに入ると、そのまま左足を振り抜いた。


「……っ」


 ゴールが決まる時、いつも俺の視界はゆっくりになる。

 ボールがネットに擦れる音も、周りの歓声も、全部、鮮明に記憶する。


 今日の音は、一生忘れない。


【小田原1ー1高東】


 ✳︎✳︎


 響めきと万雷の拍手が混ざり合い、ピッチの一点に注がれる。


「やった! 絢音ちゃ……っ」


 あたしは、そのゴールに涙していた。

 涙が頬を伝っても、一切目を閉じずに槇島祐太郎ただ1人を見つめる。


 嬉しいなんて言葉では表現できない。

 槇島と歩んだこの1ヶ月が、全て報われた瞬間だった。


「……もう、ずるいよ絢音ちゃん。わたしも泣きたいくらい嬉しいのにっ」


 槇島は他の選手たちに飛びつかれたり、手荒い祝福を受けながらも、ボールを抱えてスタンドの方に歩み寄ってくる。


 あたしが槇島だけを見ているように、槇島もあたしだけを見ていた。

 目の前にいる応援団から大歓声を受けながら、槇島は少し恥ずかしそうに手で何かを作って、あたしの方に向けた。

 あれは……。


「あ、ああ、絢音ちゃん、ハートだよあれ!」

「ひゅー。マキもなかなかやるなぁ」


 ……槇島ったら、らしくないことして。

 本当は嬉しくて仕方ないのに、今は涙が止まらなかった。


 その後……槇島のゴールで同点に追いついた高東大学は、延長戦・PK戦の末なんとか勝利した。

 PK戦は1番手の槇島が思いっきり外したことで、危うく戦犯になりかけてたけど、高東のGKが3連続セーブしたことで難を逃れた。


 試合後、槇島から連絡が来るまでの間に緊張を鎮めるため、近くのカフェでパンケーキを2枚だけ食べていると、槇島からlimeが入った。


 ……この後、槇島から大事な話をされるんだよね。


 スタジアムで散々泣いて真っ赤な目をしたあたしは、緊張の面持ちで会計を済ませると、待ち合わせの場所に向かった。

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