58話 ピッチに立つ


「アップ開始しろ」

「「はいっ!」」


 コーチに言われて、ベンチの裏でアップを開始した俺たちは試合を観ながら身体を動かす。

 プロ対アマの一戦ということもあり、プロの意地とアマの野心がひしめき合って、試合開始直後からピッチの熱気は凄まじかった。


 そんな、スタジアムが熱気に包まれる中で1人、飄々と巧みなプレーで会場を湧かせていたのが阿崎。ボールを受けてから相手の意表を突くパスと巧みなボール捌きはプロ相手にも通用している。


 高東大学は阿崎の崩しと、ポストプレーを得意としたヴィクトル先輩にボールを集めるスタイルで、何度も決定機を作っていた……が、一気に流れが変わったのは前半ロスタイム。

 前半残り1分というこの時間帯に、ここまで鳴りを潜めていた金川流心が動き出す。


 小田原のDFがクリアのつもりで前に蹴ったボールを、センターサークル周辺で収めた金川は、反転して高東ゴールの方を向くと、殺気にも似たオーラを放つ。


 まずい、金川が、来る……っ!


 屈強な足から生まれる大きなストライドを武器に、一気に前へボールを蹴り出すと真っ正面からDFに勝負を仕掛けてきた。


 高東大学史上最高とも称される最終ラインが、並走しても置いていかれるほどに縦に速いドリブル。

 ぶっちぎった金川は、そのまま高東GKのチャン先輩と1対1になる。

 勢いのまま豪快なシュートを撃つと誰もが思ったはずだ。

 金川は軸足で急ブレーキをかけると、ここまでの勢いを一気に殺し、逆足のつま先でふんわりとボールを浮かせた。

 弧を描くようにチャン先輩の頭上を通り過ぎて行ったループシュートが高東のゴールに吸い込まれていく。


「す……すげ」


 あまりの衝撃に会場が一瞬静まった。

 あと1分守れば0対0で前半を折り返せたのにまさかの失点。

 一瞬の隙を見逃さない——これが世界に認められた金川流心の実力……っ。


【小田原1ー0高東】


 そのまま前半が終わり、チームは一度ロッカールームに引き返した。


「最後の1分、気が緩んだか?」


 当然、監督の説教タイムが始まった。

 その後も監督の怒号が響く中、阿崎が俺に耳を貸すよう合図してきた。


「……生の金川流心めっちゃやべーぞ。追いつける気がしねー」

「監督の説教中に余計な話すんな」


 この状況を楽しめる阿崎のメンタルが理解できない。

 俺はいつ出番がくるかドキドキしてんのに。


「後半からシステムを変える。阿崎清一。一列前へ出ろ」

「うぃっすー」


 阿崎はいつもの調子で答えて、脛当てをソックスの中に入れ直す。

 阿崎はテクニックで敵を圧倒していたが、今日はいつもより汗の量が多い。

 俺の前では強がっているが、阿崎もかなり足に来ているようだった。


 それから程なくして後半が始まる。

 1対0で負けている状況だからか、前半以上の運動量で前への圧力がどんどん強くなっていく高東大学。


 あの阿崎の疲労から見ても、俺が最初から入っていたら前半の45分すら持たなかっただろう。

 こうやって試合を観ているだけでも、俺には足りないものだらけだって思い知らされる。


 でも、後半からなら『違い』を出せる自信がある。


 後半20分を過ぎ、ベンチから作戦ボードを持ってコーチが来る。


「槇島、行くぞ」


 ついに来た……っ。

 俺は緑色のビブスを脱いで、背番号16の真紅のユニフォーム姿になる。


 ——観てるか? 佐々木。


 天皇杯の舞台で、このユニフォームを着ているのも全部お前が応援してくれたおかげだ。


「ありがとな」


『——高東大学、選手の交代をお伝えします。13番に変わって、16番……』


 スパイクの紐をキュッと結んで立ち上がる。

 阿崎とアイコンタクトを交わし、白線の内側へと足を踏み入れた。


 後半24分、俺はピッチに送り出された。


 ✳︎✳︎


「槇島くん出てくるみたいだね?」

「う、うんっ」


 槇島がベンチでビブスを脱いだ途端、スタンドの前方から黄色い声援が聞こえてくる。


「うわー、槇島くん人気だね」

「え"、槇島にファンとかいるの?」

「多分ファンとかじゃないと思うんだけど……ほら、これが原因だと思う」


 ゆずちゃんはバッグから新聞紙を取り出すと、あたしに見せてくれた。


「何これ。大学新聞……? あ」


 高東大学新聞と書かれた新聞の表紙に、シュートを撃つ槇島の写真が大きく載っていた。


「大学の新聞部が【サッカー部の新星 槇島祐太郎・阿崎清一】って見出しで新聞出してたの。槇島くんの写真が大きく載ってたから、それを見てここに来た子が多いのかも」

「ふっふっふ。今さら気づいても遅いもん」

「す、凄いドヤ顔だね絢音ちゃん」


 ちなみに阿崎の写真は、証明写真みたいなのが申し訳程度に槇島の立ち姿の隣に小さく載せられていた。(坊主頭なのも相まって犯罪者みたい)


「やっぱマキはかっけーなぁ。もし将来サッカーでプロになれなかったら、元アイドルの嬢ちゃんのコネで、ファッションモデルとかにしてやってくれよ」

「え? 岸原さんあたしのこと知ってたんですか?」

「おう、しずくから聞いた」


 しずくちゃんは「えへへー」と照れくさそうにはにかむ。

 いやいやいや。


「しずくちゃんっ、ナイショって言ったじゃん!」

「だってお父さんにね、このカチューシャ誰に貰ったの? って聞かれて、ナイショって言ったらおまわりさん呼ぼうとしたから仕方なく……」


 た、確かに、何の事情も知らない親からしたら心配になるけど……。


「その節はうちのしずくがお世話になりました」

「急に律儀……。岸原さんはしずくちゃんがあたしからカチューシャ貰ったって言われて信じたんですか? 子どもの嘘とか思うんじゃ」

「うちのしずくが嘘をつくとでも?」

「急に親バカ……」


 あたしたちが話してる間に槇島がピッチに入り、試合が再開する。

 昨日の電話では『出れないかもしれない』とか弱音吐いてたから心配だったけど、ちゃんと出れたからひとまず安心した。


 あとは、チームを救う一点をもぎ取れるかどうか……。

 あたしは祈るように試合を見つめていた。


 ✳︎✳︎

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