55話 佐々木絢音が輝きたい場所


「今日はありがとう。ゆずちゃん」

「うんっ。またね、絢音ちゃん」


 ゆずちゃんと大学前駅で別れた頃にはすでに夕方になっていて、あたしは地下鉄に乗り換えてマンションに帰った。


「それにしても、この名刺……」


 部屋に戻ってバッグの中から水城さんが残していった名刺を見る。

 そこに書かれていた【坂木プロダクション 坂木真由美】という名前。

 カフェでその名前を見た時、あたしは鳥肌が止まらなかった。


 スマホの写真ファイルに入っているあの写真を表示する。

 緊張でぎこちない笑顔を浮かべる、当時小学生だったあたしの隣でマスクを外しながらクールに笑う女性。

 彼女こそ、坂木真由美本人だった。


 坂木さんは小学生だったあたしにアイドルという夢を与えてくれた人。

 5人組アイドルグループ『ピース・ラバーズ』の中心人物として一世を風靡した元人気アイドル。

 カリスマ性があって、大人っぽい魅力があって、そんな彼女にあたしは心酔した。

 高校入学前にGenesistars3期生のオーディションに合格したあたしは、坂木真由美と同じ栗色のベリーショートにしてからデビューするほど、尊敬していたのだ。


 その坂木真由美が、あの水城さんを経由してあたしに名刺を渡してくるなんて……。


 嬉しくて仕方ないけど、嫌な予感しかしない。

 坂木プロダクションの存在は前々から知っていたし、綺羅星絢音の時から引退後は彼女のプロダクションに入って仕事の幅を広げたいとも思っていたくらいだ。

 だからこそ、この名刺が来た意味が、すぐに理解できた。


「きっと芸能界復帰の……オファー、だよね」


 あたしは複雑な面持ちで、スマホの電話画面を開く。


 憧れに、近づけるんだ。


 坂木さんと一緒に仕事ができるなんて、夢のような話。

 現役時代の綺羅星絢音が、ずっと夢見て、望んでいた道……でもある。


「つまりそれは……佐々木絢音あたしが、望——」


 手の中のスマホがブルルッと振動する。

 スマホの画面上には【着信:槇島♡】の文字が現れ、曇ったまなこに光を取り戻させる。


「ま、槇島?」

『おお、佐々木……その、元気にしてたか?』

「う、うん……元気だよ」


 あのキス騒動以来、槇島が練習で忙しいのもあって、ずっと会っていなかったこともあり、お互いにぎこちない会話になってしまう。


「今日もパンケーキ6枚食べたし」

『げ、元気すぎだろ! 特に胃袋』


 槇島はこの前のキスが無かったかのように、元気な声色で誤魔化しているようだった。


『あのさ、明日の天皇杯なんだけど』

「うん」

『お! お前にちゃんと! 伝えておきたいこと、あってさ」

「うん」

『もし点とか決められなかったり、そもそも出られなくても、どうしても伝えたいって言うか』

「弱気にならないの」

『ご……ごめん』


 Aに入るだけの実力は認められたのに、相変わらず自信が無さそうな槇島に喝を入れる。


「じゃあ、前みたいに約束しよ?」

『約束?』

「ほら、初めて会った時もしたじゃん」

『……あぁ、そういやしてたな』


 初めて会った時、河川敷でしたあの約束。


 あの時も確か、槇島が弱音を吐いていて、あたしは喝を入れながら無理矢理約束したんだっけ。


「明日の試合、あたしが観に行ってあげるんだから、絶対に点決めること! できなかったら罰ゲーム!」

『罰ゲームは、なんでも一つ言うこと聞くこと、か?』

「せーかい」

『よし、判った……」


 槇島は相槌をうった後に急に無言になる。


「あ、あれ? 槇島?」

『その代わりさ』


 なんだ、急に黙るから電話が切れたかと思った。


『俺が点決めたら、一緒に帰ろうな』

「う、うん。別にいいけど、一緒に帰るって?」


『お、俺の家に……決まってんだろ』


「へ⁈」

『じゃあ、ま、また明日な!」


 電話が一方的に切れ、あたしはスマホを手から落としながら天井を見上げた。


「槇島……っ」


 手元の名刺に目を落とす。


 なに、迷ってたんだろあたし。


 今、あたしが一番輝きたい舞台は芸能界じゃ無い。


 あたしは、アイドルだった自分を決別し、初恋の相手である槇島祐太郎の中の一番になるためだけに、ここに来た。

 自分の意思で、ここに来たんだ。


 あたしは坂木さんの名刺を自分の写真集の真ん中に挟んで、押し入れに放り投げた。


 坂木さんには申し訳ないけど、これが、今は亡き綺羅星絢音としてのケジメ。


「あたしは、佐々木絢音だ——」


 そして、佐々木絢音いまのあたしが一番望んだ場所は、武道館でも、国立競技場でもない、槇島祐太郎の……隣なんだ。


 ✳︎✳︎

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