49話 別れ際、初めての——kiss


 シャチのショーが終わると、もう一度館内を見て回り俺たちは水族館を出た。

 最寄りのバス停まで来たところで、俺は現在時間を確認する。


「次のバスは……10分後か」

「なら、せっかくだし駅まで歩かない?」

「歩く? ここから駅まで歩いたら30分くらいかかるぞ?」

「いいからっ」

「お、おう」


 佐々木はご機嫌そうに繋いだ手を引いて歩き出す。

 ま、まさか佐々木のやつ、この後パンケーキを食べるから、食前の運動するのが目的⁈

となるとパンケーキ屋に直行する気満々ななんじゃ……?


「ぱっ、パンケーキの件なんだが……今日は胃袋が糖分を受け付けてないというかなんというか」

「もー、ぶつぶつ言ってないで行くよー」


 佐々木と俺はバス停から離れると、駅に向かい、人の少ない田舎道を歩き出した。


「佐々木はどの魚が一番良かった? やっぱクマノミか?」

「……手、かな」

「は? 手?」

「あ、ちがっ。か、カメノテのこと! はぁ、カメノテ可愛かった〜」


 カメノテなんていたっけ? 俺が見落としてただけかもしれないが。


「館内の土産物屋には寄らなくてもよかったのか? シャチのでかいぬいぐるみとかあったし、佐々木、あーいうの好きだろ?」

「またそーやってあたしのこと子ども扱いしてる!」

「別に子ども扱いしたつもりは無いんだが。欲しいならひとっ走り行ってくるぞ?」

「だ、だめっ。今は手が離せないから、大きいぬいぐるみとか要らないもん」


 佐々木はぷいっと顔を逸らす。

 今日の佐々木は難しいな……。

 俺が困っていると、佐々木は不意に肩を寄せてくる。


「また来たいね、水族館……」


 機嫌が良いのか悪いのかどっちなんだよっ……!


 ✳︎✳︎


 30分ほど歩いてやっと最寄りの駅に着くと、東京までは電車で戻った。

 車窓から見える空から茜色の雲が消え、一面夜空に変わっていく。

 俺は、電車の中でも繋がれたその手に目を落とす。

 もう水族館は出たし、手は離してもいいと思うんだが。

 さりげなく手を緩めると、佐々木は瞬時に握り返してくる。


「……離しちゃ、ダメだから」


 佐々木は小声でそう言うと、さらに強く手を握った。

 今日の佐々木は不思議だ。

 なんとなく、いつもと違って甘えん坊のように思えて。

 いつもならお姉さん振る佐々木だが、今日だけは人懐っこい妹みたいな感じだった。

 千葉を出てやっと東京に入ると、俺たちは互いに違う地下鉄に乗り換えるために、一度改札を出た。


「ここで乗り換えだな」

「そ……そだね」

「せっかくだし、どこか寄ってくか?」

「じゃあパ」

「パンケーキはまた今度」

「えぇー。……じゃあ、地下鉄の駅までちょっと歩くから送って?」

「りょーかい」


 佐々木と手を繋ぎながらすっかり暗くなった夜道を歩く。

 車通りも人気ひとけもない道だから送って正解だったな。


 地下の改札へ繋がったエレベーターの前まで来ると、俺たちは足を止め、繋いだその手もやっと離した。

 離したら離したで違和感がある。


「今日は誘ってくれてありがとな」

「槇島の方こそ、試合で疲れてるのに来てくれてありがと」

「……その、疲れてるからこそ、お前に会いたかったって言うか。佐々木といると、疲れとか吹っ飛ぶし」

「槇島……っ」

「それとパンケーキは今度絶対行くから。もし俺がAに選ばれて、天皇杯も終わったら、少しは時間が……って、佐々木?」


 佐々木は急に神妙な面持ちで俺の方を見つめている。


「やっぱり……我慢できない」


 佐々木は辺りを見渡してからマスクを下ろす。


「おま、何して」

「槇島……っ」


 佐々木はつま先立ちしながら俺の両肩に手をかけるとそのまま身体を預けた。

 重なった体が、互いの鼓動を強く感じさせる。


「佐々……木?」


 瞳を閉じて、俺の頬に顔を近づける佐々木。

 俺は抵抗することなく、それを受け入れた。


 ——佐々木の唇が、俺の頬に触れた。


 10秒、いや、14秒。俺の頬は佐々木の唇を感じていた。

 この14秒は……俺にとって永遠に思えた。


 ゆっくりとその柔らかな唇が離れると、敏感になった俺の肌へトドメとばかりに佐々木の吐息が撫でる。


「佐々木……?」

「……ご、ごめん槇島っ!」


 佐々木は下を向きながら颯爽とエレベーターに乗り込むと、地下へ行ってしまった。


 佐々木が行ってしまってからも、俺は一人でその場に立ち尽くす。


「え…………っと、家、どっちだっけ」


 突然のキスに動揺しまくって、帰り道すら判らなくなった俺は、スマホがバイブしていることすら気が付かなかった。


 ✳︎✳︎


———

初々しい……。

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