40話 佐々木の香りと次の死闘


 ガラス張りのエレベーターの中で藍原と2人きり。

 上がってる時間、他にすることも無いし、ボーッと立ってるだけでもそのバニラのように甘くて良い香りが俺の鼻腔をくすぐるのだ。


 佐々木の香りに……似てる?

 たまたま佐々木と同じシャンプーとかコンディショナー使ったとかか?

 佐々木と藍原は同じゼミの友達同士なんだしコスメ? とかの話の中で教えあったりするのかな。


「どうしたの?」


 あれこれ考えていたら、藍原が俺の顔を覗き込んでくる。

 距離が縮まったことで、さらに佐々木の香りが濃くなる。


「な、なんでも、ない」


 ぎこちなくそう答えると外の風景に目を移した。


「明日も試合だけど、頭の方は大丈夫?」

「おう。全然異常は無いし、監督も2試合フルで出るのを許してくれることになった」

「本当⁈ じゃあ明日が大一番になるってことかぁ」


 藍原は大きなその瞳を輝かせて言った。


「この後のミーティングで明日の予定が発表されるみたいだが、明日も社会人とやるのかな?」

「マネージャーの先輩に聞いた話だと、例年通りなら高校生とやるかもって」

「高校生⁈ な、なんかなぁ……」


 年代カテゴリーが下のチームとやるのはどうしてもモチベーションが下がっちまう。

 例え明日活躍しても「高校生だから当たり前」と言われ、失敗すれば「相手は高校生なのに」と罵倒される。

 上の年代からしたら得は一切無い。

 まぁ、高東大学Bチームだから文句は言えないのだが。


 エレベーターでホテルの7階に向かい、大広間にあるミーティングルームへ到着した。

 もう既に殆どの選手たちが集まっていた。

 その中には阿崎の姿もある。


「阿崎のやつ、珍しく俺たちより早く来たな」


 3人掛けの長机がズラッと並んだ部屋の前方で、1人大人しく座っている阿崎の姿が。

 俺と藍原は阿崎の隣にある2席に腰を下ろす。


「おい、どうしたんだよ阿崎」

「……」

「そりゃ温泉でショッキングなモノを見ちまったのは同情するが、プレイボーイのお前がそこまで落ち込まなくても」

「槇島……ちょっと黙れ」


 阿崎は目を細めてこちらを見てくる。

 不機嫌そうというわけではなく、怒っているわけでも無さそうだが、いつもの阿崎ではないことが確かだ。

 どうしたんだよこいつ。

 阿崎の異変に気づいた俺と藍原は目を見合わせる。


「あ、阿崎くん?」

「……」


 藍原の心配すら受け付けないほど、阿崎の顔は今までにないくらい真剣だった。

 阿崎が真顔の理由が分からないまま、監督が入ってくるのと同時にミーティングが始まる。


「全員、集まったな」


 監督は白髭を撫でながら人数を確認する。


「明日、急遽Aと試合をやることになった」


 Aと……試合⁈

 1軍であるAチームと2軍のBチームが、直接試合できる機会は今までなかった。


「明日は午後から試合の予定だったが、午前の練習も試合に変更。Aの監督がBのお前らを観たいらしい。特に阿崎」

「……はい」

「9割はお前目当ての試合だ」


 だろうな。1年生でずっと試合に出してもらってるのは阿崎だけ。

 それだけ阿崎はAからの期待も大きいってわけだ。

 もしかして阿崎の様子がおかしいのもこれが原因なのか?


「他の奴らは阿崎をダシに使うくらいの気持ちでアピールしろよ。1年生以外は知ってると思うが、ゴールデンウィーク以後はAのメンツも一気に変わる。特に4年生はここでダメなら次はないぞ」


 周りの4年生の目つきが変わる。

 ラストイヤーなのにBにいる現状……当然焦るよな。

 でも俺は、そんなことで譲るつもりは無い。

 その後は、明日の日程と今日の試合のビデオを観てミーティングは終わった。


「阿崎」


 ミーティングが終わってもなお真剣な顔の阿崎に声をかける。

 藍原はそれを隣で心配そうに見ていた。


「お前、さてはAとやるのを知ってただろ?」

「あぁ。チャンパイセンから聞いてた」

「……ビビってんのか?」

「正直な話をしていいか?」

「おう」


「すっげー楽しみなんだよ……。女遊びとか比べものにならないくらいに、Aをぶっ倒すのが楽しみで楽しみで仕方ないんだっ」


 真剣な眼差しから一転、急にニヤけだす阿崎。


「そんなことだと思ったよ」


 阿崎という男はただ性的に変態なのではない。

 全てにおいて変態。つまりサッカーにおいても変態で、試合ではわざと敵を集めてドリブルを試みたり、普段のトレーニングも常に自分を追い込んで成長し続ける変態な才能を持っているから彼は強い。気持ち悪いけど強いのだ。


「Aの猛者をごぼう抜きしたらどんだけ気持ちいいのか、想像しただけで最高なんだよ」

「さっきから簡単に言うけど、相手は大学リーグ2連覇中のチームだぞ?」


「やるんだよ。俺と槇島の2人でAの最終ラインを崩壊させる」


 阿崎は自信に満ちた顔で俺の胸に自分の拳を当てた。


「それに俺たちにはあのサインプレーもあるじゃねーか」


 敵の虚を突いて確実に1点を取れるサインプレー。

 確かにあるが……1軍監督の御前であれやるのか。


「ねぇサインプレーって槇島くんがバスの中で言ってたアレ?」

「そうだぜ藍原さん。この合宿のために練習してきた、"Mの槇島"だからできる最高のサインプレー」

「俺はMじゃない!」

「いいやMだ。こいつが部屋に隠してる、美人教師に監」

「いらんことを言うなバカ!」


 そんなこんなで1日目が終了し、2日目の全てをかけた死闘が始まろうとしていた。


 ✳︎✳︎

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