36話 これまでの軌跡と、待望の——


 ゴールデンウィーク合宿1戦目は千葉の社会人チーム。

 試合前、青空の下でミーティングが始まり、阿崎と俺はスタメンに選ばれた。

 4-3-3のフォーメーションで、阿崎は中盤のボランチ、俺はCF(センターフォワード)を任される。


 まずはスタメン入りできたことに安堵した。

 スタメンにすら入れないなら、Aチームに推薦なんてしてもらえない。


「槇島。今日は、前みたいに危険なプレーをするのは控えるように。判ったな?」

「……はい」


 監督に釘を刺され、渋々頷いた。


「次、脳震盪に近い症状を起こしたらお前はその時点で変える。それも理解しておけ」


 サッカーにおいて脳震盪は頻繁に起こり得る事象ではあるが、下手したら死者が出る可能性もある。監督も慎重になるのだろう。

 でも、そんな病み上がりの俺をスタメンにしてくれるって言うのはこの前の試合でかなり信頼を勝ち得た証拠と見て間違いない。

 ミーティングが終わり、選手たちがピッチに向かう。


「槇島くん」


 マネージャーの藍原がさっき使ったホワイトボードを片手に俺を呼び止める。


「焦らないでね。もしまた怪我したら、辛い時間を過ごすことになるし」


 藍原は自分も選手だったからか、俺の気持ちをよく理解してくれていた。

 怪我で休んでいる時間、周りが上手くなることを想像するだけでゾワゾワして落ち着かない。置いていかれる焦燥感と孤独。

 楽しい気持ちの裏で本当は辛い1週間だった。


「でも俺、どうしても1軍上がりたい。1軍のAチームに入って、天皇杯に出たい」

「天皇杯……?」

「だから今日は……アピールを!」

「ダメ。上に行きたいと思うなら尚更無理はしないこと。判った?」

「藍原……」

「わたしがマネージャーになったからには、見過ごせない」

「でも」

「今ビンタされるのと、背中を押されるの、どっちがいい?」

「ビっ⁈」

「それくらい本気で言ってる。このままだったら槇島くんは……絶対に無理をする」


 藍原はいつものとろんとした優しい目ではなく、力のこもった厳しい目をしていた。


 ついさっきまで無理をするのもやむなしと思っていた自分がいた……でも、自分の体すら守れない奴に、女1人を守れるわけがない。


「サッカー選手は身体が資本。もっと自分を大事にして」


 俺が焦る度に藍原が軌道修正してくれる。

 ここで怪我をすれば全てが水の泡。

 小田原ユナイテッドとやれる千載一遇のチャンスなのに、金川をぶっ倒すことすらできないまま終わっちまう。


「……判った。無理はしない、約束する」

「うん、偉いよ槇島くん」


 藍原は思いっきり俺の背中を押して、ピッチに送り出してくれる。

 少し肩の力が抜けた。ありがとな、藍原。


「右サイドもっと高めでいい! CBは俺のポジショニングに合わせろ。ビルドアップには俺が中央で参加する」


 試合前から選手たちに指示を送る阿崎。

 こいつ、ほんとサッカーになると真面目なんだよなぁ。(一生サッカーだけやってればいいのに)


 試合は高東Bのキックオフで試合が始まり、俺はキックオフのボールを阿崎に預けて前線へと走り出す。


 さぁいつでも来い、阿崎。


 味方が一気に全体のラインを押し上げる中、阿崎は1人センターサークルの後ろに留まって、足裏でボールを転がしながら遊んでいる。


「突っ立ってふざけてんのか大学生! 社会人舐めてるだろ!」


 周りの大人たちから苛立ちの声が聞こえる。

 キックオフの後に前へ蹴り出すのは通例だが、阿崎はずっと足裏でボールの感度を確かめており、周りには挑発行為に映った。


 しかし阿崎は冷静で、ボールを奪いに来た選手を次々と躱して前進する。

 その様子はまさに百人組手。

 次から次へと来る敵を薙ぎ倒す勢いで、ワンタッチ、ツータッチですり抜けていく。


 そして。


「槇島ぁぁああ——っ!」


 背中から俺を呼ぶ声がする。

 阿崎のロングフィードは風に流されてながらペナルティエリアの方向へ。


「18番チェッ……クって、いない⁈」


 阿崎のフィードは自主練で何本も受けてきた。

 パススピード、タイミング、全て身体が覚えてる。


 ペナルティエリア左隅へ放られた、オフサイドギリギリを攻める阿崎の長いパスを誰よりも速く反応した俺の足にボールが収まった。


 まだ前半3分。

 奇襲ともいえるオフサイドギリギリの抜け出しで、完全にフリー。


 敵の最終ラインは全員、青信号を渡る小学生みたいに右手を上げてオフサイドをアピールしているが、副審の旗は上がらない。


 キーパーとの1対1。


 これは——。


「俺が、一番好きな形」


 小学生の頃、仲間内でやるサッカーで「ごっつぁんゴール」ばかりしてたらいつしか周りの友達から『ゴール泥棒』と呼ばれていた。


 中学に上がって、友達の勧めで東フロのJr.ユースに入ってからも俺はゴール泥棒扱いされて、評価して貰えず、ユースチームに上げてもらうことができなかった。


 それでも俺はサッカーを諦めきれずに、名門の星神学園高校に入った。


 そこでも同じようにごっつぁんゴールを量産しても結局否定される……と思っていたが、1人だけ俺を信じてくれた人がいた。


『マキ、お前が星神の9番を背負え』


「——っ!」


 俺はここまで走ってきた勢いを、そのまま右足に載せて、思いっきり振り抜く。


『マキ。キーパーが一番嫌いなコースって知ってるか?』

『嫌いなコース? 股下とかですか?』

『それもアリだが、正解は——』


「顔横っ!」


 ボールはキーパーの顔の真横を通り抜け、ゴールネットに突き刺さった。


 ✳︎✳︎


「おい嬢ちゃん! マキが決めたぞ!」

「す、凄い……」


 槇島は敵DFを掻い潜って完全に抜け出し、モジャモジャ頭から放られたボールをそのまま豪快なシュートで決め切った。


 まさに電光石火の一撃。


 かっっっこよすぎる!


 あたしは知らない間にスマホのカメラを長押ししていた。


「じょ、嬢ちゃん。連写しすぎだろ」

「おじさんは撮らないんですか⁈ もったいない!」

「男が男を撮るってのはちょっとなぁ。一応既婚者だし」

「え……? ちゃんと家族養えてます?」

「働いとるわ! 小学生の娘もおるし!」


 監督辞めたのに、こんな真っ昼間から試合観てるからてっきり無職かと。


「ん、マキがこっち来たぞ」

「え?」


 ベンチでゴールを祝福されていた槇島は、自陣に戻る前に観客席の方を見渡し、あたしを見つけるとその場で足を止めた。

 あたしもその視線から目を離さない。


 時間が止まっているようだった。


 話していないのに、槇島の本気が伝わってくる。


「……頑張れ、槇島」


 槇島は笑みを浮かべて、ピッチへと戻って行った。


「嬢ちゃん良かったなぁ。マキがファンサービスしてくれたんだろ?」

「そ、そうですね、あはは」


 その後試合は槇島の1点だけで前半を折り返した。

 前半が終わったのと同時に、岸原さんは誰かと電話をしている。


「んだよ、映像はお前が撮っておけ! なに? バッテリーがない?」


 なにやら揉めているようだが、大丈夫なのかな。


「クソが……。嬢ちゃん、ちょっと席外すから荷物の方、頼んでもいいか?」

「大丈夫ですよ」


 岸原さんが席を立った時、岸原さんのポケットから一枚の写真が落ちた。

 家族写真? のようだった。

 さっき言ってた娘さんの入学式の時の写真みたいだ。

 スーツ姿の岸原さんと、なかなか美人の奥様、その間には小学生の女の子が……。


「ん? この子、どこかで見覚えが……あ!」


 この子、この前、あたしを綺羅星絢音だと見破って話しかけてきた……たしか、しずくちゃん?


 パッチリと開いた瞳とまだ幼げな丸顔。


 なるほど……しずくちゃん、あの父親譲りの慧眼の持ち主だったのかぁ。

 納得だけど、納得したくないような。


 ✳︎✳︎

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