35話 合宿1日目〜MIZUKIの罠と佐々木の写真〜


 ゴールデンウィークが始まり、合宿初日。

 毎年恒例らしいゴールデンウィーク合宿は道路が混雑するという理由で早朝4時に選手たちは集められ千葉へ向かう。

 それを見越して早寝した俺とは対照的に、いつも以上に髪がモジャってる阿崎は、眠たそうに目をこすっていた。


「そんな様子で大丈夫なのかよ阿崎っ」

「だってよぉ〜。ふぁ〜あ。ついさっきまで女の子とお楽しみだったんだから仕方ないだろぉ?」

「おまっ! この3日間がどれだけ重要なのか判ってねぇのか!」

「あー! うるさいうるさい。チェリーボーイのねたみダルっ」

「妬んでねーよ!」


 監督が来て、選手たちが次々バスに乗り込み千葉へ向けて出発した。

 俺と阿崎、さらに藍原の3人は最後列の5人掛けの席に座ることに。

 藍原には左の窓際を譲ったので、てっきり阿崎は藍原の隣に座りたいと言うと思ったのだが。


「槇島、座れ」


 なぜか俺に藍原の隣を譲ってきた。


「どうしたんだよ、お前らしく無い」


「だってよ……す、好きな子に、自分の寝顔を見られるの、恥ずかしいだろ」


 阿崎はモジャっ毛を撫でながら、照れくさそうに言った。

 プレイボーイのくせにこういう時だけ乙女なのかよこいつ。


「そう思うならちゃんと寝てくれば良かっただろ」

「まさか藍原さんと一緒に座れるとは思ってなかったんだよ! こんな事になるなら4回戦でやめておけば良かった」


 ダメだこいつ。今すぐコンビ解消してぇ。

 阿崎は右の余った3席に足を伸ばして優雅に寝始めた。


「藍原、隣いいか?」

「う、うんっ」


 俺は阿崎と藍原の間の仕切りみたいな感じで座る。


「藍原は眠くないのか?」

「うん。海外サッカー観るためによく早起きしてるから慣れちゃって」

「さ、流石だな。俺なんか朝も夜も弱いから海外サッカーはいつも終わった後に見返しててさ」

「実はわたしも夜は弱くて……。起きてから観るの多いし、テレビつけっぱで、そのまま寝ちゃったりするし」

「めっちゃわかる。目が覚めると配信サイトのロゴと黒い背景がずっと写ってるんだよなぁ」

「そうそう! 寝落ちしても勝手に消えてくれないんだよねあの配信サイト。電気も付いてて罪悪感2倍だし」

「だよなぁー」


 俺たちが話で盛り上がっていると、隣で俺の腕を枕にして寝ていた阿崎が、後頭部をぶつけてくる。

 そして小声で「この寝取り野郎が」と言ってくる。

 別にサッカーの話してただけだろ。


「槇島くん、最近ずっと阿崎くんと不思議な特訓してたよね? フリーキックのオプションみたいな」

「あ、あぁ、あれは……そんな大したオプションじゃないんだけどさ。ワンチャン通用するかなって」


 横目で阿崎の方を見ると、既に阿崎はアイマスクをつけて眠っていた。

 阿崎のやつ、あのフリーキックはまだ他のヤツには秘密にしとけって言ってたからなぁ。


「それよりさ、藍原はこの前の東フロの試合、観に行ったのか?」

「うん。前半は負けそうな雰囲気だったけど、後半ロスタイムの来田さんのダイレクトボレーで勝てて良かったぁ」


 佐々木のこともあって後半はテキスト速報で見てたけど、そんな凄いシュートだったのか。


「それもこれも、ハーフタイムショーに勝利の女神としてMIZUKIが来たおかげかな?」

「み、MIZUKI……」


 名前を聞くだけで、なんか気まずい。


「槇島くん、MIZUKI好きなの?」

「ま、まぁ、普通くらいには」

「そうなんだ? ならMIZUKIが昨日動画サイトにアップした新曲、聴いた?」

「新曲?」

「うん! まだなら……一緒に聴く?」


 藍原はスマホに刺したイヤホンの片方を俺に差し出す。

 別にMIZUKIに興味は無いが……断るのも失礼だし……。


 俺はイヤホンの片割れを受け取り、藍原と一緒にMIZUKIの歌を聴く事に。


『キミは誰もが認めた空に輝く1番の星だった〜、それに比べて僕はそこら辺に落ちた空き缶の一つさぁ〜』


 やっぱ歌上手いな、MIZUKI。


『駅で待ち合わせ、キミが来るのを待って——』


 ん、ちょっと待て今の歌詞。


『キミは恥ずかしそうに顔を隠してやってきてさ——』


 おいおい……これ多分、俺と佐々木のデートのヤツだろ。


 あの人、佐々木が綺羅星って判った上で、あのデートを参考に曲作ったのか……?

 ただでさえ喧嘩別れした相手なのに凄いメンタルしてるな。


『僕はこんなどうしようもなくダメ人間でクズなんだけど——』


 さっきから俺と思わしき人物が"空き缶"とか"ダメ人間"とか"クズ"とか表現されてるんだが……あの1件でMIZUKIが俺にキレてることはよく判った。


『いつもみたいに小指を掴まれ僕は赤くなって——』


 いつもあんなことしてねえし、顔赤くしてなかっただろ! 俺!


「槇島くんどうしたの? 顔赤いよ?」

「赤くなっ! ……ない、から」

「?」


 藍原の前でこれを聞かされるとかどんな罰ゲームだよ! ドッキリのカメラでも来てんのか⁈

 はぁ……。佐々木とのデートを基にした曲を、同級生の別の女子と聞くって、普通に考えたら阿崎並にヤバいことしてるよな。


「ご、ごめん藍原!」


 俺はイヤホンを外して藍原に返す。


「お、俺、実は恋愛ソングが苦手っつうか」

「……へー。槇島くん意外とピュアなんだね? 可愛い」


 藍原に笑われて、さらに顔が熱くなる。


 この曲、佐々木にだけは聴かれたくねぇ。


 ✳︎✳︎


 今日は槇島の試合を観るために、あたしは在来線のグリーン車に乗って千葉へ移動して駅からタクシーで20分の場所にある総合スポーツ競技場にやってきた。


 おそらく整備などが行き届いてないであろう、閑散としたボロボロの観客席に腰を下ろし、ピッチを見渡す。


 槇島のユニフォーム姿、早く観たいなぁ。


 あたしはスマホを開くと、3年前からずっと大切にしてる槇島の写真を眺める。


 今日は新しいの撮らないと。


「へぇ……嬢ちゃん懐かしい写真持ってんなぁ」

「きゃっ」


 隣から渋い声が聞こえてスマホを閉じる。

 さっきまで、隣には誰もいなかったのに、いつの間に……!


「ちょっと覗き見しないでください! っておじさん……どっかで見たような?」

「ん? あぁ、あんたあの時の嬢ちゃんじゃんか」

「?」

「ほら、この前病院で会った。久しぶりだなぁ、お汁粉黒マスクの嬢ちゃん」


 黒マスクはまだしも、お汁粉……?


「どゆこと? 誰?」

「おいおい、こんなダサいサングラスとボロボロのネックウォーマー被ってるおっさん忘れんだろ!」


 おじさんは勝手にキレた後、苦しそうな呼吸を整えながら、曇ったサングラスを一拭きする。

 その時に見えたおじさんの瞳。


 こっ、この人……。


「おじさん、きしっ——」

「ん?」

「う、ううん! なんでもない!」


 ま、間違いない、この人……。


 3年前、星神学園高校に行った時、練習中なのに、ワンカップ小結こむすびを片手に持ってずっと怒鳴ってた高校サッカー界の名将……。(こんな人が名将とか高校サッカーヤバって思った記憶)


 かつての名将が、今は黒いサングラスをかけて、ぼろぼろのネックウォーマーで鼻から下を隠している。

 なんで顔を隠して……? きっと何かしらの事情があるんだろうけど。


「なぁ……さっきの写真からして、嬢ちゃんはまさか」


 え、もしかして岸原さん、あたしが綺羅星って気づい、


「槇島祐太郎のファンか?」


「……ま、まあ、そんなところですけど」

「あははっ、やっとあいつもファンが付くようになっのかぁ。まぁ、カッコいいもんな」

「う、うんっ」


 岸原さんはネックウォーマーを降ろし、懐からスキットルを取り出すとそれを口にする。


「ちょっとおじさん! ここでお酒は」

「大丈夫、麦茶だからよ」

「麦茶?」

「酒の飲みすぎでぶっ倒れて前の仕事クビになったんだ。それからずっと禁酒中」

「ですよね」

「ん? なんだその知った口は」

「な、なんでもない、です」


 あ、あぶない。口を滑らせるところだった。


「マキにもファンができたかぁ……。なら、高東を薦めて良かった」

「お、おじさんは、槇島くんのお知り合いなんですか?」


 彼が槇島の恩師だと知った上でそれを聞いてみると、岸原さんは難しい顔になって、またスキットルの麦茶を飲み干す。


「いいや。ただ……マイナーな選手が好きなおじさんだよ」


 いい歳したおじさんの涙声。

 それに意味が無いわけない。


 岸原監督が今、何をしているのか分からないけど、きっとこの人も槇島の試合を観に来たんだ。


「ほら嬢ちゃん、マキが来るぞ」

「え」


 強い風が吹く。

 その風に乗ってピッチの中央に現れた真紅の18番。


 3年前と同じように、あたしはスマホのカメラを槇島に向けていた。


 ✳︎✳︎

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