18話 元アイドルは背中を流したい!


 バスタブにお湯を張る傍らで、俺はバスチェアに座りながら佐々木に背中を洗ってもらっていた。


「槇島の背中って、意外と大きいね」

「そうか?」

「うん……」


 ボトンボトンと、バスタブに湯が溜まる音だけが聞こえる。

 さっきから佐々木の様子がおかしい。

 やけに声がとろーんとしてるような……。


「……なぁ佐々木。まさか、今になってこの状況が恥ずかしくなってきたとかじゃないよな?」

「はっ、恥ずかしくないし!」


 なるほど、その否定の仕方から察するに恥ずかしくなってきたようだな。


「アンダーシャツ着てるから大丈夫なんじゃなかったのか?」

「うるさい! ほら、腕上げてっ」

「腕? あぁ……」


 言われるがまま、腕を上げた瞬間、佐々木の手が俺の脇に入ってくる。

 びっくりした俺は「んっ」と声で反応してしまう。


「どしたの槇島⁈」

「わ、脇は大丈夫だ! 自分で洗う」

「そう?」

「脇は、流石に……」

「なんで?」


 1から10まで言わないと判らないのかこいつは。


「脇はなんつーか……えっちだろ」

「そうなの?」


 はぁ……元清純派アイドル怖すぎる。

 佐々木の場合、えっちい物の知識(財布の中にあったブツとか)はあるくせに、概念的な知識には疎いんだよな。


「髪も洗おっか?」

「いいや。頭の傷に気を遣わないといけないし、自分でやるよ」

「そっか」


 暇になった佐々木はバスタブの縁に座りながら、鼻歌を口ずさむ。

 その歌は、 2年前くらいにCMソングとしてよくテレビで流れていたGenesistarsの曲だった。


「やっぱ歌上手いもんだな」

「当たり前。だってあたし、元アイドルだもん。下手なわけないじゃん」

「そういうものなのか?」

「うん。どれだけ可愛くても音痴だったら、90人もいるGenesistarsのセンターにはなれないし」


 それを聞いて、改めて佐々木絢音という人間の凄味を感じる。


「佐々木なら、アイドル辞めてからも、ソロでやれば良かったんじゃないか?」

「ソロ? 女優とか?」

「あ、あぁ。詳しいことは知らないが、アイドルって引退したらよく転身するじゃないか」

「じゃあ、その転身した人たちって、別の業界でトップ取ってるの?」

「そ、それは……」

「引退したら、トップアイドルの綺羅星絢音はそこで終わりなの。他業界に進出しても、飽きられるのは時間の問題」


 言われてみると、確かにそうかもしれない。

 人気アイドルグループを引退して他業界でトップに君臨している芸能人を、俺はあまり見たことがない。


「アイドルの綺羅星絢音は、2年前にもう死んだ。だから槇島が買ったあのグラビア、今のあたしの目には遺影に見える」

「お、おい、あんまそういうこと言うなよ。お前のグラビア見るたびに思い出すじゃんか」

「だって本当のことだし。それにあたしは、芸能界引退して良かったと思ってる。次の"目標"ができたから」

「目標?」

「まぁ? 槇島には、絶対に分からないことかもしれないけどねっ」


 そう言って佐々木は洗面器を手に取ると風呂の湯を汲んで、シャンプーで泡立った俺の頭にぶっかけてきた。


「ぶはぁっ。お、おい! 何すんだっ」

「いつまで泡立ててるのかなぁって思ったから。早くお湯に浸からないと、今度は風邪ひくよ?」

「お、おう……」


 頭を洗い流した後に、俺が湯船に浸っていると、縁にちょこんと座る佐々木は、足だけ湯船に入れて、無言でずっとこっちを見ていた。


「そんなにこっちを見る必要はあるのか?」

「心配だから。急に意識無くなったら困るし」


 とか言ってた割に、暇でつまらないからか、佐々木は足をパタパタさせて遊び始める。

 いつも長風呂の俺だが、こいつのためにもそろそろ出てやるか。


「……ね、槇島」

「なんだよ」

「あたしも入っていい?」

「……別に構わないが。ちょうど、今出ようと思ってたし、俺のあとで——」


 言った瞬間、佐々木は何も言わずに体育座りで湯船に入ってきた。

 佐々木が入ったことで、湯が溢れ、佐々木の着ている服もぷかぷかと浮く。

 白の練習着が透け、中には俺がいつも着ている黒のアンダーシャツが見える。


「一緒でいいじゃん」


 湯船で2人、体育座りをしながら見つめ合う。

 風呂が熱いからか、この状況に動揺しているからか分からないが、変な汗が出てくる。


「な、なんかえっちなことしてる気分だね」

「お前が始めたんだろ!」


 ✳︎✳︎

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