13話 病室トライアングル


「あれ……? ここは」


 目が覚めると、目の前にはトラバーチン模様の天井。辺りは白のカーテンで閉じられており、横の窓からは心地良い風が入ってきた。


 俺、さっきまで、何してたんだっけ?


 違和感のあった頭に触れると、ザラザラした包帯のようなものが巻かれていて、肩にはサッカー部のジャージが羽織られていた。


「……さ、サッカーの試合っ!」

「きゃっ」


 俺が身体を起こしたの同時に、相変わらずの変装をした佐々木が、カーテンを開けて入ってきた。


「佐々木……? なんで」

「槇島っ、良かった!」


 佐々木は俺が起きたのに気がつくと、腹巻きみたいに俺の腹部に抱きついてきた。


「あたし、心配したんだから!」


 抱きついた時の反動で、佐々木のメガネが地面に落ちる。

 佐々木は涙目になりながら、上目遣いでさらに強く抱きしめてきた。

 か、顔が良すぎて、直視できん。


「えっと……よく分かんないけど、ごめん」


 とりあえず謝っておいたけど、未だに俺は状況を飲み込めない。

 確か俺は、後半からピッチに送り出されて、阿崎とワンツーのパス交換でゴール前へ。

 そしてダイビングヘッドを——っ⁈


「まさか俺、ゴールポストに激突したのか?」


 佐々木はこくり、と頷いた。

 そういえばあの時、芝に赤い血が見えて、その後、意識が無くなった。


「ゴールポストにぶつかって血が出たからこの包帯を巻いてるのか? 痛みはあんまり覚えてないんだが、そんなに酷いぶつかり方をしたのか俺」

「ううん、それが……」


 佐々木が言うには、流血は相手GKとの接触で起きたらしく、その直前にはポストに頭がぶつかり、俺は脳震盪を起こした。

 あまり覚えてないが、担架で運ばれている時は「大丈夫大丈夫」と返事をしていたらしい。

 出血の処置をしてもらったので血はなんとかおさまり、搬送先の高東大学に来てからはCTで頭を診てもらい、結果、異常は無いようだ。

 後日、何かしらの障害等が出る可能性もあるからしばらくは安静にしていないといけない。


「喉乾いてない?」

「あぁ、ちょっと乾いてる」

「じゃあ何か飲み物買って来るね。あと、藍原さんも来てるから、伝えておく」

「あ、あぁ。ありがとな」


 そういえば藍原も試合を観に来てたんだったな。

 みんなに心配をかけてしまい、申し訳ない気持ちで一杯だった。


 佐々木がカーテンから出て行って、しばらくすると入れ替わるように藍原がカーテンから顔を覗かせた。


「お、おはよー? でいいのかな?」


 優しい声でボケながら、入ってきた藍原。

 ベッドの左隣にある椅子に座る前に、風が強くなって来たので、窓を少し閉めてくれた。


「気分はどう? 頭痛くない?」

「大丈夫大丈夫。それより藍原まで悪いな。俺が怪我したばっかりに」

「そんな! 全然気にしないで」


 最初は俺の方を心配そうに見ていた藍原も、表情を柔らかくして応えてくれた。


「凄いゴールだったよ。槇島くんの執念で押し込んだ、まるでゴンを彷彿とさせるようなそんなゴール」

「それは褒めすぎだって。それより試合はどうなった?」

「勝ったよ。あの後、阿崎くんがハットトリックして4対0で圧勝」


 阿崎のやつハットトリックかよ。

 ちゃんと藍原にアピールできたじゃねーか。


「阿崎が3点ってことは……俺、やられ損ってわけか」

「そ、そんなことないよ! 槇島くんのゴールで敵は点を取らざるを得なくなって、前がかりになったからこそ、阿崎くんの攻撃がハマったんだし」

「藍原、どうどう。ここ病院」


 藍原は両手で口を塞ぎ、辺りを見渡してから照れ笑いした。

 やっぱ夢中になると我を忘れるタイプだわこの子。


「藍原はほんとサッカー好きだよな」

「そりゃそうだよっ! 槇島くんだって好きでしょ?」


 そう聞かれて、俺は戸惑う。

 前に言われた時も、その言葉が心に引っかかった。


「……俺は、嫌いなのかもしれない。中学高校と、これまでサッカーは結果を残すためだけにやって来た。それに今日も、俺は結果に目が眩んだんだ。結果だけを求めたから、あんな無茶なプレーを」


「それは違う」


 藍原は俺の手を取ると、真剣な眼差しを向ける。


「槇島くんはサッカーが好きだからこそ、無心にボールを追いかけてあのゴールを決めたの。本当に結果を求めるだけの選手なら、あそこで無理はしなかった」


 藍原は一切いっさい目を背けることなく、俺の瞳を見つめ続ける。


「槇島くんは、サッカー好きなんだよ——」


 言われた時、俺は頬が熱くなって、次第に目から大粒の涙が流れ出した。

 頬を伝う涙が、熱くて仕方なかった。


 簡単なことだった。

 ユースチームに受からなくて、進学した高校では周りから馬鹿にされて、それでも俺はサッカーを辞めなかった。


 今だって俺は、大学の2軍チーム。

 誰かに褒められるよりも貶されることばかり。このまま卒業しても、プロの道は絶対にない。

 それでも俺は、サッカーを捨てない。


「俺は好きだったんだ……サッカーが」


 藍原は何も言わずに俺の背中をさすってくれた。

 今日の悔しさも相まって、俺は声を殺してひたすら泣いた。


 ✳︎✳︎


「うーん、槇島って何飲むんだろ」


 飲み物を買いに来ていたあたしは、自販機の前で悩んでいた。

 炭酸は論外。頭痛いんだから温かいものの方がいいかな? でも、今日暑いし。


「うーん」

「おーい嬢ちゃん。早くしてもらえるか?」

「ご、ごめんなさ……いっ」


 突然背後から野太い声が聞こえ、焦ったあたしは、「おしるこ」を押してしまった。


「嬢ちゃん物好きだな。今どき自販機でお汁粉買うとか」

「……す、好きなんで」


 おしるこを手に取った後、背後にいたおじさんの顔を見た瞬間、謎の既視感があたしを襲った。


 あれ? このおじさん、どこかで。


 そう思いながらも、あたしは飲み物を抱えて槇島の待つ病室へと戻ってきたけど、カーテンの中で二人が何か話しているようだったので、足が止まった。


「それは違う」


 藍原さんの声? でも、何か怒ってるような。

 藍原さんの話はやけに暗いトーンで進んだ。

 どうやら今日のゴールについて話しているようだったが、藍原さんが槇島を諭しているようにも聞こえた。


「槇島くんは、サッカー好きなんだよ——」


 藍原さんがそう言った瞬間、中から鼻を啜る音が聞こえる。


 カーテンの中をこっそり覗くと、そこには、泣き崩れる槇島とそれを優しく宥める藍原さんの姿があった。


 どう考えても、今、入っていくわけにはいかない。

 あたしは複雑な心境で一度病室を出た。


 あたしはまだ、槇島があんなに自分をさらけ出すところを見たことがない。

 槇島はきっと、あたしの前では、あんな表情を見せない。


 そんな槇島が藍原さんの前ではあんなに自分を曝け出している。


「こんな、感情……初めて」


 アイドルを辞めてからというもの、誰かに嫉妬したり他人を羨んだことが無かった。

 それくらい、今のあたしには向上心や探究心が無くなっていた。


 でも、槇島と出会うことに成功してからというもの、実際に槇島祐太郎に会ってみて、彼の隣にいたいという気持ちが強くなっていた。


 だからこそ、今、この気持ちを表現するなら、間違いなく——嫉妬。

 あたしは藍原さんに嫉妬した。


 傷心した槇島の隣にいるのがあたしじゃ無かった。

 その事実は、今にも泣きそうなくらい、あたしの心に刺さった。


「……負け、たくない」


 槇島の隣は、譲りたくない。

 絶対に。


 ✳︎✳︎

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