第16話  心の十字架

そんなことが私にとって、とても辛いことでした。

それはリハビリで体が動かなくて辛いときよりも、折れた足や腕が痛いときよりもよっぽど辛かった。

淳のお父さんはそんなきつい言い方をする人ではありません。

私のことを考えて、心を鬼にして、言ったことは分かります。

でも悲しかった。

淳のお父さんの言葉に反発が出来なかった自分も大嫌いでした。

ただ悲しかった。

自分自身が嫌なやつで、悲しかった。


そんな話をすると吉川さんは、ただ私の顔を優しげに見つめる。

それが五年近くも前のことなのに、私は話しながら涙声になってしまう。

吉川さんの優しげな目が、私は好きになっていました。

前の彼氏のことを、思い出しては、いつだって涙を流す、とんでもない女なのに、そんな私を吉川さんは愛してくれました。

申し訳ないと思いながら、その吉川さんの優しさの中にいると、嫌なことが忘れられて、とても心が穏やかになってゆくのが分かりました。

吉川さんとの結婚を決めたのは、そんな心地の良さのせいだったのかもしれません。

そして、私も吉川さんのことを愛せないと思っていたのに、この好意は愛なのかもしれないと思うようになって行きました。

でもそれは淳への愛が弱くなったから?

ではなぜ淳への愛は弱くなった?


決して人に言うことの出来ない感情として、私は淳が死んでいてくれたらどんなに良かっただろうと思うことが何度かありました。

自分がそう思うことは信じられなくもあったし、それは反社会的なことでもありました。

でも、もし淳のことを思い出にすることが出来たら、どんなに良かっただろうと思いました。私は淳のことを思い出にすることも出来ないのです。

今だって淳の家に行けば、淳がいます。

でもその淳は、私の愛した淳ではありません。

淳が死んでいれば、私は淳を、私の心の神殿に閉じ込めて、いつまでも淳の思い出に浸っていることが出来ました。

でも現実に淳はいる、あまりに辛すぎる仕打ちでした。

淳のお父さんから、「あなたは家族ではない」と言われたとき、いったいだから何が違うんだと思いました。

いつまで愛せるか確かに自信は無くなったけれど、でも私は淳を愛していけると心から思っていました。

でも確かにあの事故から五年経った今、私は淳を愛せなくなってきているような気がします。

いくら私が淳を愛しても、その気持ちが全く淳に伝わらない。

あの淳のお父さんから、家族ではないと言われた日から、淳に会いに行けないのは、淳への愛が揺らいでいるからなのか、だとしたら淳のお父さんの言ったことは本当なのか、なら、

なんと言われようと、淳に会いに行けたら、私の愛は本物なのかしら。

それなら今の、淳を愛していると言う感情は嘘なの?

確かに、淳を愛していくことは、本当にエネルギーがいります。

いっそ淳がいなければ、もっと、もっと私は淳の事が愛せていたでしょう。

でも淳はそこに、子どものようになって存在しています。

家族が淳を愛するのは、淳そのものです。

でも私はきっと淳そのものを愛したのではない。

淳というパーソナリティーを愛したのです。

だから現実に淳がいなくなっても、淳を感じることが出来れば、私は淳を愛していくことが出来る。

でも、パーソナリティーの無くなった淳は抜け殻のようです。

でも、家族はその抜け殻を愛することが出来る。

淳が退院してまだ間もないころ、まだ全快祝いをして貰う前。

私たちは、淳の部屋で二人きりになったことがあります。

そして、私は淳の唇に私の唇を合わせてみたことがあります。

かつて交わした舌の感触が忘れられませんでした。

淳はおもしろがって私の顔中をなめまわしました。

私は、私の胸を服の上から淳に触らせる。

でもそれはかつての熱い抱擁をしてくれた手ではなく、まるで子どもが母親のおっぱいをまさぐるのに似ていました。

いなくなってしまったのではなく、変わってしまった淳を見るのはあまりに辛い。

それは淳が死んでしまうより辛いことだったのです。

死んでしまった恋人を思うという映画がありました。

それは悲しいことだけれど、強く生きていきます、という終わり方でした。

でも私に言わせれば、それはとても幸せな状況です。

変わってしまった恋人の現実を見なくていい。

自分勝手な思いをめぐらせて、心の中の神殿に閉じ込めてしまえば、彼は最高の恋人になる。心の中だけでも、心底好きになれるというのは、それはそれで、とても幸せなことです。

でも私にはそれも出来ない。

かつて私が愛した人という事実が、私を拘束しました。

こうなってしまったのは、私をかばったため。

私は淳を愛し続けなければならない。

そんなことが続き、段々私は淳が愛せなくなって行ったのかもしれない。

淳を愛したい。

でも愛せない。

でも愛したい。

いえ愛さなければ。

そのころの私の複雑な気持ちは、ひどく後ろ向きなものでした。

あの全快祝いをした日から淳に会っていない。

そのせいで私はどこか意地になっていたのかもしれません。

きっとそのころの私は、淳を愛せなくなっていることに、気付かない振りをしていたんだと思います。

そして認めたくないと意地をはって。

それが、吉川さんとお見合いをしてから、私は淳を愛せなくなっていたことを少しずつ認めようとしていたのかもしれない。

それは吉川さんのやさしさだとか。

愛される事により素直になって来たからではないとおもう。

きっと私は吉川さんに出会う前から、淳の事が愛せなくなっていた事を吉川さんのおかげで認識し、認める事が出来たのかもしれない。


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