第2話  吉川さん

「湾岸で帰ろうか」と吉川さんに言われたとき、私は体中に電気が走ったようでした。

テーブルの上のワイングラスを倒してしまうほど。

ワインはそれほど残っていなかったのに、赤ワインは白いテーブルクロスに広がってゆく。そして転がり、テーブルの下に落ちて割れました。

私の手が小刻みに震えます。

吉川さんは、何もかも知っているはずでした。

友達と車に乗って、出掛けるときも、湾岸道路を通らないようにしていたこと。

それは友達もみんな、その理由を知っていること。

そして私が湾岸道路をとても気に入っていること。

だからこそ、決して通れないということ。

そして小刻みに震える私の手を、吉川さんは力強くにぎった。

「大丈夫」

「うんうん、なんでもない」なんでもないわけないのが一目瞭然でした。

でも吉川さんはとぼける。

「でも顔色が優れない」

「そんなことないですよ」私は何とか言葉を絞り出す、でもその言葉は小さくしか響かない。

「やだな敬語になっている」吉川さんは、私の小さな言葉には触れず、敬語の事だけを言う。

「ごめんなさい」私は少しだけ大きくなった言葉で、答えた。


吉川さんは、私の心に中に淳がいることを知っています。

そして私の心が淳から離れられないことも知っています。

そして、そのせいで私が傷ついていることも知っていて、その部分だけでも癒してくれようと私に接してくれています。

それが私にとってはとても心地がいい。

だからどうしても私は吉川さんの好意に甘えてしまう。

それがもしかしたら、吉川さんを傷つけているかも知れない。

申し訳ないという気持ちは十分すぎるほどあるけれど、

でも、

きっと、

私はその吉川さんの支えがなかったら、生きていかれないかもしれません。

湾岸で帰ろうかと言った吉川さんは、少し私にリハビリを施そうとしたんだと思います。

それで私の醜態を見てしまった。

吉川さんは失敗したと思っていることでしょう。

また一つ私は吉川さんに負担をかけてしまったのかもしれません。

私は口の中だけで小さく、ごめんなさいと言いました。

「え、なんか言った」

「いえ、なんでもないです」

「こら、また敬語になっているよ」

そして今度は吉川さんに、聞こえるくらいの声で。

「ごめんなさい」と私は恥ずかしそうに言いました。

吉川さんは優しく微笑みながら、そんな私を見つめる。



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