第5.5話 Bパート~特訓~
「はぁーはっはっはっはぁっ! 待っていたぞぉ、浅谷!」
そして放課後、練習のためにグラウンドに来たクラス代表の僕とハツネさんを待っていたのは、マッチョの野崎先輩だった。
「あ、あの先輩、僕はあくまで代理として……」
「いやぁ、お前が代表か! 私は嬉しいぞ! ついに君もマッチョになる決心がついたんだな! 安心しろ、君は私がサポートする! だから君も全力でマッチョになってくれぇ!」
そう声を弾ませる野崎先輩が僕の手を握り全力で振ってくる。それに合わせて僕も身体を上下させる。
そんな人体大縄跳びの紐を体験して、ついに練習が開始となる。とりあえず明日のデモンストレーションとして本番のコースを一通り走ることとなった。そして、第一走者の僕は位置について、先輩の掛け声と共に走り出した!
「……む?」
トッテ、トッテ、トッテ……
「~~ッ!」
それは、あまりにも遅い走り。もし本番なら、あっという間に取り残されてしまうスタートだった。
必死に手脚を動かすも、速度がそれに見合わない。まるで亀のダッシュを眺めている気分であろう他の走者たちの視線を浴びながら、やっとのことで僕はハツネさんの元へ辿りついたのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ」
僕は息が上がっていた。まるでフルマラソンを走りきったように激しく息を荒げ……たった200mしか走っていない僕は地面に倒れるのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
あぁ、惨めだ。たったこれだけのことで息が上がるなんて……そんなことを考えながら天を仰いでいた僕の下に、野崎先輩が近づいてきた。
「ふむ……」
何かを考えるような顔。そうだ。もう今の時点で変わってしまった方がいい。そっちの方が皆の迷惑にもならずに済む。
僕は眼を閉じ、介錯の瞬間を待っていると……
「……浅谷、もう一度走りのフォームを見せてくれないか?」
「え?」
先輩に、突然そう言われた。
「は、はい……」
先輩に言われた通り辺りを軽く走ってみる。すると、先輩が手を添えてくれた。
「やはりだ。浅谷、お前は地面を上に蹴ってるんだ。つま先で、もっと前を蹴るように意識してみろ」
「え……は、はい……」
そして先輩の言う通りやってみると……
ふわっ。
「ッ!」
いつもより、前に進んだ気がする。
「やはりな。君は手足を動かすことに集中し過ぎてたんだ。それも間違っていないが、大事なのはそれを出力するところ。そういう意味では君は少し走り方を直すだけで劇的にタイムが改善されるはずだ。残り時間は少ないが、今日はこの走り方を覚える練習をしていこう」
「は、はい……」
そう言われて僕と野崎先輩だけ特別メニューとなった。
僕が走って、野崎先輩がその改善点を指摘する。言ってしまえばそれだけのことだが、野崎先輩の的確かつわかりやすい指導のおかげで、僕の走力はぐんぐん上がっていった。
「せ、先輩、見て下さい……! 僕、こんなタイム出したことありません……!」
「おぉ! そうかそうか! ここまで劇的に改善されるとは、浅谷、君はもしかして以前から密かに筋トレしていたな? 全く、言ってくれれば手伝ったというのに! はっはっはっはっはぁっ!」
そう背中を叩く野崎先輩に、しかし僕は笑みを浮かべていた。確かにラスタ・レルラとの闘いが始まってから身体は少し鍛えられたような気がする。肉体機能障害もあってそれは1が2になるような成長だったが、それでも使い方次第では4にも5にもなることがわかった。それが嬉しくて、僕は初めて野崎先輩に心からの笑顔を向けた。
「ふふふ……はぁ、本当によかったよ、浅谷がこんな笑顔になってくれて」
だが刹那、野崎先輩の顔が少し緩んだ気がする。
そして、僕の隣に座り、夕陽を見つめた。
「実はな……私は昔、運動音痴だったんだ」
「……え?」
そして、意外な告白をした。
「小学生のころ、私はひょろひょろでな……よく『木の棒』などと言われたよ。いつも皆から虐められて、家に帰ったらずっと泣いてた。そんな生活をずっと続けてたんだ」
いつもより小さな声でぽつぽつと語る野崎先輩の視線はずっと遠くを見ているようで、その言葉が真実だと語っていた。
「だが、それではいけないと思ってな……それからずっと筋トレに明け暮れた。ネット、図書館、体育の先生などから頑張って調べ、効率のいいトレーニング方法を編みだし、毎日毎日辛いトレーニングをこなし……そして、今に至る」
野崎先輩はグッ、と手を握る。大きめの岩を思わせるその拳に、息を飲む。
「だが、それだけでは駄目だと気づいたんだ。私みたいな想いをしてる者はたくさんいる。けれど、皆が皆効率のいいトレーニングを行えてるわけではない……何より、そんなことしても無駄だと始める前から諦めてる者も多い」
そして、野崎先輩は立ち上がる。
「だから私は、筋肉がなくて困ってる人に手を差し向けると決めたんだ。筋肉をつけ、新たな自分に生まれ変わって……その人の人生を明るく変えたい。自分に、自信を持ってもらいたいんだ」
そう叫ぶ声は明るく弾んでいて。
「そのためには、もっと勉強が必要だ。筋肉のことを勉強して、その人に合ったトレーニングを提案できるようにならなくてはならない……そんなことが出来るか正直不安だった。でも今日、君が速く走れるようになって自信がついたよ」
野崎先輩はこちらを向いてニカッ、と笑う。
「ありがとう浅谷。お前のおかげで私の進む道が見えた……俺のトレーニングに付き合ってくれて、感謝する」
その笑顔に、俺は心が揺れた。
先輩は知らないけど、僕は肉体機能障害だ。少し走り方を変えて5になった所で、20や30の速さを持つ選手には敵わない。
けれど、そんな僕に先輩は『ありがとう』と言ってくれた。ちょっと走り方を教えてもらっただけなのに、教えてもらった方から感謝された。そのことに、何故か僕は胸がいっぱいになった。
「……あぁ、そうか」
僕は、『求め』られたんだ。
運動神経が悪いまま。肉体機能障害を持ったまま。
こんな役に立たない僕を……野崎先輩は求めてくれた。だからこんなに胸が熱いんだ。
あぁ……こういう風に人から『求め』られることもあるんだな。
「……先輩。僕、明日頑張りますね。先輩たちの脚を引っ張るかもしれないけど、全力を尽くします……だから、その……よろしくお願いします」
精いっぱいの気持ちを込めて告げたその言葉に先輩は笑う。
「あぁ、よろしくな!」
それだけで、僕は今回代表に選ばれてよかったと思えた。
……
「うおおおおおお……イザベラ様ぁ……!」
一方、ラスタ・レルラの会議室。
以前イザベラがいた席に縋りついて、泣いている男がいる。イザベラの執事であったコンシャスだ。
「イザベラ様ぁ……あなたの仇はぁ、この爺が取ってみせますぞぉ……っ!」
涙ながらにそう決意したコンシャスは、一人扉を抜け、地上へ降り立った。
それは……御影学園体育祭当日のことであった。
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