6

  川べりに、一人の女性が佇んでいた。黒で身を包んだその女性の周りの空間だけが、なにか現実から切り離され、隔絶された空間であるかのように、静謐さを湛えていた。それが、堂島ゆうだと一目で分かっても、青木久弥は、すぐには近付くことができなかった。それほどに、彼女の横顔が美しかったからだ。美人という概念を超越したかのような美のオーラは、彼女が普通の人間とは明らかに違うという事実を、すでに久弥に告げていた。

 「あ……あの、堂島ゆうさんですか?」

 掠れた声は、堂島ゆうに届いたのか、届かなかったのか、しばらく彼女は微動だにしなかった。時が止まったような静謐は、久弥に得もいわれぬ罪悪感を抱かせた。踏み込んではいけない空間に踏み込んでしまったかのような。

 どれくらいの時間がたったのか、やっと彼女が久弥の方へと顔を向けた。わずかな風が、ミントを思わせる涼やかな香りを運んでくる。その香りは、どこか甘く哀しい匂いにも感じられた。それが、果たして、この堂島ゆうという女性が発している匂いかどうかは分からなかったが、その匂いは明らかに久弥の感情を刺激した。彼女は、無表情で、その顔からは全くその心の内が読み取れなかった。機嫌がいいのか、悪いのか、怒っているのか、穏やかなのか、まるで心の隙を全く見せまいとする魔法使いかのように。

 彼女が、わずかに小首を傾げた。久弥に次の言葉を促しているようだった。

 「ええと、曽倉照須さんに、あなたがこの辺りにいると聞いたものだから……ええっと、依頼を……!」

 びくっと、久弥は体を震わせた。突然、彼女が久弥の右手をつかんだのだ。

 「除霊してほしいってわけ?」

 「え、あ……」

 久弥は、掴まれた自分の右手、彼女の陶器のように滑らかな細い手、それから、ゆうの顔へと視線を交互に彷徨わせる。

 「いいわ。でも、あなたみたいに、女を悲しませる男からは、高い依頼料を取るけど、それでもいい?」

 「ちょっと、待ってくれないか。まだ、依頼の内容を何も話してない。それに、この……この手を放してもらえないかな」

 彼女のつっけんどんな言い方に、さすがに久弥もむっとした。さきほどのアシスタントだかなんだか分からない小娘に続いて、いくら美人とは言え、客に対する態度とは、とうてい思えない。久弥の言葉に、ゆうは、あっさりと久弥の右手を放した。それから、再び、首を傾げるような仕草で、じっと久弥を見つめる。彼女の視線を真正面から受け、心臓の鼓動が激しくなる。ただ、美人に見詰られているという以上の、凍るような迫力があった。

 「ど、どうして右手を?」

 ごく当たり前の質問が口を出る。

 「そこに、いるからでしょ?」

 「そこに、いる、何が?」

 うっすらと、背筋が寒くなった。

 「とぼけなくてもいいわ。あなたには、分かっているはず。あなたが、除霊してもらいたいと思っている霊の正体を」

 ただ、見ただけで、この女は見抜いているのか?

 久弥は、驚愕に目を大きく見開き、ゆうの平坦な声を聞いていた。緊張で、呼吸が苦しい。

 「どれだけのお金を用意できる? もし、除霊してほしいというのなら、そのお金を持って、もう一度、部屋を訪ねてきてほしいわ。いまは、わたしは、あまり人と話す気分じゃないから」

 それで、会話は打ち切りだった。ゆうは、ぷいとそっぽを向くように、久弥から川の流れへと視線を転じた。それ以上、言葉をかけようにも、とてもそんな雰囲気ではない。しかたなく、久弥は、その場をあとにした。嘘偽りのない、本物を目の前にして、久弥の心臓は、いまだ激しく鼓動を打っていた。


 男が帰ってからしばらくの間、ゆうは、川の流れをじっと見つめていた。理沙の孤独に思いを馳せるように。

 あの日から、ゆうは、現実の苦しみに打ちのめされた魂を癒し、彼らの霊魂がこの世から浄化できるための見届け人となった。そして、同時に、それは、彼らをこの世に縛り付けていた怨念を請け負うことでもあった。怨念は、ゆうの心を蝕み、破壊し、闇の感情を破裂させんとする。その感情を抑えるほどに、命を削り、ゆうの魂は擦り減っていく。それでも。ゆうは、それが、自分が生まれてきた意味だと思うから。それでも……。

 理沙。あなたは、望んでいた? 彼らの不幸を。彼らへの復讐を?

 理沙を虐めた七人のうち、二人はもうこの世にはいない。そして、二人は精神に異常をきたしている。理沙、あたしは、どうすればよかった? 抑えることのできなかった、この闇のエネルギーを、一体、どうしたらよかった?

 あたしが、魔女になることも、あなたは、望んでいたの?

 

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