3
それまで、うっとりしていた美幸の顔が、突然に凍り付くような表情に変化したのを見て、久弥は戸惑った。
「美幸? どうした?」
興奮が、あっという間に冷めていき、久弥は狼狽したように御幸に問いかけた。美幸の視線は、泳ぐように、ぐるっと半周し、それからまた何かを追うように微かに動いた。
「ねえ……あれ、何?」
美幸と肌を重ね合わせ、ほどよく温まっていた体が、冷気を帯び始めた汗で急速に冷めていくのが分かった。うなじがぴりぴりとひりついた。振り向いた視線の先に、それは、人魂のようにさまよっていた。
ぼんやりと白い、まるで綿菓子が浮かんでいるかのような……。瞬間、金縛りにあったように、久弥の視線はその半透明の白い物体に釘付けになった。ぱちんと、なにかが弾ける微かな音を、久弥の聴覚はとらえた。それを合図にしたかのように、それは、ぐらぐらと揺れ始め、形を変えていった。丸みを帯びたその一端が分裂するように、分かれ始める。五本の細長い……これは――手?
その認識があやふやなうちに、その物体は、天井付近から、急速に落下してきた。美幸が悲鳴を上げた。久屋は、自分の顔と、美幸を庇うように、わああと素っ頓狂な声を上げて、両手の平を上方に突き出し、それを抑えようとした。
何かが、体の芯を通り抜けた気がした。ひさや……。それから、囁くような声が、身体の内から聞こえたような気がし、慌てて美幸を見た。
「何なの、いまの?」
久弥は、美幸の顔から、恐る恐る視線を右手首に移した。何かが……何かが、右手首を擦るような感覚。白い輪っかのような何かが……。
ブレスレットのように、うっすらと白い手が久屋の右手首に巻かれていた。
その夜から、久弥は悪夢にうなされるようになった。あの白い手が、ぎりぎりと久弥の右手首を締め上げる。そこには、痛みの感覚はなかったが、痛みよりもはるかに強烈な想像が、痛みの幻影を生み出していた。幻肢痛のように、ありもしない痛みを夜ごとに感じ、いまにも右手首が切り離されてしまうのではないかという恐怖にさいなまれた。
耐えられなかった。美幸の勧めでお祓いにいってはみたものの、悪夢は終わらなかった。悪夢だけではなく、現実でも、あの亡霊の手が、久弥の右手首に絡んでくることが増え始めた。仕事にも、影響が出始めたころ、久弥は同僚から、ある人物を紹介された。
霊障などを専門に扱う霊術師だという。
「霊術師? 何だそれ」
同僚の北川は、さあ、と言って両手を上に向けて、俺にもさっぱりという仕草をする。
「俺も、人伝に聞いた話だからな。ただ、凄腕の能力者らしい。見えちゃうだけじゃなく、悪霊退治もしてくれるって噂。ほら、これ」
北川は、そういうと、久弥に破り取ったメモ用紙を渡したのだった。
「調べておいてやったから、感謝しろよ。その、住所にまだ住んでるか知らんけど、一回、会ってみるのも悪くないんじゃないか」
紙片には、住所と、それから、堂島ゆうという名前が記されていた。
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