第3話
生贄をささげるためだけで復活する秋祭りは、十月の初めだ。部落のみんなは、何もしない。ただ、生贄を出すための準備をするだけだ。
「実は・・・」
と老爺、武藤条太郎は龍作に語り出した。言われて話すのではなく、龍作の持っている逞しさに導かれて、この人なら信頼して、話していいと思ったのだろう。
千曲川に沿って一両の飯山線は広い平野を走りぬいていた。その千曲川も、眩しいくらいの緑の鬱蒼としたカーテンに覆われている間は見えない。やがて、線路に沿い国道が走っているのが見えて来るが、車の量は少ない。その中の一台の車には長野県県警の刀根尚子警部補が乗っていて、助手席にはコリー犬のランが乗っていた。彼女は、今度の事件の大体の情報を龍作から得ていて、より詳しい調べを終えていた。
(さすが・・・龍作さんだ、あの女の子も見つかった)
つまり、武藤条太郎が話したこの時の内容は、龍作も知っている事柄だったのであす。それでも、条太郎に話させる必要があった。警察に残っている内容と当人たちの知っていることとは、総じて違っているものである。
やはり、
「違っていた」
「何が・・・?」
刀根警部補は龍作の怪訝な顔が気になっていた。
今は昔の頃・・・と、武藤条太郎語る。
たまたま上田の辺りを通りかかった東国の荒武者は、娘が大猿の生贄になるという話を聞いて、
「私が退治してあげましょう」
と、いい、二匹の犬を訓練させた。
今、この時代の九鬼龍作はいう。この男、何処から来たのか分からない。ただ、その持つ雰囲気は、誰をも信頼させるものだった。
「この時代では・・・私が、その子を守ってあげます。犬はラン一匹だが、充分敵と戦える実力を持っている」
と。そして、黒猫のビビも、
「この子なりに、闘うだろう」
と笑みを浮かべる。
武藤条太郎の眼は、龍作のその言葉に信頼を寄せている。この何処の誰とも分からない男の何処に、そのような気持ちを抱かせるのか、それは条太郎には分からない。しかし、その態度、男の光り輝く眼には、誰をも納得させる威圧感があった。
今の詳しい状況を、九鬼は条太郎の口から説明を受けた。
「村の自治に匿名の手紙が届いたのです。自治会長は、私です。そこには、伝説の大猿様が、今復活したのです。若い娘の生贄をささげよ。さもないと、この村に災いが起こるぞ、という脅しでした。はじめ、誰も信じませんでした。その伝説も数百年前のもので、消滅してしまった伝説です。みんなもよく知っています。しかも東国から来たという荒武者が大猿を退治して、もう二度とこういう悪さはしないと約束させたのですのも、掠れ行く伝説のなかに残っています」
「だけど・・・」
文面は続いていました。二年前、女の子が行方不明になっているはずだ。それは、俺の仕業だ。言うとおりにしないと、また女の子を誘拐し、切り刻んでやる、と脅しています」
武藤条太郎はみどりを見つめ、涙目になっていた。
「この子は弱い子ではありません。我が武藤の家に伝わる剣法を、私が伝授し・・・この子はこんなに若く幼いのに、祖父の私が言うのも何ですが、天才です。誰が来ようと、負けないと思いますが、この子が余りに可哀そうです。このような若い時に、こんな惨めな仕打ちを受けることになるとは・・・。この子は、私、生贄になります、と村のみんなに言いました。気丈な子です。この子の母に似たのかもしれません。この子の母は郁子と言って、我が武藤の家の直径の血を引いています。この子の父は光紀といい、上田市の上田城近くの生まれた一般の人でした」
この後、条太郎は三年前に起こった陰惨な事件を語り始めた。この時警察が、この村に入ったのが契機となり、この村はより閉鎖的になったようだ。
「光紀はごく普通の虚弱な体質で神経質でした。見た目では分かりませんでしたが、絶えず眼が動いていて、落ち着きがありません。私も気にはなっていたんですが、この子が生まれて、もう安心という時に、光紀の神経が切れてしまったのです。ええ、見事に切れ、爆発してしまったのです。そして、私の家内と光紀の妻・・・つまり、この子の母である郁子を殺害してしまったのです」
条太郎は、ビビと戯れているみどりを見て、深く・・・うなだれ、
「ふう・・・」
と息をゆっくりと吐きました。
「この子は包丁を持っている父光紀の動きを止めに入ったのです。ええ、その頃には、この子に剣法はもう充実期に突入していました。私が二呼吸する間に決着はつきました。一呼吸目は、光紀の持つ鎌がみどりの左耳の上を傷つけ、二呼吸目で、みとりの木刀は父光紀の首を折りました・・・」
しばらく沈黙が覆った後、条太郎は、
「この子は自分が犠牲になる」
と言っていますが、そんなことは絶対に許しません。でも、実際どうしたらいいのか、私も老いてしまい、闘う気力も消え失せています。この子は・・・やるでしょう。この子は気丈な子です。きっと心の中では恐ろしさに慄いているにちがいありません。あなたは助けてやるといいますが、どのような方法でなされるのですか?」
龍作の表情に戸惑いも怯えもない。あるのは、限りない自信と誇りだけある。条太郎は、そう見えた。
「村の祭りは、何時ですか?」
龍作は、訊いた。
もうすぐです。十月の一日です」
条太郎は応えた。
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