第2話

武藤条太郎は苦渋の眼をし、落胆している。

 「みどりは怖がっていません。強い女の子に、私は育てました。でも、あの子の心の内は分かりませんが、少しくらいの葛藤はあるはずです。だって、そうでしょうが、九歳の女の子なんですよ。今の時代にこのような不埒なことがあっていいわけがありません」

みどりはビビと戯れている。

 「みどり・・・」

 みどりは呼ばれ、祖父の元へやって来た。

 「いいかい、きっとお前を守ってやる。心配するな」

 「大丈夫ですよ。きっと生贄としての役割を果たします。そして、大猿の正体を確かめてみせます」

 祖父はみどりを抱きしめた。

 だが、実際、老爺は、どうしたらいいのか、思案に暮れているようだ。

 

 少し後のことになるのだが、その部落に着いた時、武藤条太郎は、

「我が家には、これがあります」

 と、いうと、近くにあった太くてしっかりとした木片を手にし、みどりに放り投げた。

 みどりは躊躇することなく、手にした。そして、二三回振り回した。

 ブン、ブン・・・と空気を切る鋭い音を上げた。

 老爺の武藤条太郎は怪訝な眼をした。

 「この子には、私が我が家に伝わる秘剣を教えました。この子だけではなく、この子の母にも、です。男が欲しかったのですが、ここ二代、一人も生まれませんでした。だからといって、武藤の家に伝えられている剣の技術を絶えさせることは出来ないのです」

 条太郎は続けて、

 「おそらく、この子の腕は大人でも適わない才能があるようです。実戦の剣です。今の時代に必要はないと思っていましたが、こんなことになろうとは考え付きませんでした。正直、教えなければよかったなあ、と思うことがあります」

 九鬼龍作は木片を持ち、構えているみどりの動作を見ていて、

 「街中の道場に通っている大人でも適うまい」

 と、龍作は思った。木片を持った九歳の少女に隙はなかった。

だが、生贄を要求してきた大猿の正体がつかめたわけではない。

 「この子の敵う相手でないかも・・・知れない」

 条太郎は苦渋な表情を浮かべる。

「誰かに相談をしたいのですが、警察が入り込んで来て、この村を荒らされたくないのです」

 

話を列車の中に戻します。

龍作は少し考えてから、

 「今は昔、ここを通り掛かった人のように、この私が大猿を退治して見せます。そして、みどりさんを守ってみせます」

 と、断言した。

 「でも・・・」

老爺は不安げである。何処の誰とも分からない人物なのである。しかし、目の前の男の眼は輝き、その態度も体からみなぎる芳香は、見るものを圧倒している。

「みどり、この人が守ってくれるそうだ」

 龍作は笑みを浮かべ、

 「ビビ、そして、もうすぐやって来るコリー犬のランも一緒だから、きっととうまく行きますよ」

 といった。

 九歳のみどりは動じてはいなかった。その闘いの日を待ち望んでいるように見えた。

 「えっ、ワンちゃんもやって来るの・・・早く会いたい」

 そこには、九歳の女の子がいた。

  少女の名前は、武藤みどり。歳は九歳であり、この十月の初めに十歳になる。秋祭りの日・・・つまりみどりが生贄になる日である。

 みどりの膝の上にはビビがいる。みどりはビビの頭を撫でていて、窓の外を眺めていた。

 「みどり、次の駅で降りるよ」

 「はい、お祖父さん。でも・・・」

 「大丈夫だ。この人たちも、同じに行くことになったんだ」

 「本当・・・?」

 龍作は頷いた。

 「ああ、そうだよ。その黒猫のビビも、だ」

 「本当なんですね・・・」

 みどりは感嘆の眼を浮かべた。

 武藤の家は、中滝駅を降り、鬱蒼とした樹木の中の道を突き進まなければならない。ブナの木や白樺が心地よい間隔で目に入って来る。眼にする限り、まだ部落らしい家並みは全く見えなかった。軽自動車がかろうじて通れるくらいの道幅だが、二人は少しも不安がらずに歩いて行く。自宅への道であり、みどりにしても何度も走り回っている道なのであろう。やがて、高い杉の木が覆っている道になると、ひんやりと冷気が漂って来た。所々に伐採された杉の枝が積み重ねられていた。紅葉にはもう少し先なのだが、杉並木の中の香りは、秋の匂いがし、心地よい。

 龍作は、二人から五メートルほど離れて、ついて来ている。

龍作は、ふっと歩みを止めた。轍の逸れた所に、黄色バラが一本咲いていた。何処からか風に吹かれ、はぐれた種子が飛んできて、ここで根を付けたのかもしれない。

「ふっ、秋バラです。よく見かけるんですよ」

老爺が振り返り、笑みを浮かべた。時々後ろを振り返り、龍作の姿を確認している。ビビはみどりに抱かれている。

 「ビビちゃん」

 みどりはビビの頭を撫でている。

 よく見ていると、みどりの表情が徐々に強張り始めているのが見て取れた。部落が近付くにつれて緊張しているのか・・・それは分からない。背筋をちゃんと伸ばし、前を向いた眼は、心に迷いはない。一部の隙もなく、力強い足取りである。

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