九鬼龍作の冒険 生贄の少女

青 劉一郎 (あい ころいちろう)

第1話

長野県を北上し、新潟県まで走る飯山線は、長野駅から新潟の越後川口まで三十四駅ある。 

長野駅発車時は二両だが、戸狩野沢温泉駅から一両を切り離し、森宮野原まで一両で運行される。この間、乗り降りの乗客は少なくなる。そして、森宮野原駅から、その後再び車両を増やし、新潟まで走る。


戸狩野沢温泉駅のホームに爽やかな秋風が吹き、心地よい。空を見上げると、まさに雲一つない青天の秋晴れである。

そんな中、駅員三人で車両の切り離しの作業をしている。ここ飯山線戸狩野沢温泉駅では後ろの車両を後退させ、車両を切り離すようだ。

「さあ、ビビ、行こうか。あの人たちも乗ったようだ」

 背の高い男がショルダーバッグに何やら話しかけている。

 ニャニャー

 九鬼龍作と黒猫のビビである。

 この一人と一匹は、切り離された列車の最後部座席に座った。乗り込んだのはこの一人と一匹だけだ。ここからは、それ程乗客の乗り降りはないようだ。龍作は通路から顔を出し、前の方を覗き込んだ。

 「待ちなさい。出発してから出してあげるから・・・」

 「自分にも見せろ」

と、ビビがせがんでいる。

七十くらいの老爺と十歳くらい女の子がいる。二人とも黙って、窓の外を見ている。開いた窓から風が吹き込み、少女の長い黒髪を揺らしている。

少女の髪は黒く、肩まで伸びている。少女は時々手で、その美しい黒髪を掻き分けている。

 列車はゆっくりと動き出した。

窓は開け放されていて、閉めようとはしない。気持ちいい風が吹き込んで来ていて、その風は龍作にいる所まで届く。

一両の車両は新緑に覆われた中を時々線路が軋む音を立てながら、突き進んでいく。今は九月の中旬である。信濃は、紅葉にはまだ時期が早いのかもしれない。しかし、風に幾分冷たさが混じっていた。そこまで、信州の秋はやって来ていた。

 ニャー

 ビビが窓の外に向かって、鳴いた。

 見ると、マゼンダ色の鳥が列車とともに飛んでいた。

「来たな」

 ピックルである。


長野県県警の刀根尚子警部補もランを車に乗せて、国道を北に進んでいるはずである。

「あのことも、調べてくれたはずだ」

龍作は独り言を呟いた。

少女が流れて行く爽やかな秋空を見上げている。

「あの子も、ピックルに気付いてくれたようだ」

祖父に空を指差し、見て、と言っているようだ。

「よし、ビビ。行くか」

龍作はビビをショルダーバッグから出した。

ビビは列車に揺られながら、少女と老爺の前の座席に飛び乗った。

 「あらっ!」

 少女は黒猫のビビを見て、眼を丸くした。にっこりと笑い、

 「こんにちは、黒猫さん」

 ニャ

 少女は、ニコッと笑い掛けた。それを見て、老爺も笑っている。

 「何処から来たのかなあ?」

 少女は立ち上がり、通路を覗き込んだ。すると、

 龍作の眼と会い、ちょっと驚き、顔を引っ込めた。

 龍作は立ち上がり、少女と老爺の座席まで来た。

 ローカル線で単線だった。列車はよく揺れた。車窓の景色はそれまでと違い、周りは眩しいくらいの緑色の草木で、線路の石の間から雑草が生えていた。

 「ごめんよ。ビビが、このバッグから逃げ出したんだよ」

 龍作は老爺に謝り、少女に笑い掛けた。

 少女はじっと中年の男を睨み付けたままである。

 それに気付いた龍作は、

 「この子は女の子で・・・君のような可愛い子が好きなんだよ」

 といった。

 老爺は突然話しかけて来た男に不審な眼を向けている。怖がっている風ではない。が、毅然とした態度で、細い眼がきらりと光り、目の前の男から眼を逸らさない。

 龍作は笑みを浮かべ、

 「失礼。私は九鬼龍作と言いまして、この子と共に全国を旅している者です。つまり、いろいろな人と知り合い・・・時には・・・そう、困っている人がいれば、力になったりしています」

 この時、老爺の眼が微かに光ったのを、龍作は見逃さなかった。

「そうですか・・・私は真田・・・いや武藤条太郎といいます。そして、この子は、孫のみどりです・・・」

 老爺は次の言葉を言い淀んでいるようだった。何かを言いたいのかもしれない、と思い、そこで、龍作は思い切って、訊いた。

「さっきも言いましたように、不安とか悩みごとがあれば力になりますよ」

 龍作の何気ない言葉だったが、武藤条太郎は何かを思い詰める眼で、この突然現れた男を見ている。

 しばらく、列車の動きだけが妙に激しかった。周りの樹木はさらに鬱蒼となり、全く別世界に突入していく雰囲気があった。そして、

 「実は・・・」

 と、武藤条太郎は語り始めた。

 この老爺は龍作より少し体格は小さいが、がっしりとしていた。頭が大きく、頬がふくよかで、感じのいいお祖父さんという雰囲気がある。おそらく裸になれば、筋肉質の体が現れるのは間違いない。腕も太い。話す声は低く、しかし透き通っていた。


 「この子が・・・生贄として、この秋の祭りの日に大猿様に差し出さなければならないのです。もうとっくの昔に無くなってしまった、私の住む村の祭りで、この秋に再開すると言っても、今となっては何もするわけではありません。すっかり、その方法を覚えている者もいませんのですから・・・。ただ・・・」

 老爺は声を消した。

 「生贄・・・そんな馬鹿なことが、今の時代にあるのですか?」

 「昔・・・平安の初期の頃にはありました。いえ、あったと聞いています。ええ、私の部落では何人もの少女が生贄として差し出されたという言い伝えが残っています」

 その伝説では、ここを通り掛かった東国の男が、部落に住んでいた女・・・生贄となる女を要求することで、その男が大猿を退治するからその美しい娘と一緒になることに同意したのです。女・・・少女を生贄として要求したのは、大猿でした。その後は、もう生贄というようなことは無くなったのですが・・・と、伝説では伝えられています。

「そうなんです」

龍作は不快な顔をしている。

武藤条太郎は話し続ける。

「その東国の男は、大猿を退治し、もう生贄の少女を差し出させるようなことはしない、と約束したのです。それが、何百年を経た今日、突然生贄を差し出せという申し出が、部落の神主の元に届いたのですから、みんな驚きました。ええ、伝説の大猿からです。神主といいましたが、今でも、社は部落できれいに管理していますが、一年を通して何の行事もしていません」

 申し出には、二年前に行方不明になった女の子のことが書かれていました。

 「あれは・・・俺の仕業だ」

 とありました。みんなざわつきましたが、神主をはじめ部落の長老が集まり、自治会で相談しました。こうなっては従わざるを得ません。当然、

 「誰の娘を・・・」

 という話になり。いろいろやり取りがありましたが、結局、

「私の孫のみどりに決まりました」

「それを、了承された?」

「というより、みどりが手を上げたのです」

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