第3章 飛行機雲を追いかけて
ショウタがいなくなってから、ケンカ相手がいなくなったせいか、10歳を過ぎたせいか、ぼくもだいぶ大人しくなった。
昼間、ずっと一人ぼっちじゃ寂しいだろうからと、家の隣にあるヒロさんとカオルさんの仕事場に、毎日一緒に連れて行ってもらえるようになった。
作業台の下に置かれた、小さなクッションの上で、仕事場の人たちのにぎやかなおしゃべりの声を聞きながら、ウトウトするのが日課となった。
お昼になると、時々、お弁当のおすそわけをもらえるのも、楽しみの一つだった。
たまに、バイクの音に反応して、ワンワン吠えて叱られたけど、「看板犬」なんて言われて仕事場の人にも仲良くしてもらっていた。
一人になってから2年後の夏、仕事場から歩いて3分くらいの所に引っ越しをすることになった。
新しい家の匂いに興奮して、ぼくは新品の畳の上に思わずウンチをしてしまった。
「こら~!」
「ちょっと、ちょっと~!」
ヒロさんとカオルさんに同時に叱られたけど、
「ま、運がついたってことで・・・」
と許してもらえた。
今までは2階に住んでいたから、ベランダにしか出られなかったけど、今度は庭に出られるようになった。トイレもカサカサした紙の上じゃなくて自由にできる。やっぱり、草の感触と匂いはたまらない。
ちょっと外に出たい時や、トイレに行きたい時は、台所の勝手口の扉をカリカリとかけば、誰かが扉を開けてくれた。ぼくはもう、脱走を試みるほど若くなかったし、「はい、行っておいで」と、自由に庭に出してもらえるようになった。
新しい家での生活にも慣れた頃。
「ボーボの口の周り、すぐ茶色くなるね」
「ボーボ、口臭~い!」
子どもたちに近付くと、そんなことを言われることが多くなった。
「口臭すぎるの、あんまり良くないことみたいだよ」
カオルさんが気にして、病院に行くことになった。いつもの、T先生だ。
先生は、ぼくの口をパカッと開けてクンクンとぼくの口の匂いを嗅ぐと、
「結構ひどい歯槽膿漏ですね。あまり軽く考えない方がいいかもしれません。このまま治療しないでいると心臓病になることもあるから、抜歯した方がいいですね」
と言った。
結局、またそのままぼくは置いていかれ、歯を抜く手術をすることになった。
なんだか、T先生のところに来るといつも置いていかれて、急に眠らされて、起きるとぼくのどこかが少し痛くてちょっと変になってて、しばらくすると調子が良くなる気がするんだけど、ぼくの気のせいかな。
今回も、夕方家に帰ったら、なんとなくご飯が噛みづらくなってて・・・
・・・ん?
だいぶ、歯が足りないじゃないか!
だけど、どうやら悪い歯を抜いたおかげで、子どもたちから「口くさくん!」とか変な名前で呼ばれなくなったから、T先生のしたことは、やっぱりぼくにとって良いことだったみたいだ。
◇ ◇ ◇
ショウタを見送ってから3年半ほど経った2月20日のことだった。
朝から、ぼくはケホケホとカラ咳みたいなのが出て、気持ち悪かった。時々、ケッケッと吐きたいのに吐けないでいるような、変な咳が止まらなかった。
カオルさんが寄って来て、
「この前、盗み食いとかしたからじゃないの?大丈夫?」と背中をさすってくれた。
数日前の夜、子どもたちが一瞬こたつを離れたすきに、ぼくはお皿のすみによけられていた3センチくらいの細い鳥の骨をこっそりいただいた。急いで飲み込んだけど、バレバレだったのだ。
「やだなぁ。もしかして、それがどこかに引っかかってるのかもよ」
とカオルさんは心配して、午前中、ぼくを病院へ連れて行くことにした。
T先生は、何度もゆっくりと聴診器をあててから、ちょっと難しそうな顔で、カオルさんに話をしていた。
「心臓音がおかしいですね。かなり危険な状態かもしれません。抜歯したのがちょっと遅かったかのかも・・・」と。
歯の経過もあまりよくなく、レントゲンや血液検査のために、ぼくはその日も、そのまま半日入院することになった。
先生に抱きかかえられて、哀しい目でカオルさんに訴えてみたけど、、
「今回は、検査だけだからね」と、頭をひとなですると、またぼくを置いて帰ってしまった。
夕方、カオルさんが迎えに来てくれた。
T先生と、とても神妙な面持ちで話していた。
「残念ですが、心臓に血栓ができていました。年齢的にも病状的にも、手術はもう無理な段階です。その血栓がはじけたり、脳に回るといつ何があってもおかしくないから怖いんです」
「もしかして、もしかしなくても、もう、あまり長くないかもしれないってことですか」
「半年、頑張れたら・・・」T先生の話に、カオルさんは少し目に涙をためて、腕の中にいたぼくを見ると、きゅっと腕に力を入れて抱え直した。
家に着いてからも、ぼくはあまり調子が良くなかった。一度咳込んだあと、クルリと宙を見回すように頭が揺れてから、パタッと横に倒れてしまった。苦しくて、少しもがいた。
カオルさんは、ショウタが苦しそうに転がっていた姿を思い出したように、悲しそうな顔をして、ゆっくりと、そっとぼくの体をさすってくれた。
やっと落ち着いて、しばらくちょこんと座って同じ姿勢のままじっとしていた。
「先生が言っていた通り、血栓がはじけたのかな・・・」
カオルさんたちは、心配そうにぼくのそばにいてくれた。
後ろ足がふらついて、あんまりちゃんと歩けない感じがした。とてもくたびれていたので、おとなしくこたつ布団のへりで眠っていた。
カオルさんが、子どもたちに話している声が聞こえた。
「ボーボがさびしくないよう、いっぱい声をかけてあげよう。もっとたくさん、色んなところに連れて行ってあげれば良かったね・・・」
一日中、落ち着いている日もあった。でもちょっとでも咳込むと、カオルさんは飛んできて、おそるおそるぼくの体をさすってくれた。
「高齢だから仕方ないとは言え、どうしてあげたらいいのか。ただその時を待つしかないのがつらいよ。本当はボーボが心配で、どこにも出かけたくないのよ」
カオルさんは、つらそうな声でぼくに話しかけ、ごめんね、と言っては、出たり入ったり忙しそうだった。
◇ ◇ ◇
2月24日。
朝、ぼくは咳込んだ後、ヨロヨロとして、またバタリと倒れてしまった。
苦しくて、ちょっと鳴いた。起き上がりたいのに、足が空をかいて、思うように動けなかった。
カオルさんが急いで来て、大丈夫?とそっとなでてくれたけど、触れられると痛むところがあって、唸ってしまった。
「苦しい?触ると痛いの?」
カオルさんは、ぼくの気持ちを分かってくれたみたいで、ただ寄り添って、発作が治まるのを待ってくれた。
発作を起こして倒れる、その後、落ち着くとまたしばらくちょこんと座って、同じ姿勢でじっとしている、というのが、ぼくの体調の悪い日の流れになっていた。
発作が治まると、カオルさんは、ぼくをそっと抱き上げた。いつもなら、もぞもぞと自分の心地いい体勢に直すのに、ぼくは体に力が入らなくて、抱きあげられたまま、くたりと身をあずけるしかできなかった。
夜、カオルさんが日記を書きながら、時々鼻をすすっているのが聞こえた。
〈ボーボの容体が目に見えて良くない方に行っているのが分かるのがつらい。
なるべく出かけず、ボーボに寄り添っている。
仕方ないという思いとやるせなさが湧きあがる。何もできないのがつらい。
とにかく哀しい目で見ないようにしよう。
ボーボが最後まで家族と楽しい気持ちでいられるように。
ボーボの中で、私たちがいつも笑顔だったという記憶で終れるように。
たくさん声をかけて、たくさん触って、たくさん大好きと言ってあげよう。〉
2階の寝室で、カオルさんの枕元にぼくのクッションを置いて寝ていると、夜中にまた発作が起きた。何度も咳込んで、息をするのが苦しかった。
ハッハッと速く荒い呼吸をしていると、カオルさんが目が覚まして起き上がり、ぼくの方を覗いてきた。ぼくも、薄暗闇の中、不安になって見つめ返した。
そっとカオルさんの手が伸びて来て、ぼくの呼吸が落ち着くまで鼻先をなで続けてくれた。
◇ ◇ ◇
2月25日。
朝も再び、発作が起きた。
午前中、カオルさんはぼくを連れて病院へ行った。
「正直、このままの心拍数だと1か月ももたないかもしれません。いつ急にその時が来てもおかしくない状況です」
T先生は、率直に話した。
「寝ている間は、自律神経があまり働かないせいで、やはり夜中に発作が起きやすくなります。心拍数を抑える薬を増やして、それで落ち着かなければ、心臓が働き過ぎているから、かわいそうですが、もう治療は難しいかと・・・。でも、奇跡的に、心拍数が減って落ち着けば、あと2~3年頑張れる可能性は出てくるんですが。今日出す薬は、3日後くらいに効果が現れるらしいので、その状態を診てみないと、今は難しいとしか・・・」
T先生の言葉に、カオルさんは返事もできないまま、哀しそうな深いため息をついていた。
ぼくも、自分の体がどうなっていくのか良く分からなかったけど、マズイ薬をなんとか飲み込んだ。
その夜もカオルさんの日記をつけるのが、いつもより時間がかかっていたように感じたのは、ぼくの気のせいなのかな。
〈いつも的確で、無駄に期待を持たせるような楽観的ななぐさめは言わないT先生。
ボーボの状態は良くない。
この一週間で、ボーボはみるみる容体が悪化しているのがよく分かる。意識が遠のく回数も増えている。
子どもたちも不安そうだ。
でも、ボーボは交通事故に遭った時だって、奇跡的に助かった強運の持ち主。
百獣の王なんだから。
ボーボ、頑張れ。
明日も明後日も、ずっと朝を迎えられて「不死身のボーボ」「百獣の王」の名を、もう一度証明してくれますように。〉
◇ ◇ ◇
2月26日。
薬が強かったのか、朝起きて吐いた。でも、吐いたらスッキリして、いつも通りのぼくにすぐに戻った。
ヒロさんとカオルさんは、ぼくの運動量を減らすように言われたらしく、登ったり降りたりの運動は危険だというので、ぼくがうっかり飛び乗ってしまわないように、ソファーまで片付けてしまった。
だけど、ぼくはみんなの心配をよそに、よく動いた。
上向きになって背中をすりすりしたり、外に出たいと、ドアをカリカリしたり吠えたりした。
お腹にやさしくて力が付く消化の良いものをって、カオルさんがうどんやおかゆを作ってくれた。
おいしくて、薬と一緒にたいらげた。
今日は、毎月行っていた床屋さんを予約していたのに、それもキャンセルになった。あんまり床屋さんに行くのは好きじゃないから、それはちょっと良かったかも。
今日は発作が起きなかった。
◇ ◇ ◇
2月27日。
カオルさんが出かける時、いつもカーテンの下から顔を出して車を見送るんだけど、今日は、眠りこんでしまっていた。
2時間ほどしてカオルさんが帰ってきたけど、ぼくはカオルさんがいなかったことも気付かないで、こたつ布団のすそで、同じ姿勢のまま、ちんまりと丸まって眠っていた。
「ずっとここにいたの?」
カオルさんはこたつ布団をおしりにかけてくれた。
薬が効いてきたのか、比較的調子がいい気がしてる。
昨日の夜も、ぐっすりとよく眠れたし。
◇ ◇ ◇
3月1日。
診察の日だったので、病院へ行った。
T先生は、ぼくに聴診器をあてながら、
「心拍数が落ち着いてきてます。薬が効いてるようですね。現状維持できるようにね・・・がんばって」。
とぼくの鼻先をなでてくれた。
カオルさんも少しホッとして、力の抜けた顔でぼくに笑いかけてくれた。
◇ ◇ ◇
3月7日。
昨日の夜は、また呼吸が荒くなって息をするのが苦しかった。
ハッハッハッ。
一日中、体調が良くなかった。
それでもトイレには行きたくなるから、庭に出てみたけど、おしっこをしようとして片足をあげたら、フラフラしてしまった。
足があがらないまま、なんとなくななめになっておしっこをした。
「ごはんだよ~」と言われると、反射的に起き上がれる。
食欲はあるんだけど、食べているうちに体力が落ちて来て、残してしまった。
寝る時間になってもぼくは動きたくなくて、カオルさんが抱き上げようとしても、うまく体を預けられなかった。やっとのことでカオルさんの腕におさまって、2階に上がりカオルさんの枕元で眠った。
◇ ◇ ◇
カオルさんは、深いため息をつきながら、時々鼻をすすりながら、ぼくの横で今日も日記を書いていた。そして、そーっとぼくの頭をなでてくれた。
〈『不死身のボーボ、余命1カ月の宣告から10カ月後の今も元気にしています!』と来年の年賀状に書くつもりでいるんだから。
だけど、今日のボーボを見ていると、今回ばかりは先生の言った通り、あまり長くないかも、と思わされる。
ボーボ、がんばって〉
〈3月8日
昨夜、ボーボの夢を見た。
倒れたボーボが、無理に起き上がって子犬の頃のように走り出す。
「走っちゃダメ!」と、急いで追いかけて抱きかかえると、ボーボが逝ってしまい、泣く夢を。
涙の冷たさで、目が覚めた。本当に泣いてしまっていたらしい。
ボーボの方を見ると、静かな寝息が聞こえてきて、ホッとする。
どうかこれ以上、ボーボが苦しい思いをしませんように。
この先、ボーボが逝く時が来ても、苦しまずに穏やかに、眠るようでありますように。〉
◇ ◇ ◇
3月14日。
週に1回の診察と薬をもらいに病院に行った。その時、T先生が、
「とにかく安静に、動かないことが一番」
と言っていた。
カオルさんは、困ったような顔をして、
「犬だから、動いちゃダメっていうのも難しいですよねぇ」と話して、
「ボーちゃん、じっとしてられないもんね」とぼくの頭をつんつんとした。
心臓発作が起きたら困るからなのだが、ぼくも調子がいい時はいつも通りに動きたいし、動いちゃうしね。
カオルさんは家に帰ると、
「日向ぼっこしよう」と、ぼくを膝に乗せて庭に出て、石の上に座った。
「散歩もダメで寝かせっぱなしで、薬入りのご飯もらうだけなんて、イヤだよねぇ。そんな犬らしからぬ生活をしてまで長生きした方がいい?もしかしたら、寿命を縮めてしまうかもしれないけれど、ボーボが自分で動ける間は、トイレの時は庭に出て、太陽の光を浴びて、風の匂いや草の感触を味わって、最後まで犬らしい生活した方が嬉しいよねぇ。・・・違うかな?人間の勝手な考え方かな。ボーボはどっちが幸せと思える?」
カオルさんは、ぼくの背中をゆっくりとなでながら、ぼくに聞いた。
ぼくは、はて?と首をかしげると、カオルさんは、
「ボーだって、わかんないよね」とクスッと笑った。
◇ ◇ ◇
4月7日。
なんとか現状維持を保っていたのに、夕方一度、ぼくは軽く倒れた。なんだか、胸がざわざわした。
◇ ◇ ◇
4月9日。
今週は、ずっと体調が思わしくなかった。
前みたいに発作を起こして苦しむことはないけれど、貧血みたいになってグニャリと倒れることが、1日1回くらい起きた。
ぼくの体に、何かが起きていた。
◇ ◇ ◇
4月11日。
朝と午後、トイレで庭に出た時、2回ともおしっこをし終わると、力が抜けてぐらりと倒れてしまった。
今週は、これで何度目だろう。
カオルさんたちの顔つきが、ちょっと厳しくなったように見えた。
夕方、金曜日だったので少し遅くまで友だちの家に遊びに行っていた子どもたちを、カオルさんが迎えに行った。
帰って来るとすぐに、
「ボーちゃん、ただいま~」
と抱きあげられたのだけど、なんだか違和感があり、そのとたん、ぐにゃりと力が抜け、ぼくは意識を失ってしまった。
「ボーボ!ボーボ!ボスくん!」
何度か名前を呼ばれ続け、少しぼーっとしてから意識が戻った。みんなが心配そうにぼくを覗きこんでいた。
「がんばれ、ボーボ・・・」
◇ ◇ ◇
4月12日。
ぼくがあまり動きたがらないので、カオルさんだけ、薬をもらいにT先生のところに行ってくれた。
「血圧が下がっていると思うから、週明けに連れて来て下さいってよ~。ボーちゃん、今の状態で行けそう?」
帰ってくると、ぼくをなでながらため息をついた。
「トイレに出るたびに倒れるから、外に連れ出すの、怖いのよ・・・あ、不安そうな顔ばっかり、見たくないよね」
カオルさんは、そう言うと、無理やり笑顔になった。
その夜も、ぼくは喜んでしっぽを振ったり、元気にワンワン吠えてたか思うと、急に後ろ足が空回って倒れそうになったりで、自分でもうまく体のコントロールができなくなっていた。
あまり動かすと怖いからと、カオルさんはぼくと一緒に、リビングに布団を敷いて寝てくれた。
夜中も一度、ムクリと起きあがってみたけど、ドタッと倒れ、しばらく動けずにいてそのままおしっこをしてしまった。
カオルさんは泣きそうな顔で「大丈夫、大丈夫」とぼくの体をすぐにきれいに拭いてくれた。
その後も、苦しくて、2度ほどギャンギャン、と鳴いてしまった。
カオルさんは、朝までそっとぼくの背中に手を置いてくれていた。優しいカオルさんの手の温かさが、ぼくを落ち着かせてくれた。
◇ ◇ ◇
4月13日。
今日のぼくは朝から動けず、かなり不調だった。
天気も良くなく、カオルさんたちの不安な気持ちがひしひしと伝わってきた。
朝からぼくは飲まず食わずだった。
クッションからも動けず、小皿に入ったミルクを口元に持ってきてもらったけど、2口飲むのがやっとだった。立ち上がる気力も体力もなく、そのまま、またずっと寝ていた。
「大丈夫・・・じゃないよね・・・」
カオルさんの小さなつぶやきが聞こえた。
午後に一度、ぼくが自力でおすわりをしたタイミングで、カオルさんはぼくを抱き上げて庭に出た。
倒れないようにぼくの体を支えながら、そっと立たせると、少しだけどちゃんとおしっこができた。
家に入り、クッションの上に戻ったら、すぐにヨロヨロとして、力が入らなくて、また後ろ足が空回りして、倒れるようにして眠りに落ちてしまった。
昨日までは、ショウタ同様食いしん坊のぼくは具合が悪いことも忘れて、みんなの食事中、誰かの脇の下から鼻をもぐり込ませて、おこぼれをもらおうとしてたのに、今日はまったくそんな気分になれなかった。
自分でも、なんだか体がとても薄っぺらくなったみたいで、ぱたりと横に倒れたような格好で眠っているの方が楽だった。
夜、薬入りのお肉を2かけもらったから、なんとか食べたけど、それ以上に欲しいとも思わなくて、そのまま、またすぐに眠ってしまった。
今までに感じたことがないくらい、ぼくは調子が悪かった。とにかく、眠っていたかった。
ぼくが抱きあげられたがりもせず、しんどそうに寝ているので、カオルさんは、今日もリビングで、ぼくの横に寝てくれた。
倒れたようにずっと眠っているぼくを見ながら、カオルさんがまたつぶやいているのが聞こえた。
「本当に元気がないねぇ。あと10日で、14歳のお誕生日なのに・・・。
ボーちゃん・・・なんかいやな予感がするよぉ。かわいそうだけど、倒れるボーボ見るのが正直、つらいし、怖いんだよ。
もう、頑張れなんか言えない。ただただ、かわいいボーボがいてくれたことに、ありがとうの気持ちでいっぱいだよ。・・・ボーボ、大好きだからね」
ぼくの耳の上に、ぽたりと冷たいものが落ちてきた。
◇ ◇ ◇
4月14日。
明け方、4時過ぎのことだった。
ハッハッ、ハッハハッ・・・
僕の呼吸が不規則になってきた。
とっても、息苦しかった。
コト・・・
頭を少し動かそうとしたら、体にも首にも力が入らなくて、クッションから頭が落ちてしまった。
すごく小さな音だったのに、カオルさんがすぐに起き上がって、ぼくの方を見た。
昨日の夜は、クッションから頭が出てしまっていても、カオルさんに頭を手で持ち上げてもらって、自分で頭を起こして体勢を直せたのに、今朝のぼくは、もうその力がなくなってしまっていた。
カオルさんの手に、そのまま重力をあずけるしかできなかった。
頭の下に枕を入れてもらったけど、横たわったまま動けない。
なんだか、とてもゆっくりとしか、息ができなくなってきた。
ハァッ・・・ハァ・・・
ハァァッ・・・ハァ・・・
カオルさんの涙が、ぽたぽたとぼくの鼻先に落ちてきた。
トク・・・トク・・・・・
トク・・・・・・ト・ク・・・
苦しかった胸のあたりも、どんどんゆっくりとしか動かなくなってきた。
ぼくの頭の下あるカオルさんの手が、とても暖かかった。ぼくにおおいかぶさるようにして、ぼくの体をさすっていたカオルさんのぼくの名前を呼ぶ声が、少しずつ、少しずつ遠ざかっていった。
ガッガッ・・・
今までしたことのない咳のように喉が鳴った。
トク・・・ト・ク・・・ト・・ク・・・
3回、心臓がゆっくりと脈を打った。
そして、ぼくはとても静かに、とても安らかに、目覚めることのない深い眠りに落ちた。
遠くで、カオルさんの声がしていた。
「ボーボ、やだよ!」
「ボーボ!」
「ボ~ボーーー!!!」
ふふ、カオルさんが遠吠えしちゃ、だめじゃないか。
◇ ◇ ◇
小雨が降っていた。
ヒロさんも、子どもたちも、抜け殻になったぼくを抱えたカオルさんを囲んで泣いている。
ぼくを、庭の毎日一番みんながよく通る、一番良く見る場所に、ぼくの抜け殻を寝かせてくれた。
「ボーボ、ありがとね。よく頑張ったね」
「ボーちゃん、大好きだよ」
みんなの声が聞こえた。
ぼくの抜け殻の上に、カオルさんが桜の木を植えてくれた。桜が咲くたびに、ぼくのこと、いっぱい思い出すようにって。
毎年、桜の花をいっぱい咲かせて、ぼくのこと、思い出させるからね。
さて。
雨がやんだら、ぼくは飛行機雲を追いかけて、ショウタの所に行かなくちゃ。
へたっぴな遠吠えしてるだろうから、きっとすぐに見つかるさ。
アオーン、ワン!ワワワン!
アオォォ~ン!アオォォ~~ン!
アオォォ~~~ン!
楽しかったよ。
バイバイ。
ありがと。
◇ ◇ ◇
ぼくの桜、今年もいっぱい咲かせたよ。
〈 了 〉
ボーボの遠吠え 樵丘 夜音 @colocca108
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