6.公爵家

 最悪と言えるほどの馬車の乗り心地に、頭がクラクラする。

 痛みを和らげるために、私は手で頭を抱え込む。


「アイラ・サートンです。よろしくお願いします」


 それでも、公爵家で失礼のないように何度も挨拶を練習している。


「着いたぞ」


 酷い揺れが止まると、御者の冷たい声が馬車に響く。

 どうやら公爵家に着いたようだった。

 酔いを振り払うように深呼吸をして、落ち着きを取り戻す。


「お待ちしておりました」


 丁寧で透き通った声が私の耳を優しく撫でる。

 ふと声の方を見ると、使用人さんが銅像みたいに綺麗な姿勢で立っていた。


「お初にお目にかかります。リンドヴルム家使用人を務めるナターシャと申します」


 ナターシャさんはゆっくりと腰を折って自己紹介をする様子に見惚れてしまう。

 それ程にナターシャさんの立ち振る舞いは整っていた。

 だけど、ナターシャさんの私を見つめる視線が突き刺さって、慌てて我に返る。


「は、初めまして。サートン伯爵家のアイラ・サートンと申します」

「今後は私がアイラ様の専属使用人を務めさせていただきます」

「は、はい。よろしくお願いします」


 焦って少し噛んでしまったが、ナターシャさんは笑顔を浮かべたままだった。

 

「それでは案内いたします」


 私は一糸乱れずに真っ直ぐ歩くナターシャさんの後ろを付いていく。

 視界全体に広がる公爵家の庭園は草木が整えられていて、芸術的な風景だった。

 小さな蝶が気分良さそうに庭園を舞っている。

 草木の香りがする風が頬を優しく撫でて、心地いい。


「すごく綺麗ですね……」

「はい。こちらの庭園は季節ごとに風景が変わるので私も眺めることを楽しみにしています」


 自慢げに話すナターシャさんの様子に不安な気持ちが軽くなった。

 ナターシャさんの説明する声はとても公爵家が好きだと伝わってくる。


 庭園を見るのに夢中になっていると、いつの間にか公爵家本邸の前に立っていた。

 公爵家本邸はお城のように白くて立派な石で作られていて、大きくて迫力のある石彫りで飾られている。


 厳かに摩擦音を響かせて開く扉に圧倒されてしまう。

 本邸の床は真っ赤なカーペットが敷かれて、上を歩くたびに緊張感を覚える。


「あっ……」


 所々に飾られている豪華な壺や絵画に感動する中で、真っ黒に塗装された大きなピアノが私の目を惹く。


「何かありましたか?」

「い、いえ、なんでもないです!」


 ふと弾いてみたいと思ってしまった。

 だけど、あんな豪華なものを壊したらと思うと冷や汗が止まらない。

 私は必死に誤魔化すように、目線をピアノから逸らす。


「こちらがベン様の執務室でございます」


 たった一言で私の心臓はおかしくなってしまう。

 異様なリズムで鼓動を刻んで、視界は一気に狭くなる。


「アイラ様がいらっしゃいました」

「入れ」


 威厳のある声が部屋の外まで聞こえてきた。

 ゆっくりと開く扉を凝視して、私は緊張を押しつぶように拳を強く握りしめる。


「来たか」


 扉の先には言葉を失うほどの美男子が座っていた。

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