第5話 現実のアンセム

 足音で反射的にアデリアーナが振り返る。



「危ない!」



 声と同時にアンセムが腕を引いた。

 しかしかわしきれない……。


 ドン!



「キャアー!」

「痛っ!」

「痛った〜い!」



 アデリアーナが目を開くと、目の前の床にパステルピンクの長い髪が散らばっている。

 見間違いようもなく、パナピーアその人だった。

 彼女は自分で立つ気がないのか、床にうずくまったまま動かない。



「あの……?」



 顔すら上げず、声を掛けられるのを待っているかのような彼女に違和感を抱きながら話しかけたアデリアーナだが、一歩踏み出した途端に痛みが走った。



「痛っ……!」

「どこですか?」

「へ?」



 アンセムの言葉に唖然とする。

 彼は真剣な表情でアデリアーナの顔を見ていた。

 本当はケガを確認したいはずだが、スカートとブーツで素足こそ見えなくても、淑女の下半身をジロジロ観察する事ははばかられる。


 なので、その表情からアデリアーナの様子を推し測ろうとしていたのだが、そんなのパナピーアには分からない。

 彼女は『自分がいたわってもらうはずなのに!』と、眉をレの字にゆがめたままアンセムがパナピーアに気が付くまでの辛抱だと、心の中で唱えながら待っていた。



「え? あの、ヒザ……」

「ヒザ? すみません。僕が守りきれなかったばっかりに……」

「いいえ、そんな……でもそこの方のほうが……」

「いやいや、アデリアーナ様。あなたにケガがあったら大変な事になる。うんと痛みますか?」

「えぇ⁉︎ だ、大丈夫です」

「良かった……」



 慌てて否定したところ、アンセムから安堵の息が漏れた。

 そして彼はハッとしてパナピーアのほうへ目を向ける。

 その様子がアデリアーナにはスローモーションのように見えていた。



 あ、ここできっと一目惚れとかするんだわ。

 やっぱり回避できなかったのね……。



 アデリアーナが落胆していると、予想もしない言葉が響く。



「そこのキミ、うずくまっていないで謝りなさい」

「「え?」」



 アデリアーナとパナピーアの声が重なった。

 それはそうだろう。

 アデリアーナの予知夢では、ここで二人が出会うのだ。


 それもただの出会いではなく『運命の出会い』だ。


 そして分かりやすく派手に転んだパナピーアを心配してアンセムが彼女を医務室まで抱きかかえて去っていく。


 虚勢きょせいを張って立っていたアデリアーナは独り、痛い足を庇いながらエドウィンの待つ控え室まで歩いていかなければならなかった。


 二人の出会いを回避できなかった以上、当然予知夢と同じようになるのだと思っていたのだが……。


 そしてパナピーアはこの時点で、ぶつかった相手が王太子の婚約者などとは知らないはずだ。

 学園内では生徒は平等……そうなっている以上、身分の上下で対応が決まるとも思っていなかった。


 それが素直というか、常識が欠けているというか……どっちにしろ『不思議ちゃん』の彼女の考え方なのだ。


 そしてそれを踏まえて。

 パナピーアにすれば『派手に転んで痛がっていたほうより、立っているほうを心配するなんておかしい!』と思っている。



「キミがぶつかって来て、彼女がケガをしたんだよ? 謝るのは当然だろう」



 黒髪に黄玉トパーズの瞳の超絶美形が怒った顔は、破壊力が半端ない。

 アデリアーナとパナピーア、双方共に身震いした。



「何をボーッとしている」

「あ、ごごご、ごめんなさい!」

「え? あ……だ、大丈夫です。許します。怒っていませんから」



 動揺した二人の受け答えは明らかにおかしいが、アンセムは満足そうに頷いているからこれで良いのだろう。



「今から私がアデリアーナ様を医務室に運びます。キミは先に先生に知らせに行きなさい」

「え? あ、あたし?」

「そうです、他に誰がいます?」

「でも、あたしも足くじいたかも……」

「はぁ?」



 予想外の返答にパナピーアは目を白黒させていたが、アンセムは彼女の主張などおかまい無しだ。

 それどころかドスの利いた声と氷の視線でパナピーアを睨み付けている。

 アデリアーナは予知夢の展開からかけ離れていく現実に付いて行けてない。 



「キミは倒れ込む時、受け身を取っていただろう? それにさっき足動かしていたよね? 手も突いて起き上がってる。どう見てもキミはケガをしているようには見えないが?」

「えーと……」



 パナピーアは今度こそ挙動不審だ。


 アンセムは彼女が突進する時ちゃんと見ていた。

 だから床の上で一回転してクルッと起き上がってから床に転がったのも知っていたし、多少の打身が有っても彼女の自業自得で心配に値しないと思っていた。


 それよりも王太子の婚約者が怪我するのを阻止できなかった、それこそが悔やまれる。



「良いから早く行く!」

「は、はい!」



 最後は低い声で威嚇されて、パナピーアは脱兎だっとごとく逃げ出した。

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