第5話 商家に咲く華


「やあ、フィンス。すまないね。……イルトくんは帰ったのかい?」


 フィンスは父、ラディアスの私室へと訪れた。

 コールは午後が非番だったため、部屋に戻った。

 現在のコールは一応、ヒトとして生きている。

 休みなく護衛をしていれば、怪しまれるのだ。

 今はドアの外で、別の護衛が待機していた。


「はい、ちょうど彼の住む場所を通る便がありましたので。送らせました」

「そうか。夕方には着くだろうから、ちょうどいい時間だったね」

「ええ」

「まぁ、掛けなさい」


 ラディアスに促され、フィンスは机を挟んで反対側へと腰掛ける。


「それで、呼んだのは……だね。その、うーんとね……」

(……?)


 父にしては、ずいぶん歯切れがわるいなとフィンスは思う。

 ラディアスは商人としても優秀であるし、特に人と交渉事をまとめることが得意であった。よほど言いにくいことなのだろう。


「ディーゼについて、なんだが」

「! 彼女が、なにか?」

「いや、な。そろそろ、婚約者を決めてはどうかと……アーディがなぁ」

「……あぁ、なるほど。そういうことでしたか」


 妹であるディーゼとは、3歳離れていた。

 貴族たちであれば、幼い頃からの婚約者というのも珍しくないだろう。家柄というものが重視される価値観で結婚を決めているはずだ。


 だが、いくら成功しているとはいえ。

 商人の家においてそれほど若いうちから婚約話を持ち出すとは。

 フィンスは、一つの可能性に気付いた。


「……王家、あるいは貴族の者との縁を、兄様が探っていますね?」

「やはりフィンスは聡いねぇ」


 アーディは、フィンスが母から継いだ金の色が嫌いだった。

 周りがそれを、優秀なる証と思っているからだ。

 妹のディーゼに対しても、そうであった。

 つまりディーゼを家から追い出すと同時に、自分の仕事に役立てようとアーディは考えている。


「相手がそのような方々ともなれば……。『赤の夫人』にはなれませんね」

「分かっている。ディーゼにはまだ話していないが……、私も決めるには早いと思う。

 ディーゼはまだ、恋も知らないだろう」


 三人まで妻が持てる決まりとなったのは、とある代の王家の話に遡る。

 その代の赤の夫人。

 第一夫人である王妃は、子供が宿せない体質だった。

 第二夫人、第三夫人は子を成したが、王と同じ赤髪を持つ子が生まれなかった。

 先祖が赤竜を従えた王家にとって、『赤』を継ぐという事はなによりも大切なことだった。

 そうして、第四夫人が赤髪の男児を出産した時……事件は起きた。


 赤の夫人である王妃が、その子を殺すように城の兵士に命じた。


 当然、王も兵士も他の妃も、誰もがそれを望まなかった。

 ただ王は王妃を深く愛していたので、その孤独に沈む心をどうにか慰めることはできないかと考えた。

 結果、子は次代の王として城に残り。

 第四夫人だけは、生家へと返された。

 それでも王妃の心は晴れなかった。

 愛する王の子を宿せなかったから。

 蝕まれた心は狂気となり、彼女は自ら命を絶った。


 赤の夫人の名は、血濡れの名となってしまった。


 王は愛する者を喪い、心を病んだ。

 まつりごとに興味を持てず、私室に籠る日々が続き、臣下の疲弊も限界であった。

 国は荒れる寸前であった。


 王家の威光に影が差したある時。

 王都上空に突然、赤竜が現れた。

 そして赤竜は、『今でも王家を見守っている』ことを民に伝え。それだけ言うと去って行った。


 民衆はこう理解した。

 赤竜を従えた子孫である王の、一番の寵愛を得た王妃。

 彼女の王に対する愛が真実であったからこそ、赤竜は哀れに思ったに違いないと。


 こうして血濡れの名に変わったはずの『赤の夫人』は、赤竜の国において一番に愛される者とされ。

 赤の夫人が心を病むきっかけとなった、四人目以降の妻は持たないという決まりが作られた。


 現代に置き換えれば、恋愛結婚ではない限り『赤の夫人』はその家で最も重要視される者ということで。商家の娘であるディーゼがそうなる可能性は、低いだろう。


「兄様は、私たちがどうなれば満足なのでしょう」

「……すまない、私にも。……分からないんだ」

「父様が謝ることではありませんよ」


 それにしても、と。フィンスは思う。

 前世であれば、やれどこで魔物が暴れ街が滅んだとか。

 やれどこぞの封印が解かれたとか。

 重要視する問題というのは、命に関わるものが多かった。


 それが今は、どうだろう。

 感情や立場によるわだかまり。それが大部分を占めている。


 恋愛。結婚。嫉妬。優越感。

 そのようなもので思い悩むことがなかったフィンスは、ヒトが悩むものへの理解を着実に深めていった。

 深める度に、なぜだか『ふつう』とはとてつもなく難しいことのようにも思えてきた。


「それで、その」

「ディーゼに想い人がいないか、聞けばよいのですね?」

「さすがフィンス。話が早くて助かるよ」

「兄としても、気になるところではありますから」


 これまでにそういった話は聞いたことがない。

 恐らく、いないものと思われる。が、彼女も若いながらなかなかに鋭い。

 アーディから向けられる感情には幼い頃から気付き、それにうまく対処してきた。


「では、さっそく聞いてきましょう」

「フィンスは仕事も早いね……。くれぐれも、婚約話のことは内密に……」

「もちろんです」


 フィンスは先に、とある部屋を訪ねることにした。



 ◇



「──婚約、ねぇ」

「興味があるなら、一緒に来るかい?」

「興味はねぇが、行こう」


 住み込みで働く、コールに割り当てられた部屋。

 非番の午後は、長い黒髪を結わずに遊ばせていた。

 フィンスのようなさらさらと真っ直ぐな髪質ではない。

 ふんわりと、やや外に広がりをみせる長い髪はコールの鋭い印象を幾分か和らげてくれていた。

 開け放たれた窓からの風でそれが揺れ、座って足を組むコールの優雅な休息を演出しているかのようだ。


「べつに、無理して来なくても」

「あんたの側にいた方が、面白いもん見れる……だろ?」

「……それは、そうかもしれないなぁ。

 ならユハには、今日は帰るよう伝えるよ」


 フィンスは、現在護衛を務める者に早上がりをさせようとドアの外へ伝えに行く。


「────今度、酒を奢れってさ」

「は? 仕事代わったんなら、ヒトは喜ぶんじゃないのか?」

「さぁ。君のように、私の側にいる方が面白いと思っているんじゃないのかな?」

「一緒にすんなよな」


 そう言いつつも、コールは逆の立場になった時に自分ならどう思うか。

 考えただけで、「……マジかよ」と言葉がでた。


「くれぐれも、ディーゼを怯えさせるようなことはないように」

「ハイハイ。あんたの宝物だからな」


 フィンスにとって、前世での宝とは知識であった。

 あるいは、研究成果。

 それに人生を捧げたのだから、当然の結果とも言える。


 だが、今世でもっとも大切なものは何かと問われれば。

 迷わず『妹』と答えただろう。


 家業である商売は、『楽しみ』だ。お金も、その手段に過ぎない。

 彼女に人生を捧げているわけではないが、理屈ではない。護りたいと思えるものは、彼女しか考えられなかった。


「──! なるほど」

「?」

「竜は、ヒトの願いに感銘を受けたわけではなく。……その者を護りたいと思ったのだろうか」

「なんの話だ?」

「私は絆というものの、一つの形を見付けたようだ。

 竜は願いを持つ者に従うのではない。大切だと思ったから、護るのだと」

「……従うのではなく、護る。……か。ふん」

「ひとつの見解ではあるが、どうだ。

 少しはヒトの心を、他の竜のことを理解したか?」

「…………オレにはまだ、はえぇ話題だ」

「そうか。なら、それについては私が先を行ったようだな」


 どこか得意げにフィンスは言う。


「……でも」

「?」

「だれかに名前を呼ばれるのも、……わるくはねぇな」

「違いない」


 前世、『大魔導師』と呼ばれることの多かったフィンスにとって、それは覚えのある感情だった。



 ◇



「フィンお兄さま!」


 ドアをノックすると、護衛である女性が一度出てきた。

 用件を伝えれば中に通され、それを見たディーゼの顔は急激に明るくなった。


「やあ、ディーゼ。いい子にしていたかい?」

「えぇ、もちろん! お兄さまにほめていただきたくて、勉強をしておりました」

「さすが私の妹だね。でも、無理してはいけないよ」

「はい。休みながらですので、ムリはしませんわ」

「なら、いい」


 コールには口を挟む余地はなかった。

 ただ静かに成り行きを見守る。

 兄妹は、出会うと同時に二人だけの世界に入るのだ。

 その上、見ていて気分を害するようなこともないのだから、一種の才能だろう。


「おや、今日は一つに結んでいるんだね。似合っているよ」

「ほ、ほんとうですか!? うれしい……!」


 ディーゼはフィンスと同じ、金の輝く髪を長く伸ばした見目麗しい少女。

 青い瞳は、彼と同様に映し出す者の心を晴れやかにさせる。


「普段のコールみたいだね」

「──え゛?」


(おいおい、一緒にしてやんなよ……)


 それは女子供と一緒にされるのは心外だ。という思いではなかった。

 このディーゼ、常にフィンスと共にいる自分をライバル視している節がある。

 要らぬ火の粉を飛ばすな、という意味でコールはフィンスを恨んだ。

 案の定、ディーゼからは冷たい視線を向けられる。

 居心地がわるい。なにをしたわけでもないのに。


「?」


(こいつ、妹のことになると急にバカになるんだよな……)


 妹から向けられている、敬愛。それは一般的には異常の域かもしれない。

 だがフィンスにとって家族愛というものは今世で初めて得た経験。

 『ふつう』の家族愛を知らないフィンスにとって、妹がただの護衛であるコールに対して嫉妬の感情を向けるなど考えが及ばないのだ。


「そ、それでフィンお兄さま。どういったご用件ですの……?」

「あぁ、勉強の邪魔をしてごめんよ。実は、ちょっと聞きたいことがあってね」

「?」


 離れて見守る護衛の者すら、不思議そうな顔をしていた。


「ディーゼには今、想い人はいるのかい?」

「「「!!??」」」


(そ、そのまま聞きやがった)


 前世の膨大な知識を有したフィンスは、商会でも目覚ましい活躍を見せていた。

 だが、こと妹のことに関してだけは知能が下がる。

 いや、戻るといった方が正しい。

 それは記憶を取り戻す前の『フィンス』として妹を可愛がった経験からなのか、それとも初めての家族愛というものに浸っているのか。

 とにかく、ディーゼに対してだけは年相応の、ただの兄『フィンス』だった。


「え、……え、……ええぇー!?」


 思いもよらない問いに、ディーゼは顔を真っ赤に染めた。

 周りから見れば、血の繋がった兄妹とはいえフィンス以上に大切に想う異性はいないことなど明白なのだが。


「その反応だと、いるのかい?」

「いいえ!! ……いない、と言えばいないですし。いると言えば? ……ええと」


 ディーゼもどう答えたものかと頭を巡らせている。

 護衛の者は側に近付き、なんとか知恵を授けようとするがいい考えはないのだろう。互いに「どうしましょう」と言うばかりだ。


「ふむ」


 フィンスの父、ラディアスは婚約話をしないようにと言っていた。

 話題を引き延ばしても、互いに利益ある話ではないとフィンスは理解しているだろう。


「まぁ、無理に聞きだすつもりはない。

 私もできる限りディーゼの希望は叶えてあげたいからね。

 なにかあれば、すぐに言うのだよ」

「え、え、あの…………はい」


 ディーゼも護衛の者も、何ともいえない表情を浮かべる。


(こういうところは、抜けてるんだよな)


 つまり、膨大な知識をもってしても分からないことがある。

 フィンスはまさに実証していた。


「では、引き続き無理しないで頑張るんだよ」

「はいっ! フィンお兄さまも、ムリはしないでくださいね」

「もちろん」


 互いに笑顔で一度抱き合うと、コールはフィンスと共に部屋をあとにした。




「……にしても、あんたの兄。しばらく大人しかったのに、最近分かりやすいな?」

「もうすぐ私は、16歳だからね」

「関係があんのか?」

「…………」

「な、なんだ?」


 フィンスの顔には、『呆れた』と書いてあった。


「君、一応は商人の護衛なんだから。頭に入れておきなさい。

 ……商人の互助組織である商業ギルド。商いをしようとする者は、そこに申請しないといけないが、16歳未満はどれほどの資金をもってしても、後見人と……。つまり、連名でしか代表になれない。私でいうと、今エルランド商会を継いでも父と権限を二分する」

「……ほう」

「16歳になってしまえば、身元の確認と潤沢な資金さえあれば、一人で興すことが可能になる。 つまり、エルランド商会を16歳で継げば、父は全権を私に委ねることも可能だ」

「あんたの兄は、16歳で継がせてもらえず。……あんたには、継がせてもいいと思われてるってことか」

「さぁ。父に、私は継がないと言っているからね。どうなるやら」

「ふうん? まぁ、なんでもいいが……あっちでも動きはあったようだぞ。

 例の、北で幅を利かせてる盗賊。なぜか東でも出たぞ」

「やはりか。イルトは?」

「商隊長につけた、オレの影が追い払った。無事だ。

 もともと冒険者も数人護衛についてる」

「ならいい」

「もはや手段を選んでないな。……そんなにこの、商会ってのが大事か?」


 ただ一度会っただけのイルト。

 彼を『友人』と呼んだからか。それとも単に気に障ったからか。

 これまでもフィンスの仕事を何度も邪魔しようと、アーディは策を講じていた。

 そしてフィンスが16歳になるのを前に、手段を選んではいないようだ。


「大事なのは、我が身だろうよ」

「へえ? 必ず自分の目論見が成功するって思ってんのか?」

「あれで、なかなかに面白い。まぁそう思えるのは、私が前世を生きたことが影響しているのかもしれんが。……狡猾で、浅はかで、爪の甘い。ふつうのヒトは、なんとも可愛らしい生き物ではないか。私なら、仕損じたあとの手を最低2つは講じておく」

「主どのは、こえーな」

「現実的だと言ってくれ」

「で、どうするんだ?」

「どうもしないさ。たしかに目障りではあるが、私は私の仕事を全うするだけだからね」

「意外だな。こういった芽は、はやくに摘んでおく。……とでも言いそうだが」

「君、私は一応15歳だぞ」

「315歳だろ。じじいだ」

「私より遥かに年寄りの、君に言われたくないなぁ。

 ……だが、そうだな。すこし、手を貸してあげようか」

「は?」

「おびき出されてあげようってことだ」


 悪巧みを思いついた、年相応の表情でフィンスは楽しそうに言った。

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