第80話『断章2・魂の在り処』
「お、ちょうどいいとこに来てくれた。
「狼牙……」
少年が呼びかけた先へ
たなびく毛並に角を思わせる黒の二色へ口端を歪め、烈風は忌々しげに名を呟く。
「もう烈風と話していたか、スレイブ。仕事が早いな」
「偶然見つけられたからな。ま、肝心の話は全然進んじゃいねぇんだけどな」
「充分だ。本来、やる義理もないことをやってもらっているのだからな。
で、烈風。スレイブから話を聞いているなら分かると思うが……」
「狼牙ニ語ル事モ、ナイッ」
長の到着によって烈風の拒絶は一層激しくなり、威嚇の唸り声も総毛立つ様を幻視する程に。
対して狼牙は努めて優しい口調で彼女が行使した魔法の一端に触れた。
「あの憑依呪法とやらで宿っている精神……奴は
「態度?」
「左様。あの皇牙が、我らを率いたあの皇牙が、同胞を糧などと称する訳がない……!」
『貴様も、貴様に付き従う一族も……諸共に滅びて糧となるがいいわ……!』
狼牙が回顧したのは、先に交わした言動。
肉体側の負担を超過した行動に、己が移行が無視されているからと同胞を糧と称する態度。
そのどちらもが彼の脳裏に浮かぶ長の姿からはかけ離れ、別人と呼んで差し支えない様相を呈する。
「長として不甲斐ない私だけを否定するならば分かる。私なりの全霊を以って挑んでこそいるが、結果が伴っているかとは別問題故に。
だが、私のやり方に否が応にも付き合う他にない同胞を否定するのは違う。それを皇牙が許容するはずがない……あのような物言いを、するはずが……!」
「狼、牙……?」
滲み出る激情と少女にしても信じがたい言動に、烈風は目を見開いて驚愕を示す。
「ソンナ、事……皇牙、ガ……?」
「アレを皇牙と認める気はないが、ヤツは確かにそういった」
「なんでお前が驚いてんだ? お前が使った魔法だろ?」
スレイブが抱いた当然の疑問に、動揺から回復し切れていない烈風は言葉を詰まらせながら紡いでいく。
ゆっくり、少しづつ、確実に。
「アレ、教エタ奴カラハ……死者ノ魂ヲ私ノ身体二降ロス、魔法ダト……ソンナ事、言ウ訳ガ……!」
「あー。そりゃ騙されたか、もしくは大事な部分を聞かされてねぇかだな」
危険な魔法を行使させるため、詳細を教えず無知のまま運用するという話を風の噂に聞いた覚えがスレイブにはあった。
魂に干渉、ましてや誰かの身体に下ろす魔法など恐ろしい挙動が隠れているに決まっている。
少年は合点がいったと首を何度か上下させると、狼牙は諭すように話を進めた。
「烈風。誰からどうやってその魔法を聞いたのか。それが知れれば、皇牙の魂がどうなっているのかも知れるやもしれんのだ。
私達にだけでも、話してくれないか?」
「……」
無言の静寂はどれだけ経過したか。
ゆっくりと口を開くと、烈風は重い口調で当時のことを語り始めた。
ここからの話は、烈風の語った内容を狼牙が翻訳した上で咀嚼したものである。
曰く風牙一族と火線戦団が激突した末に皇牙を含む多くの同胞が死亡し、かつての長だった亡骸が発見された後。
当時皇牙に懐いていた烈風は彼の死を受け入れることができず、小川の流れを観察しては無為に時間を溶かしていた。何らかの意味を求めてのものではなく、ただ現実から逃れるためだけの行動として。
その度に両手で抱えた皇牙の毛皮は一層に絞めつけられ、跳ね返ってくる綿毛の如き感触も回顧感を刺激する。
不意に肌へ突き刺さる視線に対して顔だけを背後へ向け、か細い声で問いかけた。
「誰、ダ……?」
「おやおや、我が隠密を見抜くとは」
烈風に呼びかけられ、茂みの奥から姿を現したのは一頭の魔狼。
黒を基調に黄金を各所に塗した自他の注目を欲しいままに集める毛並に、烈風を乗せて何ら支障なく疾走可能な強靭さを感じさせる四肢。黄金色の眼光をいやらしく細め、生傷の絶えない少女を観察する様は、変質者の誹りが妥当にも思える程に。
だが、魔狼の最も注目を集める部位と比較すれば、他の要素は些事にも等しい。
そう、額を挟んで等間隔に生えた一対の巻き角と比べれば。
「おおっと、ご挨拶が遅れました。わたくしはヰビルと申します」
「イビル……?」
「おっとおっと、わたくしはヰビルと申します。もっとヰの部分に感情を込めて下さい」
「イ、ヰビル……?」
「よろしい」
烈風には発音としての差異を感じられなかったが、元より人間には不適当な環境で生まれ育ってきた身。人としての常識が備えられる訳もなし。
ヰビルも分かっているのか。ある程度の発音で妥協すると、早々に本題を切り出してきた。
「はてさて。今回わたくし達が訪れたのは何も、毛皮を愛でて満足できるリーズナブルな人材を求めてではありません」
「何ノ、話……?」
「結論から述べれば、皇牙をこの世界に引きずり下ろしたくありませんか?」
「引キズリ、下ロス……?」
自らの物言いに反芻した烈風に首を傾げるも、すぐに見当がついたのか。わざとらしい咳をすると、ヰビルは言葉を正した。
「あぁ、これは間違えましたね。言葉を。
あなたを依代にして、皇牙を復活させたくはありませんか?」
「復活……ソンナ、事ガ?」
復活が指し示す意味に、理解が及ばない訳ではない。
が、絵空事に過ぎない夢想を口にされて、素直に飛び込むような警戒感の欠如ともまた彼女は無縁。
ヰビルを凝視する眼光に鋭利なものが宿るも、肝心の睨まれた相手は首を左右に振って自らへの疑義を否定する。
「無論、永続的なものとはいえますまい。あくまで魔法の作用、一時的な降霊に過ぎません。
それに依代であるあなた自身は会話することも不可能。加えて、呼び寄せる相手の肉体の一部が必要ですが……幸か不幸か、そちらの持ち合わせは揃っている模様」
黄金色の眼光が見つめる先には、烈風が力強く抱き締めている皇牙の毛皮。
一族の長に相応しい偉容を覚える白の毛並も、主の手を離れた今では手入れもされず血痕や跳ねた泥が目立つ有様。そして同胞の屍を痛めつけ、あまつさえ切り裂く行為は本来、風牙一族の掟にて厳罰となる。
内心では制裁を恐れているのか、少女は魔族の言葉に縋るかのように毛皮を掴む力を強めた。
「ジャア、皇牙モ……?」
烈風の目尻に水滴を見せる問いかけに、ヰビルは醜悪な笑みを浮かべて肯定の言葉を述べる。
「えぇ。一時的にですが、この世界に舞い戻りますよ」
そしてヰビルの言葉を信用した烈風は魔法と唱えるための詠唱を教わり、彼の見ている前で件の代物を行使した。
死した魂を己が身に下ろす降霊の魔法──憑依呪法を。
「アノ時……確カ二、アノ魔族ハ皇牙ダッタト……!」
告げられた真実に愕然とする烈風。
自身の肉体を依代に、皇牙の毛皮を媒介にして魂を呼び戻す魔法だと彼女は聞いていた。だが狼牙とのやり取りを聞けば、かつての長と同一視などできようはずもなし。
そも魔族に縋ったことが過ちだと言わんばかりの眼差しを注ぐスレイブに対し、狼牙は静かに嘆息を零す。
思わず身体を震わせる少女へ、風牙一族を託された魔狼は諭すように口を開いた。
「傷心につけ込むは魔族の常套手段とはいえ……それを隙などと私には言えんよ。私も、皇牙の死を受け入れたとは言い難い」
「まー、死んではい割り切りましたー、とはいく訳ねぇわな」
「狼牙、モ?」
烈風の問いに自嘲の笑みを零すと、狼牙は言葉を続けた。
「フッ、笑えるか……夜な夜な思うのだよ、どうしても。皇牙は洞窟の前で待っているのではないか、とな」
眼前に証拠を突きつけられてなお、と続く弁に烈風は身を縮こませる。何よりも雄弁に語る証拠を、彼女自身が被っているが故に。
切欠にこそなれども最早自分の出る幕などないとスレイブが片膝を突く裏で、狼牙は怯える少女の瞳を見つめた。
濁った魔力の流れ、その根源を見据えるように。
「烈風、弱みにつけ込む形で教わった魔法などもう使うな。貴様が傷つくことを、本当の皇牙は望まない」
突きつけられた本心を前に、烈風は言葉を返すことができなかった。
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