第78話『断章1・発露する憎悪』
黄金飛行市場バビロンの一角。
本来は屋外での競りにでも扱う設計なのか。楕円上に相応の面積が確保された広場にはドラゴニュートや風牙一族、そして奴隷が固唾を呑んでその時を待ち望んでいた。
拠点が国家陥落混成大隊の手に落ち地上を離れて以来、緊張の糸が解れた面々はどこか退屈を持て余している。大隊のメンバーは日々の鍛錬を怠っている訳ではないものの、差し迫った明確な脅威や逃れるべき事態から乖離した現状は張り詰めるのも困難。
刺激を希求していた彼らにとって、今回目の前で行われる催しは退屈な日常を吹き飛ばして有り余る意味を内包していた。
「スレイブ、こんな喧嘩に付き合う意味があるのか?」
円形の内側。黒地のアンダーシャツにカーゴパンツと四肢の鎧を外した普段に増してラフな格好の少年へ呼びかけたのは、前開きのフードの下にサラシを巻き扇情的な服装をしたムクロドウジ。
部下の身を心配し、彼が望むのであらば一喝で全てを白紙に戻せるという暗に仄めかされた主張に首を振ると、青の瞳は正面で待つ男を睨む。
「喧嘩じゃなくて決闘だろ」
「賭けるものも何もなく決闘が成立するか。これはただの喧嘩だ」
「なるほどな。ま、殴り合って気が紛れるなら上等ってもんよ。武器の使用は禁じた訳だしな」
「それは、そうだが……」
大仰に肩を竦めてみせるも、ムクロドウジの不安は拭えない。
事実、決闘を挑んできた主犯は自己満足であると主張していた。
「大体よ、部下に負けて上官が務まるかよ? メンタルケアに付き合ってやるのも大事な仕事ってもんだ」
「……面倒な仕事だな」
「全くだ」
微苦笑を浮かべるムクロドウジへ白い歯を見せると、スレイブは頭を振って思考を変換。眼前に待つ鬼族の下へと歩みを進める。
既に円の中央で待機していたオボロは、上官を前に隠す素振りも見せぬ憎悪を視線から滾らせた。
硬く、固く首元のネックレスを握り締め、男は敵愾心の一端を吐き出す。
「アイツとの話は済んだか」
「あぁ、積もる話は明日にしようってな」
「減らず口を……」
スレイブからの挑発に歯軋りを立て、オボロは目つきを鋭利に研ぎ澄ます。
「お前の八つ当たりに協力はしてやるが、別にお前にやられてやるつもりはねぇからな。たまの殴り合いも、まぁ悪くねぇだろ」
「ただ殴り合うだけで済むものか」
「僭越ながら、この戦いの主審を務める運びとなった狼牙だ。勝敗はスレイブかオボロ、いずれかの降参か気絶を以って判断する」
二人の際限なきやり取りに終始するよりも早く、審判を担当する狼牙がルールの確認を促す。両者は一旦視線を風牙一族の長へと注ぐと、首肯を以って返事とした。
オボロの感情を知ってか知らずか、スレイブは好戦的な笑みを浮かべると、拳を掌へと叩きつける。
「いいぜ、こっちは準備万全だ。いつでも始めようぜ」
対峙するオボロも腰を低く落とすと、半身の姿勢で少年と向かい合う。
「潰す」
「それではこれより、スレイブとオボロの決闘を開始する。両者……始め!」
狼牙のかけ声と同時、両者は同時に拳を振るう。
生々しい打撃音が木霊し、互いの有する人外の膂力が相手を弾く。頬へ伝わる鈍痛に奥歯を噛み締め、スレイブが顔を上げると視界を埋め尽くすは赤の拳。
「これはアラタの分ッ!」
振り抜かれた一撃は一瞬首が飛んだのかと疑う程にスレイブを仰け反らせ、胴体をがら空きにする。
捻られた腰を反転させ、続くは左の一撃。
だが胴体を貫く攻城杭の一撃は間に差し込まれた掌に抑えられ、致命には至らない。
「誰だよ、ソイツは……!」
「グッ……!」
拘束を振り払うべく腕を引っ張るものの、万力の如く握り締められた左拳は激痛を訴えるばかりでオボロの意思を反映しない。
故に反撃の一撃を遮る術は皆無。
「オラァッ」
どこに当たろうとも構わない、力だけは途方もなく込めた乱雑な拳がオボロをよろめかせる。空気が震撼する度、地面に血痕が舞い散る度に熱狂する観客は割れんばかりの歓声を送るばかり。
一方的に殴り続けていたスレイブを食い止めたのは、意外にもオボロの頭部だった。
「いッ……!」
拳へ向けた頭突きによって衝撃が最大限に達するポイントをズラされ、同時に人体でも有数の強度を誇る頭蓋骨が拳に鮮烈な痛みを与える。
想定外の手に思わず距離を置くも、直後にスレイブは己の判断ミスを恥じた。
咄嗟の判断を咎めて間合いを詰めたオボロが、引き絞られた弓よろしく反対側に回した両腕が解き放たれる光景を目の当たりにしたのだ。
「お前、いや……お前の元の身体が殺した同胞だ!」
「ガッ……!」
胴体を貫き、内臓にまで伝播する衝撃が体内から空気を押し出し、スレイブの視界を明滅させる。
やおらに振るってしなる腕が鬼族の皮膚を穿つも、オボロに止まる気配はない。
「奴には帰る場所があったッ。妻と子もいたッ。それをお前が殺した!」
吐露される怒りを乗せた乱打を捌き切れず、黒のインナーには抉るような傷が増えていく。
脳内物質の作用か、オボロは溢れ出す感情が赴くままに言葉を乗せる。乗せていく。
「角も今や俺が持つ一つのみッ。片割れはムクロドウジの腹の中だッ。分かるか、鬼族にとってそれが指し示す意味をッ!」
「んなの、知らねぇよ!」
「グッ……ガァッ!」
両の拳を食い止め、スレイブは青の瞳を細めてオボロを凝視する。
鬼族のしきたりや伝統を知っていようはずもなく、スレイとしての意識も沈黙したまま。彼の同胞を屠った実感など、混血体としての生しか知らぬ彼に問う方が間違っている。
だが、敢えて口角を吊り上げると男は好戦的な笑みを以って返答とした。
「一々殺した相手の事情なんか知るかよッ!」
陣風舞う右ストレートがオボロの顎を穿ち、脳を揺らす。
指示を失いよろめく身体へ叩き込むは、左のボディブロー。
更に追撃を仕掛けんと右手を振り被るものの、それは先んじて放たれた鬼の拳が阻止する。
「ならば俺の拳を通じて知れッ」
「んなの出来るかッ、テメェの拳は念波の代用かァッ?!」
オボロが感情をぶつけてきた時点で、スレイブには決闘の意味するものが理解できた。
彼が内心に溜め込み、バビロンが浮遊して差し迫った脅威が喪失した今だからこそ安全に行える行為。
大隊長として振る舞うスレイブの前身──同胞を屠った歯車旅団の一員たるスレイとの決別。あるいはどうしようもなく同一視してしまう両者を切り離すための作業。もしくは複雑な心境を向ける相手だからこそ遠慮なく振るえる暴力による葬儀。
詰まるところは、オボロ自身が整理をつけるための儀式。
なれば、拳を鈍らせる事実は不要である。
ただ殴られる道理がないのと同様に、わざわざ弁解の言葉を労する必要も全くない。
「潰れろやッ。オラァッ」
興奮した身体が命じるままに口を動かし、殴り合いの形式に付き合うのみ。
両者の打撃音と感情を乗せて口走った言葉が木霊し、どれ程の時が経過しただろうか。
儀式の決着手に興味を持つ者がいなくなる程の長時間、互いの拳をぶつけ合った末、先に膝を屈したのはオボロであった。
「ハァ……ハァ……ハァッ……俺の、勝ちだな……」
「大丈……!」
鈍痛によろめき、あわや転倒するかという場面。
力任せに足を振り下ろし、大地に根を張るが如く立ち続けると、体内に溜まった熱を噴火寸前の火山が如く排出する。
咄嗟に駆け寄ったムクロドウジも所在なさげに視線を彷徨わせると、やがて背後からの視線に気づいたのか。スレイブは顔を向けぬまま声をかけた。
「勝者が倒れたら、格好がつかねぇだろうが……!」
「ッ……ヒハッ、殊勝な心がけだ」
そして青の瞳は興味の対象を仰向けに倒れた好敵手へと注ぐ。
力なく倒れる様は死体を連想させたが、幸いにも胸元は呼吸の度に上下を繰り返していた。
頭上から降り注ぐ夕焼けが染みるのか、目を閉じたままオボロは口を開く。
「俺の、負け、だな……」
「あぁ……満足したか?」
「満、足……は、してないが……そうだな、スッキリはした、か?」
何故疑問符なのか。
わざわざ殴り合ったにも関わらず、全ては徒労だったとでも宣うのか。
スレイブの頬を伝う汗に冷えたものが混じる中、仰向けの男は言葉を続ける。
「上官を殴って、何が変わるでもないが……溜まったものは、吐き出せたか……
我儘に付き合って、くれて……感謝する」
「……ハハ」
オボロからの感謝を受け、スレイブは頬を僅かに緩ませた。
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