第77話『断章1・燻る憎悪』

 黄金飛行市場バビロン。

 かつては神隠連盟かみかくしれんめいが所有し、今やフォルク王国に仇名す国家陥落混成大隊の手に落ちた都市は雲を割り、人の生活圏からかけ離れた上空を浮遊していた。

 吸い込まれる晴天と直に降り注ぐ陽光の下、黄金に彩られた都市を歩く男が一人。

 鬼族特有の真紅の肌に屈強な体躯、恥じるものなどないと大胸筋を晒して下半身は黄と黒のストライプカラーに彩られた布地を巻きつけた大男。そして首元には同胞たる男が遺した角をネックレス代わりに装着した鬼の名は、オボロ。


「……」


 オボロは不機嫌さを隠す素振りも見せずに一人、バビロン内を歩いていた。

 暇を持て余していたのも理由の一つであろうか。

 バビロンが浮上して以来、他者からの襲撃は皆無。見回りそのものも飛行可能なドラゴニュートが担当し、翼を持たぬ彼や風牙かぜきば一族、奴隷達の出る幕はない。

 王国への侵攻計画が練られているという噂もまことしやかに語られている。が、少なくとも彼が信憑性を持って受け入れる程のものではなかった。

 それと、もう一つ。


「グゴ様、本当に頭がアレで大丈夫なのですか?」


 耳目を叩く光景に眉をひそめると、オボロは曲がり角に身を隠して聞き耳を立てる。

 相手に気取られぬよう、慎重に視線を向けると一目で注目を集める左腕のドラゴニュートと彼に意見する同胞の姿。


「くどい。我らは決闘に敗北したのだ、ムクロドウジが上に立っているのはその結果だ。

 今更父の死を反故に出来るものか」

「しかしッ、あんな小娘に何が出来ますか。現に奴はスレイブ様を偏重しているだけで、我らへの信頼など──!」

「それがくどいと言っている!」


 口論の内容は、彼が集団から距離を置いていた理由に違いなかった。

 一つの組織として、大将にムクロドウジを置くことの是非。

 ドラゴニュートに風牙一族、そして奴隷階級の人間。多彩な種族を纏め上げた国家陥落混成大隊はその実、トップである少女への信頼に著しく欠けていた。

 当然の話ではある。

 何せ彼女は己が力を以って他者を屈服させるやり方しか取らず、信を得る方法を知らぬとばかりの行動を繰り返す。

 オボロ自身、前身の鬼族王国方面軍としてこの地に足を運んだ経緯もかつてムクロドウジに敗北し、物理的に格下と認識させられた部分が強い。仮に任意で選択できたのであれば、今も溶岩蔓延る本拠周辺で屯していたに違いない。

 同胞たる鬼族すらも信用させるものを見せない女が、他の種族を納得させられよう訳もなし。


「確かにムクロドウジは信用に欠け、思慮にも欠ける。だが奴が信用するスレイブはどうだ。

 あの男ならば、信を預けられよう。貴様らの言う、小娘よりもな」

「それは矛を交えたグゴ様だからこその主張です!」


 オボロはある意味ではムクロドウジ以上に不快な名前が飛び出したのを機に壁から身体を離すと、来た道を反転して辿っていく。

 大将への不信感はバビロン中に蔓延し、いつ爆発してもおかしくない状況である。

 とりわけドラゴニュートは大将の敗死を以って傘下に加わった経緯もあってか敵視が根強く、先の包囲網へ突撃した一団も及び腰に見えた彼女の姿勢が気に食わなかったのだろう。

 アレ自体はフォルク王国に潜入していた連中を待っていたからこその策であり、彼個人として不信を募らせるものではない。しかし、皆が一様に公平な目線でものを見れるものでもあるまい。

 そしてムクロドウジの下に着くことを良しとする面々は口を揃えて奴の名を言祝ぐ。

 示し合わせたかの如き所作は、彼に割り切れない敵愾心を植えつけていく。

 気づけばオボロの足は黄金で彩られた都市の中心部、天へと聳え立つ魔塔へと向かっていた。

 階段を上り、到達した扉を潜ると幾らかの面々が互いに言葉を交わしている最中。


「グゴからの報告ではバーディストに突っ込んだドラゴニュート達は謹慎処分を受けてるって話だが、なんか理由は言ってたか?」

「直接ではなくグゴの報告経由だが、あんな人間にビビることはないと……焚きつけた奴隷達が思いの他に士気が高くてやれると錯覚したのだろう」

「ヒハッ、わざわざ視界の悪い場所に突っ込む馬鹿がこんなにいたとは」

「ムクロドウジ、今の物言いはどうかと」

「仕方ないだろう。私としてもせっかく集まった戦力を無駄に浪費させられたんだぞ、愚痴の一つも出るというものよ」


 諫める言葉へ大袈裟に肩を竦め、鬼族らしからぬ白磁の肌を持つ少女は椅子へもたれかかる。一方で諫めた方の狼は嘆息を零すと、視線を扉が開いた音の先へと注いだ。


「……でだ。今やバビロンは空の上、敵からの侵攻も幾分か可能性が薄れている。

 ここで何らかの形で慰労の催しでも行うべきではないか?」


 風牙一族を率い、現在は陸戦部隊を纏め上げる狼は現状を省みての提案を口にする。

 一瞬注がれた視線も、入室者の正体を捉えると早々に離された。おそらく面子が面子なだけで堅苦しい本格的な会合という訳もないのだろう。実際、大隊長格を含めたものとしてはグゴが欠けている。


「慰労? 別に常日頃から働かせている訳でもない、そんなものが必要か?」


 他方で催しの意図が読めず、漆黒の巻き角を生やした少女は疑問を零す。

 戦いで疲労が取れると本気で信じていても不思議ではない彼女にとって、わざわざ労うという発想は未知のものに違いない。

 そして長の主張へ指摘する役割が誰かなど、決まっている。


「そら息抜きは必要だろ……そういう時に食うもんは特に美味いしな。

 確かに言われてみりゃ、ここ最近は張り詰めてばっかだったな。何やるんのかはともかく、発想はいいんじゃねぇか」

「そういうものなのか?」

「フム。ならば物資の方も確認して、何ならやれるか検討してみるか」


 少女の零した疑問には然して取り合わず、大隊長二人は言葉を交わす。

 無意識の内にオボロは、首元にぶら下げた角を握り締めた。

 平時の四肢を鎧に包んだ姿よりも幾分かラフな格好をした少年こそ、彼の友に引導を渡した存在。厳密な意味では異なるとの話だが、肉体の差異が薄ければ認識が重なるのも自然な話。

 足を進めて少年の前に立ちはだかると、側から不快気な声が割り込む。


「何の用だ、オボロ。貴様と語らう暇はないぞ」

「スレイブ、お前に決闘を申し込みたい」

「…………は?」


 横から聞こえる驚愕に意識を注ぐことはなく、視線は真っ直ぐに海を思わせる青の瞳を捉える。少年もまた一瞬目を見開くものの、短時間で回復するとゆっくりと細められた。


「……意図は? 大隊長の座が欲しくなったか?」

「俺の納得のためだ、付き合え」


 口から漏れたのは、あくまで己がエゴ。

 見当違いな憎悪と切り捨てられようとも、今更文句を言える筋合いがなかろうとも。

 胸中に沈殿した黒い感情を抱えたまま、現状を受け入れることがオボロには最早不可能。同胞を殺した少年の骸を元に生まれた存在といえど、彼の中にそれが微塵も残っていない訳ではないのだから。

 そして仇が漏れ出た光景もまた、何度か目の当たりにしていた。


「……」


 顎に手を当て思案する少年は、数秒の合間を置いて口を開く。


「こっちは武器が壊れてる。素手でいいなら付き合うぜ」

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