第76話『慚愧の念は止め処なく、世界を灰に染めていく』
雨が降る。
人々の涙を覆い隠すように、或いは天上に座する主もまたその死を惜しむように。
フォルク王国王城。ハーツノナリス城周辺には、多数の人々が集まっていた。
男がいた。女がいた。子供がいて、老人がいる。
彼らは皆が一様に大粒の涙を流し、溢れ出す悲しみが雨音に紛れて周囲に響き渡る。
人々の視線は一心に一つの場所へ──大衆を見下ろせる壇上の正面に設置された棺へと注がれていた。一歩奥には在りし日の姿を写し取った絵画が、色褪せることなく存在感を露わにする。
ギルバート・G・マクマート。
本来死するはずがない英傑の骸はフォルク王国を出てすぐ、黒の森で発見された。全身から血を流し胸部を貫かれた様は彼を死に追いやった者との壮絶な戦いを想起させ、周辺の根こそぎ薙ぎ払われた木々もまた印象を助長する。
「良き隣人でありました、彼は。そして未だに信じられません、私は。受け入れられないのです、彼の死を」
壇上で口上を述べる青峰協会の長──ジャーヌ・D・カトリーヌの言葉が耳を擦り抜けているのは、壇上の側面に立ち並ぶ歯車旅団のメンバー、ミコト・ヤマタ。
普段とは異なり無地の着物にマントを羽織った出で立ちの彼女は、平時の柔和な表情を無に落としていた。
ギルバートの骸が発見された場所には、他に二つの遺留品が存在した。
一つはマリオネット・T・トートの死体。
彼も本来ならば国葬が適当な人物。だが、直前に奴隷関連の条約違反が噂されたことで今は彼が率いる組織諸共に対応が保留となっている。
問題はもう一つの遺留品。
「アロンダイトの、破片……」
報告はあくまで大剣と目される得物の破片であった。
不幸はミコト自身が持ち主と長年を共にしていたことか。
彼女には分かってしまったのだ。破壊された得物の名から連動する形で、下手人の正体に。
「スレイ……」
第三次黒の森開発計画に伴う先遣隊として対峙した少年にして、彼女が購入した奴隷。そしてよりにもよって鬼族の手に落ち、スレイブを名乗って敵対する存在。
無理筋だと心のどこかで声高に主張する部分を握り潰し、ミコトは視線を彷徨わせる。
自分が見捨て、せっかくの助ける好機すらもふいにした結果、遂に団長の死にまで及んでしまったのだ。無尽蔵に蓄積していく後悔の念が、彼女の表情から涙を流す機能すらも簒奪する。
よぎってはいけない思考すらも、思考に割り込んでしまう。
「いっそ、私も一緒にあの時──」
気づけば国葬も終わり、最期の別れを済ませた大衆の多くは帰路へとついていた。残る者は未だ足も覚束ない程に落涙する者か、もしくは別れを惜しむ者かの二択。
彼女の紡ぐ声は雨音に紛れ、側に立つバーディスト・ハピネイスの鼓膜にまでは届かない。
「……歩けるか、ミコト。これじゃ風邪を引くってムスペルも言ってる。ひとまず、ついてくぞ」
テンガロンハットを深く被る彼の言葉に首肯すると、元歯車旅団の面々もまた棺を後にした。
遺された者には明日もあるが、彼らにとっての明日とは平穏を指し示すものではない。
むしろ反対に、ギルバートすらも打倒し得る存在との決戦が控えていた。
ミコトを含む元歯車旅団の面々が足を運んだのは、とある酒場。
元極組織の一角にして、今や欠けた二角の代替としての活躍が期待されている戦闘集団──火線戦団の拠点であった。
内部では国内の情勢など素知らぬ顔で酒浸りになった面々の姿がテーブルの数より存在していた。中にはアルコールの高揚に任せて殴り合いに興じ、勝者を賭け合う下品な催しまで始まる始末。
場違い甚だしい空気に不快感を抱く者も少なくないが、派手な傾奇者染みた容姿の団長は意にも介さずに二階への誘導を果たす。
話し合いの場として用意していたのか、二階には酔っ払いもおらず階下の喧騒が嘘のように静かであった。
「ひとまず今後についての話をするか。とりあえず、誰か代表が入れば頼むわ」
ムスペル・H・ローゲヴァイル。
派手な原色の和服を大胆に着崩した傾奇者は、慣れない調子で言葉を紡ぐ。流石は一つの組織を率いる長というべきか、悲しみに暮れる面々の前で普段の調子は自重していた。
彼の呼びかけに面々は左右に顔を見合わせるも、一歩足を前に出す者は皆無。
業を煮やしたのか、やがて一人の男が前に躍り出た。
「……誰もやらないなら、俺が行く」
「いい心がけだ、名前は?」
「バーディスト・ハピネイス」
「西方の出か、なるほどな。
歯車旅団の今後に関しては、聞いてるな?」
「……」
無言でこそあったが、赤髪を逆立てた男は肯定の意で受け取る。
「王様から聞いただろうが、歯車旅団は火線戦団に吸収合併されることになった。なんでも、今は戦力を分散してる場合じゃないってよ。
とはいえ、お前らとウチとじゃやり方が違い過ぎる。だからまずは意思を聞きたい」
「意思?」
「そ。俺らと一緒に働くか、もしくはこれを機に退職して平穏に生きるか」
肩を竦めてみせるものの、ムスペルに揶揄う意思はない。
事実、個人技による部分が多い火線戦団と集団戦を主とする歯車旅団では立ち回りも大きく異なる。混成といえば聞こえはいいものの、無理に二色を混ぜれば碌な彩りにはならない。
そして彼らが今後立ち向かう手合いは、今尻尾を巻いて逃げたとしても恥じる必要のない存在。
「国家陥落混成大隊だったか、奴らはかなりの難敵だ。それにお前らの知り合いもいるっぽいしな。やる気が削げたって奴を無理に徴用してもしょうがねぇ」
「だから、今なら止めてもいいと?」
「そういうこった。ギルバートの仇討ちがしたいっていうなら止めやしねぇが、だからってやりたくもねぇ奴を巻き込むのは趣味じゃねぇ。
命なんてのは、賭けたい奴が勝手に賭けるからいいんだよ」
ムスペルの言葉に納得したのか、階段を下りる音が木霊する。
一人や二人ではない。元の数を思えばなおもかなりの数が滞在しているのだろうが、それでも断続的に遠ざかる音は続く。
やがて足音が収まると、赤の双眸は眼前に立つ面々を睥睨した。
「最後の確認だ。残った連中は、覚悟があるってことだな?」
「覚悟なんて大層なもんはないが、少なくとも頭がすげ変わったからって止めるような柔なもんは持ち合わせてねぇな」
言い、バーディストは振り返ると未だに足を止めている一人の少女──ミコトの下へと歩み寄る。
「これは動けないって、訳じゃないよ?」
「……多分」
ミコトの言葉に覇気はなく、彼女自身は今も揺れ動いているようであった。
他の面々は今更躊躇うとは思えないが、彼女の場合は多少抱えている事情が異なる。
最早裏切者にして国の敵であるスレイブも、火国式の着物を着用した少女にとっては大事な存在。単なる購入者と奴隷以上の関係であった少年を手にかけられるかは、甚だ疑問であった。
自覚はあるのか、ミコトの視線は床へと注がれている。
「どうすればいいのか、私にも分かんない……でも、少なくとも、ここで向き合うことから逃げるのは駄目だってのは……多分、間違ってないと、思う」
探るようなたどたどしい口調に怪訝な表情こそすれども、彼女自身が決めた以上は根掘り葉掘り聞き返すのもまた問題。
バーディストは再度ムスペルと向き直す。
「後はここにいないグレイグの意思を確認する必要があるが……」
「ソイツに関しちゃ、どうも青峰協会預かりになるらしいぞ?」
「えッ?」
あっさりと口にしたムスペルの言葉に、黒髪を揺らして驚愕したのはミコト。
「どうにも傷の回復が遅くて、他の面々に迷惑がかかるからってよ。言われてみりゃ、国葬にも顔を出さねぇんだから相当なもんなんだろ」
「だ、だったらせめて面会に……!」
「それも拒否ってるってよ。全部ジャーヌ伝手に聞いた話だが、ま、足を運んだところで門前払いだろうな」
そんな、と呟くミコトの声音に誰もが内心では同意していた。
まるで確かに存在していた地盤が端から徐々に喪失していくような感覚に、浮遊感にも似た居心地の悪さを覚える。
もしくは、これこそが後の出来事を決定づけていたかのように。
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