第75話『黄金翳る都市の観察』

「ようやく安定した、のか……?」


 一定の高度にまで到達したのか、大地の揺れは数刻の内に安定する。地に足ついた感覚にスレイブは軽く地面を叩くも、跳ね返るような振動は訪れない。

 周囲には彼を乗せている狼牙の他には、高揚に身を浸して久しいムクロドウジの姿。

 バビロン浮上は神隠連盟かみかくしれんめいから奪取した当初からの目標であり、悲願成就に彼女が興奮するのも納得ではある。が、いつまでも高笑いをされては色々と滞るというもの。


「おい、ムクロドウジ。魔法が安定したならちょっと見回りにいっていいか。被害状況の確認がしたい」

「ヒハッ、どうした急に。それなら怪我の深いお前じゃなくて他の誰かでもいいだろ」

「いや、せっかくなら報告越しじゃなくて、直に見ときたい」


 内心不審な所があるのは、心中に秘めて置く。

 暴走にまで至った原因を探る一助にもなるだろうが、一方で鬼族の中でも浮いた存在である彼女が感情の機微に敏感とは思い難い。加えて要らぬ心配をかけた挙げ句、暴力的な解決法を実行される方が面倒でもあった。

 スレイブを乗せていた狼牙はある程度察してくれたのか、唸り声を漏らしつつも彼の思案を首肯する。


「今すぐというのはともかく、見回り自体は賛成だ。襲撃してきた部隊が何か仕込んでいないとも限らんからな」

「……だったら一度アイイシに顔を出せ。無理が崇って傷が開いたなど目も当てられんからな。治療が終わって動けるようなら、私も付き添おう」

「あー……ま、それでもいいか」


 想定外の提案に一瞬躊躇するも、下手に断る理由もなくスレイブは賛成の意を述べる。

 そしてアイイシに顔を見せ、あまりの重傷に怒髪天を突く様子であったものの、何とか治療が完了した頃には空模様も大きく様変わりしていた。


「あんなに怒ることなくねぇか?」

「当然だろ。レイドセラミック製の鎧が壊れる戦闘規模って、なんだそりゃ」


 スレイブの零した疑問に答えたのは、遊撃部隊所属の豪風。

 流石に被害確認の建前な以上、大隊長二人に大将など過剰極まる戦力で赴く必要はどこにもない。他方でバビロン全域を直接見回ることはアイイシに許可されなかったため、妥協案として彼女を呼び出したのだ。

 時間が想定よりもズレ込んだためか、もしくは小間使い染みた扱いにか。白の毛並に亜麻色のワンポイントを残す風牙一族かぜきばいちぞくは不満を隠す素振りも見せない。


「それに、こんな夜にわざわざ確認するこたないだろ。なんか見えんのか?」

「いいんだよ。むしろ好都合まである」

「見えないことがか?」

「一応、見えはするしな」


 事実バビロンの各所には松明が灯り、仄かな明かりが一定間隔で闇を照らしている。鬼族の混血体キメラであることを別にしても、暴力沙汰にさえならなければ視野に問題はない。

 また表に出し辛い話も、闇夜に紛れる形でならば口に出す者も少なくなかろう。

 やがて魔塔から離れて見回りを開始しようとする寸前、威圧的な声が豪風の足を縫い留めた。


「おい、スレイブ。私も同行すると言ったろうが」


 漆黒の巻き角を生やした少女の声に、少年は灰の髪を掻き上げて苦々しい表情を表した。


「おいおい、マジか。もうこんな暗いんだぞ。お前は休んでろよ」

「その言葉、そっくりそのまま返すぞ。怪我人が」

「言われてんな、大隊長様」


 豪風からの皮肉に舌打ちで返すと、スレイブも大将の同伴を拒否する口実を失っている事実にようやく気づく。

 止むを得ず、二人と一体で夜半の見回りを開始。

 とはいえ、別に面白いものがある訳でもない。

 元々強奪した領地である手前、地形の把握度は即座にフォルク王国へ潜入していたスレイブよりも滞在していたムクロドウジの方が上。そして既に残党がいないか全域に渡っての捜索が成されていたため、当初の建前が機能するような怪しい要素も絶無であった。


「これ意味あんのかよ」


 豪風が背に乗せていた上司へ不満を漏らすのも無理はない。

 上空に浮上している以上、他勢力からの襲撃など不可能とすら断言できた。故に夜間の警戒に当たっていた者も慢心し切っており、わざわざ指摘するのも憚られる始末。

 そしてスレイブが目論んでいたもう一つの目標もまた、達成される素振りはない。


「あー、そういやよ。これ、どういう理屈で浮いてんだ。ただ軽くなったってだけで土地が浮くもんか?」


 どうせ目標達成の兆しも見えないと、スレイブは素朴な疑問を口にした。

 彼の疑問に答えたのは、詠唱を紡いだムクロドウジ。


「浮上の件か。魔塔で唱えた魔法はどうやら複合的な効果があってだな。

 土地の重量を軽減すると共に、ワイバーンを目覚めさせる要素が含まれているらしい。浮いているのはそっちの労力だな」

「随分と力技なんだな……てかワイバーンなんて確保してたか、神隠連盟」


 ワイバーンといえばドラゴニュートとは異なる進化を辿った竜種の近縁。

 人と同様の四肢を得たのがドラゴニュートならば、繁殖のためにダウングレードしたのがワイバーン。

 共に竜種程の絶対性を持たぬが、だからこそ単純な数に於いては先祖を圧倒している。が、如何に劣化してもワイバーンが人の手で使役されたという話は殆んどなく、仮に手を結んでいても同盟のような形が大半と聞き及んでいた。

 故に魔法の一部に組み込まれるなど、スレイブには予想の外。


「噂の竜種の近縁を一目見ようと足を運んではみたが、アレは駄目だな」

「駄目?」


 だが遠くを見据えたムクロドウジの眼差しには、単なる落胆以上の何かが宿っていた。

 スレイブの疑問に答える口調は、彼女には珍しく沈んで思えたのも彼の気のせいではあるまい。


「魔法に組み込まれていたからかな。首と両足は鎖で繋がれ、そこ経由でバビロン深部にある魔力炉からの魔力供給で生かされていた……飯も食べてないのか、身体もやせ衰えていたさ」


 スレイブの脳裏によぎったのは、フォルク王国に向かう道中で口にした干物染みた体型。骨に皮を直貼りしたような弱々しい体躯に、穴だらけの翼膜で今も懸命に羽ばたくワイバーンの姿であった。


「やせ衰えって……そんな奴がバビロンを持ち上げてんのか?」

「あぁ。何せ四騎いたからな。

 しかし……あれでは意識もどうなのか。せっかく竜種由来の魔法でも聞ければよかったんだが」

「クソみてぇな手段だな。反吐が出る」


 両者が倫理に疎いためか、もしくは彼らを酷使する魔法に頼っている点では同類の自覚でもあるのか。

 スレイブを乗せた豪風が代理に苦言を漏らす。

 とはいえ、と付け足すムクロドウジは、同行者の苦言にではなく一つの推論を口にした。


「魔力炉から直接魔力を引き出せるというのは、中々面白そうだ。ヒハッ」


 彼女が見据えたのは、フォルク王国との決戦を控えた今、最上級の玩具を用いた未来図。

 雷が降り注ぎ陥落する王城の姿であった。

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