第74話『バビロン浮上』

「歯車旅団の団長、ギルバート・G・マクマートは死んだんだからなッ」

「な──!」


 想定するまでもない、あり得ない。一笑に付して終わりの馬鹿馬鹿しい音の羅列。

 にも関わらず一瞬、テンガロンハットの男は驚愕を隠し切ることに失敗した。

 見開かれた目、意味を為さぬ呻き、そして微かに揺れる銃身。

 バーディストが身体を硬直させ、二の手を打つまで思考が回らない。故に弾雨の間隙を突く形で狼牙ろうがは反転、背に人型の存在を乗せているとは思えない敏捷性で戦線を離脱する。


「ま、待てッ」

「待つかよ、こっちは仕事帰りなんだよ……!」


 彼の種族特性の視力は正確にスレイブ達を捉えているものの、思考の空白は咄嗟に引き金を引くに留まる。精彩を欠いているのは明白であり、だからこそ迫る殺意は地面へめり込み樹皮を砕き、肝心の背中を射抜きはしない。

 一方でスレイブは背に突き刺さる戦意が遠退くに従って張り詰めた空気を緩ませ、身体を狼牙へと預けた。

 風牙一族当主たる狼牙の白毛は柔らかく、鉛の如く蓄積した疲労が抜け落ちる感覚に目蓋も重くなる。とはいえ移動の足を任せている以上、周囲の警戒程度は貫徹しなければ収まらない。


「他の連中はもう、撤退したか……?」

「だろうな。あの男を引き剥がしさえすれば、後は駆け抜けるのみよ」

「そら、助かるわ……」


 乱雑ながら包帯で覆った腹部から、少なくない鮮血が顔を覗かせていた。仮にアイイシ辺りの知識がある者に見せれば、即座に交換しろと叫ばれる様は想像に難くない。

 ガラハドを空間魔法へ収納すると、スレイブは狼牙へと抱きつく。

 今も全力で駆動している肉体は、些か高温では済まされない熱を伝播させた。が、失血で体温が低下している身には心地よくもある。

 舌を噛み、軽い痛苦で眠気を飛ばしていると、やがてバビロンの景観を無視した悪趣味なまでの黄金が視界に跳び込む。既にムクロドウジへ手渡されているはずの宝石さえあれば、黄金都市は浮上を果たす。

 高揚が、知らずスレイブの喉を鳴らした。



「ムクロドウジ、帰ったぞ!」


 乱雑に蹴り開けられた扉の先、黄金都市の中枢に位置する魔塔の一室にスレイブの帰還を告げる声が木霊する。

 部屋の中に待機していたドラゴニュート──おそらく暴走した面々の後始末を担った面々と、彼らが言葉を尽くして報告していた少女が一人。

 鬼族にあるまじき白磁の肌に短い白髪、扇情的な腰丈のフードにハーフパンツ、そして魔族を彷彿とさせる漆黒の巻き角が今では懐かしさすらも感じさせる。

 一つの大隊を率いる彼女は腹立たしげに報告を受けていたものの、少年の報告に思わず席を立つ。


「スレイブッ。あぁ、待ってたぞ……!」

「ちょっと締まらねぇ姿だが、それは勘弁だ……」

「そんなものは構わんッ……良かった。ギルバートの足止めを務めたと聞いた時にはどうしようかと……!」


 ドラゴニュート達を押し退け、少女は大隊の長ではなく一人の少女としてスレイブへ駆け寄る。とはいえ、元極組織エレメレイトギルドの長を相手取ったとなれば心配されても当然の話。

 苦笑を浮かべる少年へ覆い被さるように抱きつくと、ムクロドウジは大粒の涙を流した。


「良かった……本当に、帰ってきてくれてッ……スレイブ、私の部下……!」

「おいおい。俺一人のために泣かれたら、色々とアレだろうが……」


 嗚咽を漏らす少女へ流石に指摘をするも、今更流れ出る激情を抑える術などない。

 事実として目を細めて周囲を一瞥すれば、ドラゴニュートの内一部がどこか白けた眼差しを注いでいた。

 暴走してバーディスト達へ特攻する程の反感はないものの、唯々諾々と指示に従うのは癪な程度の叛意といった所か。


「気持ちが分かんねぇ、とは言わねぇがよ……」


 誰の鼓膜を揺さぶるでもなく、スレイブは一人呟く。

 だが、今必要なのは配下一人一人への細かなメンタルケアではなく、新たな危機に対する最上級の対策。


「とりま、今はバビロン浮上の詠唱を頼むわ……」

「……あぁ、そうだったな。今はアイイシがくれた鍵を使う時だ」


 体勢を起こすと、ムクロドウジは視線を部屋の外へと注ぐ。

 向かう足取りの先はバビロンを制圧してすぐ、捕虜だったライヤーの口から割らせた三階の制御室。

 かつては魔法に疎いスレイブにも感じられた莫大な魔力を内包した魔法陣も、長いこと放置されていたために輝きを無くしていた。見た目とは異なり、定期的なメンテナンスを必要とするものだったのか、少年の脳裏に今でも問題なく作用するのか疑心が芽生える。

 一方で短い白髪を高揚で激しく揺らすと、鬼族の少女は興奮を抑え切れない様子で魔法陣の上に乗った。右手には固く握られている真紅の宝石が妖しい煌めきを放っている。


「ヒハッ……さぁ、力を見せてみろ。バビロン!

 ──巡る黄金。輪転する定め。崩落の楔。メシエル・セイヴァの賜る奇跡。

 上がり、昇り、天へと至れ。我らの意向こそが主の望みなり──!」


 ムクロドウジが祝詞を紡ぐ度、奇跡の一端を言祝ぐ度。

 大地が揺れ、残響する地響きが地上の最期すらも連想させる。窓の外へ視線を向ければ、森林地帯の喧騒を嫌って住み着いていた鳥類が軒並み空中への避難を開始していた。

 あまりの揺れに耐え切れず、狼牙が片膝を突く横で満面の喜色を浮かべた少女は足に根でも生えたかの如く微動だにしない。


「ヒハハハッ。上れ上れ、天まで至れッ。その果てにあるものを掴むために!」


 全身を包み込む高揚感が赴くままに言葉を紡ぐムクロドウジ。

 彼女達は知らない。

 撤退するバーディストの隊が黄金市場の浮上に足を止めたことも。

 度を越したあり得ざる光景を前に、西方の国からフォルク王国へと渡ったバーディストが驚愕の言葉を漏らしたことも。

 そしてスレイブ達の生存を含む状況の好転に、一人の聖女が暗躍していたことを。

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