第73話『告げられた言葉・団長の死』
一拍置かれた鋼鉄の殺意に対し、スレイブは音を頼りにガラハドを展開。
火花舞い散り跳弾する鉛玉は辺り一帯へと散らばり、目的を果たすことなく推進力を失う。
勢いを殺すべく水平に地を滑り、白狼と少年はそれぞれの体毛をたなびかせた。
狼牙の鋭利な眼光と混血体の海にも似た青の瞳が周囲を睥睨する。
樹木と雑草に覆われた森林地帯にこびりつくは、数多もの骸の死臭。血潮を啜り、屍を栄養とする戦場へと成り果てた森に相応しき光景は、ムクロドウジの部下として看破し難い状況に他ならない。
そして大盾の隙間から覗くは、少なくない疲労を顔に覗かせるテンガロンハットの伊達男。
「スレイブか。風牙一族を馬代わりにするたぁ、随分と偉くなったもんだな……」
「何、やってんだ……」
心の内より止め処なく湧き上がる憤怒の念は、バーディストに対してではない。
延々と湧き立ち、全身を呑み込み余りある激情は彼が率いる部隊へ注がれるものではない。
敵でこそあるが、フォルク王国に属する歯車旅団が敵対行動を取ることは当然の話。不満こそ抱くが、文句を言って何が変わる訳でもない。
何よりも、奴らであれば何一つ不都合なく抹殺すれば全ては解決する。
「チッ……今はお前も鬱陶しいんだよ」
感情とは別に目頭が熱くなる感覚に、スレイブは額へ爪を突き立てた。
心体の不一致に不快感すら滲ませるものの、今は剥き出しの言葉だけで済ます。
そう、現在問題を引き起こしているのは、足を引っ張っているのは──
「おい、ドラゴニュートに奴隷共ッ。いったい誰の命令で動いてやがるッ?!」
「ッ……!」
大気を震撼させる怒号は、一瞬とはいえ戦場を萎縮させ、名指しで指摘された友軍の動きを縫い留める。
狭まった瞳孔が捉えたのは、付近で一際動きを止めたドラゴニュート。
偶然近場であったが故に突然の大声で身を竦めたか。否、精強なる竜種の近縁種がたかだか一人の叫びで露骨に動きを止めようはずもなし。
漏れ出る呼気が、際限なく熱を増す身体から体温を極僅かばかり下げる。
「おいクソ蜥蜴、これはムクロドウジの命令か。まさかグゴがこんな被害を許すわきゃねぇよなぁ?」
「クソトッ……!」
「なんか文句あるか、あ゛ぁ゛?」
「い、あ……ぁ……」
許可さえ降りれば寸分の躊躇なく首を縊り落としていたと確信する殺意が、敵味方入り乱れる戦場にあってただ一人のドラゴニュートへと注がれる。
砕けた鎧より覗く左手には包帯を巻き、大盾に収納されて然るべき大剣も見当たらない。
何より、騎馬戦など経験のないスレイブが未だに狼牙の背に乗ったままなのだ。
彼もまた疲弊しているのは明白。もしも怒気から来る脳内物質がなければ眠気で意識を失っていただろう。
「答えろよ、大隊長級の命令なら文句はねぇんだよ。こっちは……早く答えろ、口が潰れたか?」
「い、いえ……独、断……です」
消え入りそうな声音で返ってきたのは、ある意味では予想通りの暴走。
指の骨が鳴り、拳が何度か握り込まれる。
「おいスレイブ。気持ちが分からんとは言わんが、今はそれどころじゃない……あの様子じゃもう指揮系統は崩壊、いや、始めからそんなものはないのかもしれん」
唸り声を上げる少年を諫めるべく、狼牙が口を開く。
わざわざ奴隷まで担ぎ出しての交戦である。おそらく一部の過激派ドラゴニュートに王国民へ深い憎悪を覗かせる連中を焚きつけたのだろう。
当然、グゴ達に察知される訳にはいかない以上は迅速。否、拙速に。
狼牙からの指摘に納得しつつも、感情がついて来ないスレイブは舌打ちを一つ。それで視線を背後から正面へと移す。
「遊撃部隊大隊長スレイブの命令だ。おら、たかが数人にどんだけ被害を出す気だッ。さっさと退くぞッ!」
「ど、どうすんだ……?」
「どうするってスレイブの命令だぞ……聞くしかないだろ」
「て、撤退。撤退だァッ」
元々追い詰められていたためか、ドラゴニュート達は然したる抵抗を見せることもなく反転、バビロンへの帰路へ着く。
同調するは、一度は彼らの言葉に同調した奴隷達。
経歴から己の価値を低く見積もりがちな面々も、無意味な討ち死にを望む訳ではない。最早百対一の交換すらも望めないとなれば、退却に同調するのも当然の話。
顔を見合わせ、数度頷き合えば同じ牢屋で釜の飯を食べた仲。最低限の意思疎通は叶う。
そして、劣勢の敵を見逃す者はそういない。
「逃がすと思ってるのか、よ!」
大気を震わす乾いた破裂音が炸裂。
照準は僅かなブレもなく背を向ける逃亡兵へと注がれ、白銀の盾に遮られる。
「逃がせる、とは思ってるが?」
「ほぉ、それは随分な自信なこって!」
「狼牙ッ!」
地を蹴り、樹皮を砕き、そして宙を駆ける。
その尽くがフェイルノートの射線から味方を守る一助となり、弾丸と同数の跳弾を引き起こす。
黄金色の薬莢が陽光を反射し、地面を叩く度にバーディストの表情に焦燥の色が滲んだ。
「チッ、
バーディストの紡ぐ言葉にフェイルノートの銃口が俄かに輝く。
深淵を覗く闇が妖しき紫に輝き、軌跡の彩りすらも大きく変化させる。
「なんだ、これはッ?」
「チッ。そういやあったな、そんな手も!」
「ギャッ!」
本来直進すべき弾丸の軌跡が、あり得ざる紫光の弧を描く。
通常ならば直撃すべき樹木を避け、地面を滑る軌道から急遽浮上し、そして瑞々しい若葉を貫く。更に追加された弾丸こそガラハドで遮るものの、曲射分まで防ぐことは叶わず。
血染めの花が森林地帯を朱に彩る。
徒に戦力を消耗することを望むつもりはなく、スレイブは奥歯を噛みしめた。
だが、追撃の手を緩める奥の手を今のスレイブは有している。
「ハッ。残党狩りなんかしてる場合かよ!」
「何のことだッ?」
「そりゃ王国から離れてたら知らねぇよなぁッ。何せお前らの団長、は……
団、ちょ……は……!」
続くべき言葉は、カエルが潰れたにも等しい音となりて意味を持たない。
歯車旅団の面々を止めるにはこれ以上なく有効な手札であり、いずれ知られるならば今伝えて動揺を与えるのが最善。
にも関わらず、スレイブは目から涙を流すばかりで音に意味を与えられない。
まるで見捨てられた盾役の嗚咽を、後悔を代わりに伝えるが如く。あるいは彼の現実逃避──長の死の否定を助長するが如く。
「スレイブ?」
「ク、ソが……声、が、マトモに……!」
言え、早く言葉に出せ。
窮地を脱するにはそれが確実。
他の手札など信用に足るとは言い難い。
早く。
早く早く。
早く早く早く!
『期待しているぞ……私の部下』
「──ッ!」
極限状態の中、咄嗟に脳裏をよぎったのはいつかムクロドウジから送られた言葉。
スレイとしてではなく、混血体として転生したスレイブの上司。
両者を分かつ決定的な差異が、少年の肺へ大きく空気を取り込ませた。
続く言葉に、亡霊としての念は一切介在しない。
「歯車旅団の団長、ギルバート・G・マクマートは死んだんだからなッ」
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