第43話『戦いの終わり・脳内に居住するモノ』
「色々あったようだがひとまず、私が命令したことは完遂したようだな。よくやった」
ムクロドウジからの賞賛を受け、スレイブは安堵の溜め息を一つ吐く。
着物の少女──ミコトが撤退したことによってか、金槌で殴られ続けるにも等しい頭痛も徐々に収まりつつある。尤も、脳内で存在感を主張する声音は収まる様子を見せないが。
精々声量を数段階落とした程度で、紡ぐ言葉は確かに脳内で反響を繰り返す。
『いい加減こっちを見ろよ、お前』
「見ろって、どこに視線向けりゃいるってんだよ。おい」
「? スレイブ?」
当然、脳内の声が大気を震わせることはない。それはムクロドウジには自身が告げた言葉とは脈絡のない回答をしたように映り、首を傾げる結果を招く。
一方でスレイブは脳内で響く人物へ、僅かに怒気を滲ませて語りかける。
「つうか誰だよ、お前は。なんとなく予想はつくけど……それはおかしいだろ」
『何もおかしくない。俺はスレイ・V・ローレライだ』
脳内に響く声は悪びれもせず、確信を以って名を口にした。
混血体となる際に記憶から忘却された、スレイブとなる以前の名を。
しかし、人格の分裂にしては奇妙な点もある。素直に頷くには、スレイを名乗る人格の声は信憑性に欠けるのだ。
「俺もお前の記憶を覗けるぞ。お前がスレイなら、俺はアイツも名前も知らねぇはずだ」
指差す先には頭部をひしゃげさせ、身体を焼かれたアレックスの亡骸。肉の焦げる臭いに何ら感傷を示す様子はないが、その気になれば生前の彼がスレイとどのような関係であったのかを容易に思い出せた。
見えているかは別として、大袈裟に肩を竦めるとスレイブは口を開く。
眼前に立つ金糸の髪持つ少女の困惑を置き去りにして。
「ましてや、お前がアイツにどんだけ借金してるかもな」
『大方、分岐点はあの女に拾われた時ってとこだろ』
ぶっきらぼうながら、どこか嫌悪の混じったスレイの言葉が
『お前という存在が確立されたことで、俺とお前は別の存在となった。だから何か切欠があって俺が目覚めれば、二重人格みたいなことになる』
「そうかよ……で、自我を持ったお前はどうする気なんだ。スレイ?」
鬼族や亜人種達と手を組み、スレイが所属していた歯車旅団やフォルク王国に牙を剥くスレイブから肉体を簒奪するのか。もしくは静観の構えを取り、全てを受け入れるのか。
彼に取れる手札は少なく、決死の覚悟でも多少過程に変化がある程度で結末に差はない。
即ちスレイは多数の亜人種に磨り潰され、無残な最期を遂げる。
自覚があるのか、脳内に響く声が意外にも強引さの感じられない調子で言葉を紡ぐ。
『別に。少なくとも、今すぐにお前をどうこうしようなんて気はない』
「へっ、そりゃどうも」
『ただ』
途端、声の調子を一段階落とす。
同時にスレイブも俄かに顔を顰める。
収まっていた頭痛が彼の怒気に当てられるかの如く主張を強め、咄嗟に頭を鷲掴みにする。痛覚を押し込める仕草はしかし、金槌で殴られる鈍さを強める一方で癒す効果は微塵も発揮されない。
不意に痛みを露わにする少年の様子にムクロドウジが駆け寄るも、今の彼に意識を傾ける余裕は皆無。殺意すら滲ませる鋭利な眼差しが音の方角へと注がれるばかり。
『ミコトの命を狙うことだけは絶対に許さない……人間を襲うことは許す。他の旅団員だったら喜んで無視してやる。
それでも彼女だけは、ミコトに手を出すことだけは許さない。お前も、他の連中もだ』
噛み締めた奥歯にヒビが走り、食い込んだ指に血が付着。粘度の高い液体の感触を意に介することもなく、スレイブは呻き声を漏らす。
刃の鋭さを以って睨みつけ、凝視してくる自身の姿。腕を組み、足を広げる様はまさしく自身の写し身と呼ぶに相応しく、さりとて自らとは決定的に異なる細かな差異が間違い探し染みた不快感すら醸し出す。
憎悪の籠った、怨嗟の声音を吐き出そうとする寸前。
「スレイブッ。おい大丈夫か、スレイブ?!」
「ムクロ、ドウジ……!」
眼前で一人芝居を鑑賞していた少女が、突然呻き出した演者へと駆け寄り声をかけた。
肩を揺さぶる振動で意識を引き戻したスレイブは、視界の大部分を埋める少女の名を呟く。
「どうしたんだ急に。いきなり辛そうな表情をして……」
「わ、悪い……なんか、変なのが聞こえてきて」
「変なの……どこかに伏兵がッ?」
「た、多分違うわ……」
周囲へ首を回す少女を手で制すも、脂汗を全身から噴き出すスレイブの様子は正常からは程遠い。
流石にミコトを狙うな、という弁を素直に伝える気はない。
言ったところではいそうですかと応じるとは思えず、むしろ自身を苦しめる一因と知れば率先して攻勢へ赴くに違いない。
歯車旅団と事を構えるには、ムクロドウジの率いる王国方面部隊は致命的に役者が不足している。質も裏に控えている面々を思えば足りず、量に至っては絶望的。
警告の意味が強かったのか。スレイからの声が聞こえなくなるのと平行して頭痛も引き、スレイブは赤の瞳と視線を合わせる。
「ムクロドウジ……ドラゴニュートとの話は、纏まったのか……?」
「一応な。細かい部分の調整は後回しにして、とりあえず私達が上という形は確定している」
大前提でこそあるが、元々力づくに屈服させたようなもの。トップ同士で認識を共有するのは大事である。
というよりも、彼から見てもムクロドウジが交渉上手とは思い難い。下手なことを口走ってグゴ達が玉砕覚悟の特攻を仕掛けないだけ上等と呼ぶべきなのかもしれない。
口端に無理矢理にでも笑みを作ると、スレイブは汗を拭う。
「よし。じゃあ、どこかで今後について話そうぜ……まだ、満足はしてないんだろ?」
「あぁ、当然だ」
信頼の置ける部下からの問いに勝気な笑みで応じると、ムクロドウジは彼が起き上がるために腕を伸ばした。
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