第41話『駆ける少女・手遅れとなる前に』

 巨木が倒れる。

 数百年に渡って黒の森の芳醇な栄養を吸い上げ、生を英華していた巨木が。外部からの破滅的な火力によって根元から抉り取られる形で倒木し、今後同じ地に生え変わることもないと断言できる形で。

 断続的な破滅は黒の森全域に広まり、力なき種族はグレイグによる破壊からの復興すらもまだの状況に絶望。多少力をつけた種族は更なる強者の森そのものの生命すら省みない横暴に怒気を募らせる。しかして最上位層による支配権を賭けた一戦に割り込む勇気を持てない以上、結果的には二種の間に差異はない。

 そして、国軍側の拠点としていた地点にも大気は伝播した。


「この音……まさか鬼族きぞくが……?」


 グレイグの監視という名目で待機していたミコトが呟く。

 短く切り揃えた黒髪を揺らし、視線の先には土煙から逃げるように飛び去る小鳥の群れ。アーバンの班か、もしくはその部下の班が衝突したのか。

 拠点からでは詳細を掴むことも叶わない。

 手持無沙汰な右手が無意識に腰に帯刀した火国刀ひのくにとうを掴み、微かに音を鳴らす。

 感情が荒ぶっていく自覚を抱き、意識的に深く息を吐き出した。肺の中身を空にし、そして改めて息を吸う。

 深呼吸を数度、脳裏に過った光景を再び深奥へと押し込む。


「今はそれを思い出す時じゃない」


 呪言ではなくとも、詠唱とは異なっても、言葉には魂が宿る。

 それは彼女の生まれ育った地である火国では比較的浸透した考えであり、一度口に出せば実現の可能性が発生する。そこに第三者の意志が介在する余地はなく、良くも悪くも当人の中でのみ完結する。

 ミコトは火国の一般に伝わる思想に則り、自分の内へと最悪を封印した。

 思い出せば、自分はマトモに動くことが叶わない。一戦力として機能せず、役立たずの烙印を押すに相応しいへと成り果てる。

 故に鳴り響く音への反応が遅れ、悲鳴染みた声もまたミコトの耳目を無意味に揺らす。


「や、つらッ……!」

「グ、グレイグッ?!」


 金属が摩擦し、摩耗する音。獣の慟哭する声。

 戦場の如き音へ視線を移すと、そこでは樹木が断末魔にも似た悲鳴を上げて樹皮を地面へと落とす。がなる甲冑は軋み、隙間からは出血の証明たる朱が滲む。


「お、おい誰かこっち来いッ。グレイプニルがッ……グレイグが!」


 横に立つ誰かの言葉よりも早く、鎖縛が音を立てて砕け散る。

 魔鎖だった欠片が周囲に飛び散り、狂える獣は解き放たれる。

 グレイプニルに吸収されて消耗したはずの魔力が即座に全身を満たし、唸り声は左腕の鋭角的な漆黒の甲冑から噴煙を撒き散らす。

 煙幕かと警戒したミコト達は反射で一歩距離を取るも、噴煙は霧散して姿を眩ませるどころか左手へと収束。一つの禍々しき得物を形作る。

 それは獣の顎。

 担い手の抱く激情が内より食い破り、無秩序な棘を生やした突撃槍。夥しいまでの血を啜り、なおも更なる首級を求める貪欲なる破壊。


「ルプスッ!!!」


 グレイグが目を充血させて激高すれば、噴煙が弾け飛び得物は顕現する。

 跳躍。

 たった一歩。足裏に魔力を込めて踏み抜くだけで拘束から解き放たれた少女は拠点から離れ、音の鳴る方角へと進軍を開始した。


「グレイグ待ってッ!」


 思わず静止の言葉を投げかけるも、ミコトの言葉が意味を持つことはない。

 グレイグを追うべきか、それとも待機して先進隊と入れ違うことを防ぐべきか。流転する事態に混乱が広がり、無為な会話ばかりが音を鳴らす。


「アーバン緊急事態ですッ、グレイグが脱走しましたッ。指示をッ!」


 ただ一人。念波という形でアーバンと直接連絡を取り合えるミコトだけが、比較的冷静な立ち回りを可能としていた。



「おっ、ちょうどいい所に武器が落ちてら」


 軽やかともいえる足取りで骸の一つへと歩み寄り、スレイブは足元に落ちていた槌を蹴り上げる。

 視線の先で宙を舞う得物を掴み、試し振りを数度。

 流石に普段使いの武器と同様、という訳にはいかない。大剣と通常サイズの剣でも多少の差異はあったというのに、根本的な運用方針まで異なるものを即興で使えというのは無茶振りにも等しい。


「オボロにゃ、悪いことしたな。こりゃ」


 スレイブは霧散した武具の主へと思いを馳せると、先端を近場の敵へと向ける。

 大斧を得意気に振るい、豪風ごうふうと一定の距離を保つ男。粗野な服装に胸元と肩のみという簡素な鎧に身を纏った男は、俊敏な狼を近づけてなるものかと一見乱雑な斧筋を繰り返す。

 一対一ならば苦戦しただろう。

 しかし攻めあぐねる豪風へと意識を注ぐあまり、周囲への警戒が疎かになっていた。もしくは数的優位を確保しているからこそ、一体の敵へと意識を収束しているのか。

 何れにしても、不意を突く側としては好都合。


「それじゃ、数も多い訳だし……サクッと死ね」


 端的に呟き、足を覆う甲冑に込められた魔力を開放。

 爆発的な推進力を以って接近し、彫り込まれた詠唱を撫でて炎を付与。振り上げた槌を男の頭へ目掛けて振り下ろす。

 流石に殺気で感づいたのか、男が半身の姿勢で距離を詰めるスレイブを見つめる。が、迎撃の空を切る斧は遅く、少年の振るう槌を妨げることは叶わない。

 故に金属同士による甲高い接触音は思慮の外であり、視界の外より割り込んできた剣に映り込む自らの顔が驚愕に歪んでいることにスレイブは気づいた。


「随分とイメチェンしてますね、スレイ……!」

「誰だよ、随分と馴れ馴れしい」


 支えの効かない空中では押し切れず、振るう一閃に弾き飛ばされる。

 乱暴に槌を振り下ろし、反動を殺すとスレイブは視線を上げ、下手人を睨みつけた。

 簡素な服装こそ先の一団にも酷似しているものの、担う剣の陽光を反射する白銀模様は血と錆こそを誉れと言わんばかりのものとは大きく異なる。身の丈にも及ぶ得物の切先を注ぎ、担い手の少年は薄く息を吐き出した。


「貴方、僕にどれだけの借金を残してると思ってるんですか。スレイ」

「あー、ちょっと待て……今思い出してみる」


 呼びかけられ、スレイブは頭を掻いて記憶の奥を覗き込む。

 尤も、彼のご要望通りとでもいうべきか。記憶の主はスレイであったが。


「あぁ、確かアイツか。アレックス・S・ロドリゲス」


 思い出した光景は、酒場で他の仲間と嗜む程度にギャンブルを繰り返しているスレイの姿。揃えば掛け金総取りの大役狙いに固執し、カモ同然に資金を絞り取られる哀れな少年は、やがて眼前の眼鏡をかけた男から金を借りたのだ。

 詳細な額は覚えていない。

 ある意味都合のいい頭だと嘆息し、周囲へと視線を巡らせる。

 眼前のアレックスのみならず、彼と雰囲気が似た連中が徐々に数を増している。いつの間に接近していたのか、増援が自分達を包囲していたのだ。


「おい、狼牙ろうが。積もる話は後にして、まずは数を減らッ……!」


 言葉を遮る白銀の軌跡を槌で受け止め、スレイブは頭突き狙いかと疑う程に顔を近づけたアレックスを渋面で凝視。互いに譲れぬ鍔競り合いに応じた。


「貴方が指示を出すべきはこっちでしょうが!」

「ハッ、奴隷様が指示を出すとは随分なギルドだなぁ!」


 歯を剥き出しにし、獰猛な表情でアレックスを押し返す。姿勢を立て直す前に素早く槌を振るうも腹で受け止められ、致命とはなり得ない。

 軽い接触を弾き、次は互いの武器をぶつけ合って大気を震撼させる。


「そうだ、貴方はミコトに買われた奴隷だったッ。それが魔物の手に堕ちるなんて!」

「捨てた分際で拾った奴に文句言ってんじゃねぇよ!」

「だから彼女のためにも拾い直すという話だ!」

「だったらミコトってのに伝えてろッ、俺はスレイブだってなァ!!!」


 激しく火花を散らし、いずれかが破滅するまで終わらぬ二重奏が鳴り響く。

 単なる力任せの打ち合いならば、数合と重ねることもなく慣れない得物を扱うスレイブの身体が袈裟に切り裂かれていただろう。しかし鬼族との混血体である彼の膂力は並外れ、乱暴な一撃による全身の痺れが対峙する相手の剣閃を鈍らせた。

 一撃一撃が致命とならずとも、毒が全身を蝕み身体の動きを鈍らせるように。

 両の手で受け止めるアレックスの冴えを着実に削り取っていく。


「クッ、この……!」


 アリの一穴にも似た状況を前に、焦燥に駆られた男は打ち合いを嫌って横薙ぎの一閃。しかしスレイブは右足を軸に身を翻しつつ膝を曲げ、軽率に大振りを放った男の視界から消え失せた。

 反応は一瞬。

 だが、余力の残っている左足で踏み込むことが叶う少年からすれば、命を刈り取るには充分な時間。

 地を踏み締める左足、それを覆う白銀の甲冑に充填された魔力を開放。爆発的な推進力で捻られた腰が暴力的な速度と火力を搭載して右腕の槌を振るう。

 掬い上げる魔槌が狙う先は、胴体。


「──大地よ、母なる大地よ、高らかに祝福を奉られし大地よ。

 輝く命を、宝石を、いと堅牢なりし岩盤を持ちて守り給え──!」


 胴を打つ感触が腕を伝う。

 が、同時にスレイブの身体に伝播するのは並外れた堅牢を殴打したことによる痺れ。まるで渾身の力で地面を殴り抜いたような衝撃に顔を顰め、奥歯を噛み締めた。

 感触から当然というべきか、アレックスに外傷は皆無。

 動揺と衝撃に生まれた思考の空白を埋めたのは、陽光に反射する白銀。上段から振り下ろされた刃を、咄嗟に槌を手放して飛び退くことで回避し、男の背後を睨む。

 鼓膜を微かに揺さぶったのは、早口で紡がれた詠唱。

 おそらく咄嗟に繰り出すべく小節を幾つか省略した簡易的なものであろう。それでも鬼族との混血体キメラである自身の一撃を一顧だにしない強固な強化を得たのだ。然して距離の離れていない場所に付与魔法を施した術師が控えているはず。

 スレイブの目論みは的中し、視線の先には白衣のローブを土煙で汚した人物が杖に嵌めた水晶を輝かせていた。


「ハッ。良かったなぁ、お前は見捨てられなくてよ!」

「スレイ……」


 腰を屈め、低めの姿勢で突撃。

 得物を持ち付与魔法を受けた相手に徒手空拳は流石に分が悪いものの、アレックスの側に槌が残っている以上は拾いに向かわざるを得ない。

 アレックスは眼鏡の奥に潜む双眸を曇らせてスレイブを睨み、眼前に落ちている槌を拾わせまいと踏み込む。奥では術師が更なる詠唱を以って優位を広めるべく詠唱に取りかかろうとしていた。

 足を狙った上段振り下ろしを、跳躍で回避。更に追撃を嫌って刃を踏み抜き。


「スレイ、貴方はッ……!」

「まずは付与魔法を潰すのが定石だろうが!」


 切先を地面へめり込ませてアレックスの行動を妨げる。

 そして流れで回収した槌を手元で振り回して間合いを調整し、奥で詠唱に取りかかっていた術師目掛けて突貫を開始した。


「こ、来ないでッ!」


 甲高い声を上げて詠唱を中断し、ローブの術師は周囲へ目を配る。


「ヴヴヴァァァッ!!!」

「コイツ、またッ!」

「狼牙、こいつらは喰っても構わんな?!」

「増援ッ、こんな時に……!」

「だったら俺が全員切り刻んでやるよ、犬っころ共が!!!」


 だが彼女を守護し凶打から妨げ得る者達は等しく集結しつつある風牙かぜきば一族への応戦や、自壊も恐れぬ獰猛さで猛威を振るう烈風れっぷうの対処を余儀なくしている。如何に戦術的優位性を確保する重要な立場といえども、乱戦にもつれ込んでしまえば手が回らなくなる。

 かくして術師は戦場で孤立し、魔槌への対処を強制された。

 力任せの乱暴な薙ぎ払いは周囲の空気を巻き込み、一撃で術師の命を血錆に変えんと殺意を乗せる。

 対して術師は殆んど祈るように杖を前に押し出すばかりで、近接戦の心得が微塵も整っていない。付与魔法の使い手を優先的に狙うのは基本にも関わらず、まるで覚悟ができてないばかりの醜態はスレイブに違和感すらも抱かせた。

 軽快な音を響かせて、盾にされた杖が根元からへし折れる。


「あ、あぁ……!」

「取り損ねたか……じゃ、もう一撃ッ!」


 ローブ越しにすら伝わる絶望に動きが鈍る中、スレイブは手首を軽くスナップさせると再び振り抜き、今度こそ息の根を止めんと迫る。

 しかし、次の鉄槌もまた外部から妨げられる。


「やらせるかよッ!」

「がッ……!」

「アレックスッ!」


 背後から中腰のタックルを受け、スレイブの振るう軌道が乱れる。

 アレックスの名を叫ぶ術師の声は最早悲鳴にも等しく、ローブの奥から一筋の涙腺が煌めく。

 一方で苛立ち舌打ちするスレイブは、空いた左手で絡みついたアレックスを殴打。裏拳の一つで強引に引き剥がす。微かに濡れた血痕を拳を振って払うと、眼光を鋭く研ぎ澄ます。

 スレイとしては大切な仲間だったのかもしれない。

 が、スレイブとしては傷つく姿を前にして心の一つも揺さぶられない。他人の記憶の中にある映像を覗いた程度で、どうして感情移入ができようか。

 付与魔法が解除されて硬度が落ち肋骨でも折れたのか、地面に転がるアレックスは視線を上げるだけで動く素振りが伺えない。


「ス、レイ……」

「だーかーらー、さっきも言っただろ……」


 嘆息を一つ。呆れにも似た視線を注ぎ、鬼族との混血体は槌を撫でて炎を灯す。

 言葉で理解できぬのならば、行動で証明しよう。

 元来仲間であるはずのスレイならば、間違いなく不可能な行動を以って。良心の呵責が少しでもあるならば、腕に躊躇いの震えが生じるだろう行為を以って。

 即ち、アレックス・S・ロドリゲスの殺害を。


「俺はスレイブだって」


 心象に漣一つ立てることなく、焔纏う鉄槌を振り下ろす。

 果実を踏み潰すかの如き気楽さで、人の頭が弾け飛ぶ。

 瑞々しい血飛沫が身体を汚し、スレイブの顔を汚す。灰の髪にまで付着した血痕に、洗うのが面倒程度に嘆息を一つ。

 血潮を払うように槌を振るい、次いで火で炙られた死体から吹き出る焼けた臭いを振り払う。


「アレ、ックス……?」

「これで借金はチャラだ。やったな、スレイ」

「アレックス……ねぇ、アレックス?」


 ローブの人物は死体の名を何度となく呟く。まるで鼓膜を震わせなかった声量に問題があったと考えるが如く。

 自身ではなく、呼ばれた彼自身に問題が生じたという可能性には思い至りもせず。

 鼓膜が震えぬのも当然、耳目どころか頭部そのものが赤い果汁を飛び散らせたのだから。内部の液体が吹き出た状態で外装が無傷であろう訳がない。

 にも関わらず。か細い声は現実を直視できず、ただ目の前で焼けつつある死体へ呼びかけ続ける。


「あ、アレックス……燃えてる、回復しないと。確か、火傷は消毒がいらなくて……」

「メンタルはやられてるにしろ、途中で回復されたら面倒だ」


 ふらつく足取りでアレックスの下へ向かうローブの人物と衝突し、大した労苦もなく尻餅を突く。夢遊病の患者を思わせる仕草もまた、スレイブにとっては隙だらけの獲物に過ぎない。

 槌を振り上げ、ローブの奥に隠れた頭へ照準を合わせる。

 腕の力だけで乱雑に振り下ろし、無慈悲なる鉄槌を叩きつけ。


「ッ……?」


 甲高い音が、スレイブの鼓膜を震わせた。


「ス、レイ……?」

「……お前、はッ……!」


 短めの黒髪をたなびかせ、火国式の着物を着用した少女の瞳が、鋭利に過ぎる白刃へ映し出される。

 記憶にない、しかして確かに身体が覚えてる少女の姿を。

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