第38話『狂い叫ぶ者・鎖縛の奥で』
夜闇も深まる時分。
荒れ果て荒野にも等しい外観を晒す黒の森の一角で、焚き木による灯火が異色を放つ。スレイブや
「離せッ、離せぇッ!!!」
魔鎖グレイプニル。
拘束した対象の魔力を喰らって稼働し、強引に振り払おうとすればより身体に食い込む鎖縛の呪具。肉体を穿つ鈍い棘は反抗を戒め、致命には至らぬ出血は体力を削る。
本来は罪人が森に潜伏している可能性を考慮して、
激しい抵抗は白銀の甲冑をも穿つ棘を生やし、足元に血の海を形成する。
「いったいどうなっているんだ、アレは……?」
荒れ狂う獣の如き所作を前に、フォルク王国軍を取り纏める総隊長のアーバン・M・ノーマンは難色を示した。
激痛に喘ぎ、結果的に普段より一層棘が身体に食い込むケースがあるとは事前に聞き及んでいた。その場合、最悪制御が効かず意識が飛びかねないため尋問の際には棘を制御する必要があるとも。
しかし、事例の際に見た光景でも鼻腔につく程の鉄の香りはしなかった。地面を啜る血の量も三分の一にも満たない。
まして、グレイグの態度は激痛への反射というよりも拘束に対しての激怒。
「あそこまで騒げば意識が飛んでもおかしくないぞ……」
彼女の旺盛な元気は漆黒の鎖の効力を不安視させるには充分であり、むしろ背後の樹木がへし折れないかとも思わせる。
「いっそ付近の岩場にでも縛りつければ良かったか……?」
「勘弁して下さいよ、アーバン隊長……」
付き添いの部下は彼の呟きに辟易した態度を示した。
正規軍のみならず歯車旅団や火線戦団の手をも借りてグレイグを拘束した身としては、もう一度同様の苦労をしたいとは露ほどにも思えないのだ。同じギルドの面々以外には手を出しかねない乱暴な抵抗に、頬を青くした者も一人や二人ではない。
「貴女の協力が得られなければ、どうなったかと。ミコト・ヤマタ殿」
「その件ではご迷惑をおかけしました」
アーバンの背後に立っていた少女は、どこか型に嵌まり感情の抜け落ちた態度で応じる。
短く切り揃えた黒髪を揺らし、火国式の着物の上から闇夜にも映える漆黒の外套と学帽を纏った姿は亡霊を連想させた。そして事実として、彼女の人格は死んでいると表現して差し支えない。
端から見てもミコトの態度は前線に出していいのか不安を抱かせるが、当人が許諾したからこそというのが実情。
覇気のない態度はしかし、荒れ狂うグレイグを抑えたことで不安の目を取り払っている。元よりクエスト発生の根本的理由や彼女の暴走で信頼の失墜していた歯車旅団は、ひとまず待機を命じられる最悪だけは回避できたといった所か。
背後へ注がれるアーバンの眼差しも、グレイグに食い込むグレイプニル程ではないが棘の生えたもの。
「彼女のような危険人物を軍との共同クエストへ送り込むとは、いったいギルバート殿は何を考えている?」
「グレイグに何があったのかは分かりません。ですが、ただ黒の森に足を運んだのが原因といった安易なものでないのだけは確かです」
「彼女の変貌は普段からのものではない、と?」
魔法の中には魔力や身体能力を著しく向上させる対価に人格を変貌させる狂化系や、死した他者へ肉体を明け渡す憑依系のものも存在する。しかしミコトの首肯はそういった類の精神に変調をきたすものの悪影響ではないと語る。
何れにしても、少なからず疲弊した部隊へ組み込むことには抵抗があった。
良くも悪くも横柄な態度の目立つ火線戦団の面々は一顧だにせず交代制で惰眠と警護を勤めている。が、歯車旅団や正規軍の中にはいつグレイグが暴走しないかと寝るに寝られない状況の者も少なくない。
その判断こそ、ミコトには否定できない。
内に不安を抱かせる存在の排斥を、拘束で済ませているのは不幸中の幸いですらあるのだから。
「全く……罪人ならばいざ知らず、味方の拘束に戦力を割く羽目になるとは」
額に手を当てて嘆息するアーバンの背中はどこか弱々しく、中隊相当の規模を誇る部隊を率いる者には些か似つかわしくなかった。
ミコトも、彼の部下も口を挟むことなく、隊長の采配をただ黙して待つ。
本来なら火線戦団の纏め役も絡むべき話題であるのだが、彼は早々に役目を放棄して哨戒へ当たっているため今は篝火に灯されてさえいない。
ただ上等な戦場さえあればいい。彼の残した要求は幸いにも、譲れるなら率先して譲っていきたいものではある。
「……周囲の捜索に二つ、そしてグレイグの監視を加えて三つへ部隊を分ける」
重々しく告げられた言葉は、静寂の闇が広がる三人の間に一つの解を灯す。これがそれぞれの所属ごとに分ける、という安易なものなはずもなく、故に二人は首肯するばかりでなおも沈黙を貫く。
無言の間を音無き肯定と受け取り、アーバンは言葉を続けた。
「一つは正規軍と火線戦団の混成編成とし、部隊長には俺がつく。もう一つには正規軍と歯車旅団で、お前が率いろ」
「了解」
短く、かつ誤解を生まぬ端的な表現で。
応じた部下と目線を交差させ、アーバンは信頼に口角を吊り上げる。
続けてミコトへと視線を移し、華奢な少女への指示を下す。
「ミコト殿には歯車旅団と火線戦団の混成編成で、グレイグの監視に当たってもらいたい。念波とやらは、俺にも通じるのか?」
「この後にお時間が頂けるのでしたら」
「ならば良し。彼女が何か起こせば、即座に俺へ連絡を送るように」
「了解しました」
彼らに与えられたクエストはあくまで黒の森開発へ向けた先遣隊であり、亜人種や風牙一族と事を交えることではない。が、グレイグが無遠慮に地を抉り、樹木を薙ぎ払った後とあっては侵略の意志はないと宣言した所で後の祭。
捜索する一団へ不意の攻撃が加えられても何ら文句を言い難い立場である。
かといって地図の更新も検討しなければならない地形破壊を、一致団結して調査するのもまた滑稽。せめて二手に別れでもしなければ、徒に時間を損耗するばかり。
「活動再開は夜明けだ。それまでに各々の部下に通達し、準備を進めさせろ。俺は火線戦団の面々へ通達する」
踵を返して焚き木の周囲を囲う仲間の下へ向かった面々を眺め、アーバンは一足遅れて通達すべき者達の下へと歩みを進める。
熱された木材の弾ける音に混じり、獣と化した少女の血反吐を撒き散らす咆哮が夜闇の静寂を切り裂いた。
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