第37話『追想・皇牙という長』

「あ、ありがとうございますぅー……わ、私、このまま死んじゃうかと思ってましたー……」

「あぁ、分かった分かったから。もう礼はいいから」

「……」


 鬼族の拠点たる洞窟の一角、崩落した岩盤に挟まれて身動きの取れなくなったアイイシはスレイブと豪風ごうふうに救助されて以来、ずっと礼を言い続けていた。辟易した豪風が無言を貫いても絶えることなく。

 既にスレイブも宥める段階に移行しているが、なおも礼の嵐は止む気配を見せない。


「こんなのじゃ全然言い足りないんですよぉ、ホントにホントに怖かったんですよぉー」

「おいスレイブとやら、こいつはいつもこんな調子なのか?」


 二人を運ぶ豪風からすれば、背中で常に騒がれるのは神経を逆撫でされるなどという領域ではない。最早森とも言い難い惨状の黒の森の光景と、そも人を背に乗せるという経験の欠如もまた、口調に苛立ちを込めさせる。

 言われ、普段の光景を回想するスレイブ。

 だが、平時の彼女は文字通り借りてきた猫として洞窟の隅で縮こまっている。喋るのが苦手なのか、元々口数が少ない。


「いや、口調自体はこんな調子だったか……?」


 首を傾げたスレイブに対し、豪風の返しは唸り声が伴っていた。


「なんでもいいから黙らせろ、いい加減によ」

「ぴゃっ」


 スレイブとアイイシ、そして包帯などの治療道具を乗せたことで速度が落ちたのか。豪風の背に乗りながらも、会話を交わす余裕が伺えた。

 黙らせようと思えば、全速力で駆け抜ければいい。それだけで二人は口を開く余裕すらも失うのだから。

 だからこそ、スレイブは一つの疑問をアイイシへ投げかけた。

 実質的に回答を予想できているにも関わらず。


「なぁ、アイイシ。ところで洞窟に怪我した鬼族や運んだ風牙かぜきば一族は来なかったか?

 確か……葬牙そうがとかカスミとか、そんな感じの名前の奴らが」

「え、あ……いいえ、誰も来てないですね」

「あぁ、そうか」

「……」


 森が滅茶苦茶になったことで移動が困難になり、立ち往生している。

 などと思案するのは、楽観視を通り越して現実を直視せず妄言に縋る無知蒙昧であろう。

 怪我人に加えて励ましの声を送る人員を乗せ、二人分の加重で動きの鈍った鈍重な状態で破壊の奔流から逃れられる道理もない。そしてグレイグにとって最大の仇敵である鬼族が怪我人だからと見逃すなど、最早相手の人格を無視した想定にも等しい。

 そして同胞の死を悟ったのか、豪風も歯を食い縛り苦渋を噛み締める。

 一人情勢を理解できていないアイイシだけが、頭上に疑問符を浮かべていた。


「そろそろつくぞ」


 根元からへし折れた樹木を飛び越え、告げる豪風の言葉に呼応した光景が二人の眼前に跳び込んでくる。

 夜闇も深まる中を焚き木の一つも焚かず、幾つもの呻き声を漏らすばかりの狼が多数。豪風のみならずスレイブにも通じる鼻腔の刺激は、血潮と鉄の香り。比較的無事な個体は励ましの声を送るものの、著しく同胞を欠いたと一目して分かる状況が張りを簒奪する。

 詳細な状況こそ夜闇に紛れているが、夜目に慣れた上では少なからず悲惨な有様がアイイシに眩暈を覚えさせた。


「な、なんですかこれは……!」

「ひっどい有様だな、こりゃ」

「す、すみませんが明かりをくれませんかッ?」


 豪風が膝を曲げると、飛び降りたアイイシは脇目も振らず付近の狼へ走り寄る。

 鬱蒼とした森林地帯を拠点に据える風牙一族ならばいざ知らず、あくまで人の延長線上に位置するアイイシやスレイブが平時と同じパフォーマンスを発揮するには周囲が暗過ぎた。

 幸いにも木材ならば辺りに散乱している。

 スレイブは目が見えないなりに周囲を散策し、手頃な樹木を粉砕。雑に搔き集めると比較的丈夫な枝を軸にして回転させ始めた。

 本来は木屑だの乾燥した素材だのが必要だった気もするが、鬼族との混血体たる身体能力を以ってすれば多少の不利は力づくでどうにでもなる。


「これでいいか?」

「あ、ありがとうございます、次は清潔な水を!」

「へいへい、俺はこっちでも小間使いか」

「すすすすみません!」


 アイイシの指示に従い、スレイブは付近の川辺で水を器に注ぐ。

 臨時拠点といえども、川に程近い場所に構えていたのは幸運であった。器を一度満たす程度の水では治療に使う分には全くといって程に足りないのだから。

 とはいえ、人一人で持ち運べる包帯には限りがある。


「すみません包帯が無くなりましたッ。何か、清潔で怪我を塞ぐのに使えるものは!」

「なぁおい、数が足んねぇよこれ。やっぱ傷口をひとまず焼いて……」

「それは最終手段ッ」

「気をしっかり持てッ。助かるぞ、後少しだ!」

「うぅ……あ」


 喉が枯れたのか、狼牙の口元には血が滴っていた。それでも同胞を助ける一助になろうと、せめてもと声を荒げて励ましを繰り返す。

 そこに喧騒へ惹かれたのか、一つの人影が近づく。

 四つ足を基本とする風牙一族ではどうしても手伝える作業には限界がある。スレイブだけでは効率が悪いとアイイシも声を上げ、手伝いを訴えた。


「すみません、そこの器に水を入れてきてくれませんか!」

「黙レ、人間ッ。ヴゥゥ!」

「ヒッ……!」


 突然の殺気混じりの怒気に怯え、アイイシは後退る。

 まさか治療の手伝いを頼んだだけで殺意を注がれるとは、彼女も想定していなかったのだろう。それだけで動きが大きく鈍ってしまう。


烈風れっぷうッ。彼女は恩じ……ケヴォッ、ガハッ」

「大丈夫かよ、狼牙ろうが


 咳き込む狼牙の姿に気を使うスレイブ。だが彼にも人影は闇夜に浮かぶ鋭利な眼光を注ぐ。


「貴様、人間ッ……敵、殺ス!」

「いい加減にしろ、烈風ッ。状況が見えんのかッ?!」

「助ケ、不要ッ。ヴウウ、ガゥッ!」


 烈風の名を聞き、スレイブは目を凝らす。

 確かに闇へ浮かぶ容姿は、いつか見た毛皮を纏った矮躯に酷似していた。そして人にあるまじき唸り声の混じった口調、というよりも人語と呼ぶのも怪しい言葉遣いもまた、烈風と呼ばれた人物のものに酷似していた。

 苛烈な憎悪を滲ませる少女は、治療を甘んじて受ける同胞にすら蔑視の感情を抱くかの如く声を張り上げる。


「情ケ、ナイッ……潔ク、死ネッ。人間ハ、皇牙おうがノ仇……!」

「烈風ッ」


 言いたいことだけ言うとばかりに踵を返すと、狼牙の静止も無視して跳躍。荒地の先へと姿を隠した。

 スレイブにはその光景が嫌に印象的で、網膜に焼きつく。

 結局、怒涛の勢いで風牙一族を治療し終わった頃には夜も白み、月も星々も姿を隠しつつある境の時間へ至っていた。


「ぐぅ……すかー……」


 夜通し治療を繰り返していたアイイシは疲労が限界に達したのか、付近で横になっている狼を枕代わりにして寝息を立てていた。


「あいつ、怪我はしてなかったよな……?」

「あぁ、それに奴の毛並はフワフワだ。夜通しで働いた身には響くだろう」


 首だけを回したスレイブも、目を充血させて横になっていた。彼の呟きに反応した狼牙もまた、楽な姿勢で就寝の準備といった様子。

 なまじ思考を回す必要のない単純労働が多かったスレイブは身体ばかりが疲弊し、適度に回転した血流によって頭はむしろ覚醒状態に近かった。狼牙もまた、喉が訴える激痛のせいで疲労の割には眠気は薄い。

 一方で周囲の同胞は、アイイシの治療によって苦痛が取り除かれたのか。寝息を立てて夢の世界へ旅立っている。

 故に目を覚ましているのは二人、否、一人と一体だけであった。


「狼牙、烈風ってのはいつもあぁなのか?」


 だからこそ、彼は脳裏に浮かんだ疑問を口にした。

 助けを拒むだけならばまだしも、助けられた同胞にすら怒気を注ぎ、あまつさえ死ねとまで断じる姿は異常と言わざるを得ない。

 疑問に理解が及んだのか、暫しの沈黙を置いて狼牙は語り出す。


「……風牙一族の長が本来、皇牙というのは理解できるか?」

「お前が臨時ってくらいには」

「彼は烈風の親代わりを勤めていてな。それはもう溺愛していたものだ……」


 語る狼牙の視線は遠く、過ぎ去った過去を懐かしむようで。

 喉が訴える痛苦を誤魔化す鎮痛剤の如く、彼の口をなめらかにする。


「皇牙は立派で、その名が表す通りに我々を纏め上げていた。彼が率いることに不満を口にするものなど、誰もいなかったさ……」


 過去形で語る狼牙の表情が、喉からとは異なる痛苦に歪む。

 遥か昔に植えつけられた、心中へ深く食い込む記憶が時を経て出血を強いてくる。そしてそれはおそらく、烈風を含む他の一族にも大なり小なり共通しているのだろう。

 一言二言、口を進める度に顔色は悪化の一途を辿った。


「全てが変わったのは三年前……

 突如として人間達は我々の縄張りを侵略してきた」


 脳裏に蘇るは血と炎熱の記憶。

 装備の規格も共通していない乱雑な、連携という言葉を廃絶したような個人の集合が風牙一族の縄張りへ攻め込んできた光景であった。

 斧や大槌、破砕球といった凡そ愚連隊と呼ぶに相応しき得物が乱舞し、同胞の血肉で色を朱に染め上げる。反抗に振るわれる爪牙も確かに侵略者へ手傷を負わせるものの、戦いを生業にしている奴らが一枚上手。


「そうして疲弊した私へ、派手な服装をした男が弓を構え無形の一撃を加えようとした時だった」

『狼牙ッ……!』


 引き絞られ放たれた一矢へ割り込み、美しき白の毛並へ赤を差し込む。音を裂く魔力の矢が臓腑を焼き、衝撃で背後の川へと皇牙を押し込んでしまった。

 如何に森が荒れようとも川の流れは不変。

 侵略者とて、無為に水源を汚染する程の愚行には及ばない。故に皇牙の肉体は川を流れ、清らかで透明な色味を濁らせながら下流へと推し進める。

 しかして狼牙に彼を手助けする余裕はなかった。


「結局、奴らが撤退した頃には今よりマシとはいえ森も荒れた。縄張りも森の深くへ変えざるを得ず、そして……同胞も多くを失った」

「……」


 愚連隊の如き装備、そして魔力矢を主として扱う者にスレイブは心当たりがあった。が、今は狼牙に話したいだけ話させるべきと判断し、無言を貫く。

 故に後を継いだ風牙一族の長は、自傷染みて過去を語り続ける。


「皇牙の遺体は下流の岩場に引っかかっていた……最初に見つけたのは、疾風だったらしい。尤もその頃、私は臨時の長として次の縄張りを決めるべく、現場を離れていたのだがな……」

「まぁ、纏め役としてそれが正しいんだろうな」


 個人としての要望よりも全体の利益を優先して活動する。それは組織の長として正道であり、我欲を優先する節の強いムクロドウジにも是非学んで欲しい所である。


「だから実際の所は分からんが、そこから烈風が変わった。

 人間を憎悪し、今では過激派の筆頭だ……だが、奴は他の連中よりも一層に深い憎悪を抱えている。人の形をするもの全て、それこそ森を破壊した奴にも似た憎悪をな……」

「森を破壊した、ねぇ……」


 グレイグ・B・ジルファング。

 黒の森一帯を破壊する疾走はしかし、彼女が正規のクエストを経て赴いているのならば、すぐに再開することはないだろうとスレイブは楽観していた。

 著しい本懐、悍ましいまでの被害を生み出して、歯車旅団が野放しにするとは思えなかったが故に。

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