第36話『夕焼けへの撤退・女性の行方』

 太陽が傾き、茜色に空が浸食される時分。

 荒涼な様を晒す黒の森だった荒地にも平等な光が注がれる。

 再生は不可能なのではないかと怪しむ程に荒れ果て、剥き出しの地面には段差などという言葉では生温い凹凸が目立つ。捲り上げられたことで緩んだ大地を幾度も踏み締め、新たな轍を刻み撤退する集団が一つ。

 黒の森に居を構える魔獣の一種たる風牙かぜきば一族。そして僅か四匹にまで減少した彼らに合流し、今は狼牙の背に搭乗している混血体キメラの少年、スレイブである。


「いったい何がどうなってんだ、アレは……」


 愚痴を零すのはスレイブ。

 スレイとしての記憶をいくら引っ張ってみても、森全体にもたらされた破壊規模を成す力をグレイグは有していない。更に言えば多数の魔法を受け、なおも継戦可能な耐久力など合致する訳もなく。

 そも、彼女がギルド内では一番の若輩者。

 故に団長たるギルバートが直々に付き添う形で鬼族の拠点への偵察に同行したのであり、そして技量が及ばないからこそ左腕を潰されたはず。

 森を蹂躙可能な規格外の実力があるならば、ムクロドウジが相手だろうとも遅れを取ることはなかっただろう。

 止め処なく湧き出す疑問を遮ったのは、共に駆ける狼の言葉であった。


「幾らなんでもビビり過ぎじゃねぇのかよ。えぇ、狼牙ろうが?」


 柄の悪い口調で長に投げかけたのは、亜麻色の毛を額から斜め方向に伸ばした豪風ごうふう。並走する彼女の瞳は、刃の切先を連想させる鋭利さを以って長を睨む。

 グレイグが足を止めた隙に追撃を仕掛け、増援が到着する前に撃破すれば良かったのではないか。

 暗に主張する彼女へ賛同を示しているのか、周囲を走る一族の視線は鋭い。

 背に突き刺さるものを覚えるスレイブは視線を落とし、狼牙の判断を待った。元々彼に進言したのは自分なのだ、必要とあらば弁明する必要もあろう。

 周囲からの視線に頭を何度か上下させ、狼牙は重い口を開く。


「遠目での判断だが、奴に有効打が入っているとは思えなんだ……おそらくだが、あの倍をぶつけても奴は意に介さず戦えただろう程に」

「はぁ? そんなん狼牙が勝手に判断しただけだろぉが。それにあれは足止め目的の詠唱破棄、全力で撃ちまくればもっと……」

「それでも、だ……そも、それだけの余力があるならば甲牙こうがの身体を回収している」


 奥歯を噛み締め、半身を抉られた骸へ晒す同胞へと思いを馳せる。

 甲牙の件を指摘されては、豪風も他の同胞も閉口せざるを得ない。

 正式な弔いも行えず、屍を野に晒したまま放置することになったのは彼だけではない。どころか、原形を保たずに霧散した同胞もどれだけいることか。


「住処も滅茶苦茶にされてんだ。この先を仮拠点として集まってる……が、かなりの数が怪我してる。いったいどれだけの数が戦えることか……」


 狼牙への説明も兼ねて現状を語る豪風の声に覇気がないのは、被害の甚大さによるものか。

 風牙一族に回復の担い手がいないのか。首を傾げて思案したスレイブは治療に精通した女性のことを思い出し、狼牙へと提案する。


「狼牙、一度俺達の拠点へ向かってくれねぇか。治療技術ならアイイシがかなりのやり手だ、多分だが風牙一族にもいけるはず」

「仮拠点の場所を知らぬ私が離れる訳にはいかん。それに、同胞の被害も我が目で確かめたい。

 ……豪風、お前に頼めるか?」

「お断り……と、言いてぇところだが、治療を任せられる奴がいるなら仕方ねぇ」


 ホラ、飛び移れ。

 長に並走する狼へ、タイミングを見計らって乗り換えるスレイブ。少なからず負傷している身には負担も少なくないが、わざわざ文句をいう程のことでもない。

 風になびく白の毛並こそ狼牙と同一だが、触り心地は正直快適とは言い難い。

 ズボラな性格なのか、もしくは狼牙が長として人一倍意識していたのか。手に伝わる感触は乾燥した汚泥を彷彿とさせた。


「身体、洗ってるか?」

「テメェ、それが女に対する言葉かッ……!」

「女なの、お前?」

「……見て分からんのか、スレイブ」


 同胞からすれば一目で判別がつくのか。

 呆れた口調でスレイブへ指摘したのは、長たる狼牙であった。


「いや全く分かんねぇけど……」

「鼻立ちや腰回り……こう、骨格で判別もつかんか?」

「正直毛並以外の判断がつかねぇよ……うん」


 首を縦に振り、閑話休題。

 敵意にも似た鋭利な感覚を触れてる部分から感じつつ、スレイブは鬼族が拠点としている洞窟へ向けた進路を指差した。

 指差された方角へ進路を変更すると四つ足に魔力を込め、豪風は目を細める。


「舌、噛むんじゃねぇぞ」


 忠告を一つ。

 爆発的な魔力放出は、白狼と背に乗る少年を風にする。

 グレイグの突進によって荒れ果て、馬車を引くことも叶わぬ悪路を縦横無尽に駆け抜ける。身体に圧し掛かる大気の負荷など、風で牙を研ぎ澄ます一族には無傷にも等しい。

 背を丸め、スレイブは豪風へより密着する。

 相手が女性だと思うと抵抗は皆無でもない。が、狼牙と比較してマシだというだけで猛風の負担は尋常ではない。


「次の木、あぁ……そこの折れた木のとこを右に曲がれ、それでつく」

「チッ。回復させるって奴が役に立たねぇようなら承知しねぇからな!」


 急な切り返しに内臓が綯い交ぜになる感覚を味わい、スレイブは奥歯を噛み締める。

 そうすれば、僅かな腐臭を漂わせる鬼族の拠点たる洞窟が姿を見せる。

 が、岩壁にはまるで表面を暴風が練り歩いたかの如き跡が深々と刻まれていた。それだけではなく穿たれた穴も点在し、最悪の予想を脳裏へ過らせる。


「おいおい。どんな突進すりゃ、あの洞窟に穴を開けれんだよ……」


 気を紛らわすかのように呟かれた軽口に、豪風が答えることはない。

 洞窟へ侵入したことで速度を幾分か落とし、天然の通路を進む。

 外から見た惨状は酷かったが、中から見ても些か方向性を変える程度で惨状に大差はない。むしろ距離を詰めたことで詳細な有様を目撃することになり、スレイブは眩暈すら覚えた。

 埒外の衝撃に揺れ動き、破損した器物や煌々と燃える灯火が足元に散乱する。モグラよろしく洞窟を掘り回ったのか、見上げれば各所に夜空に通ずる穴すら散見された。

 元々衛生管理は劣悪だったこともあり、血臭ではアイイシの状態を確認できない。


「アイイシ、どこに隠れてやがる。アイイシー!」

「アイイシとやら、どこに隠れてやがんだ。さっさと出て来い!」


 洞窟に幾度も声が反響する。

 乱反射する声はやがて目的とする人物にまで届いたのか、か細い返事が奥底から木霊した。


「こちらですー……」

「いや、こちらじゃ分かんねぇんだが!」

「ヒッ……で、でもここがどこかよく分からないんですよー……いきなり落盤して、それで周りが暗くなってー……」

「…………探せと?」


 血臭がこびりついた、一嗅ぎで鼻腔がひん曲がりかねない洞窟の中を?

 豪風の視線が痛く突き刺さる。しかしスレイブ自身も、探すのが赤の他人であらば見捨てて洞窟を後にしたいのが本音であった。

 結局アイイシを発見した頃には、洞窟に空いた穴から月明かりが苦労を労うように届けられた。

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