第35話『吠え立てる破壊・答える者は』

 好きな人がいた。

 人々の羨望を一身に集めるに相応しき英傑の中にあって、なおも鮮烈に輝く存在。

 大袈裟に思えるかもしれないが、それでも彼女の内では確かな真実。そして彼女が歯車旅団に所属する決心を固めさせた光。

 民草に注がれる災いを跳ね除ける誉れ高き盾。

 奴隷の立場にありながら、共に信じられる者まで側に控えた状況は彼女の羨望を一層深くさせた。

 それを。


「お、前は……」


 その命を奪っておきながら。


「お前、らは……!」


 尊厳すら凌辱し、踏み躙るというのか。


「あの人を、どこまで冒涜するつもりだァァァ!!!」


 突如として横薙ぎに振るわれる暴力的な一閃に、スレイブは咄嗟に金棒を盾にしてした。が、如何に横薙ぎで勢いが削がれたといえども加速そのものは生きている。

 破壊の奔流に圧倒的重量の金棒が容易く砕け、身体も付近のクレーターへ弾き飛ばされた。


「ガッ……つぅ……!」


 衝撃で押し出された肺の空気が排出され、血と唾の化合物も伴う。

 痛苦に奥歯を噛み締める中、破壊が足を止めたという事実に体勢を整えた。

 一瞥した印象は、半身を化生に捧げた破戒騎士。

 全身を覆う重厚なセラミックプレートの色は白銀。小柄な体躯にショートヘアの金髪を乗せ、エメラルドを彷彿とさせる翡翠の瞳は情念に濁りを見せる。

 捧げた部位は左腕。

 肩口までを鋭角的かつ漆黒の鎧に換装し、握る突撃槍も穂先までを幾つもの棘が食い破る。鬼族きぞくの扱う金棒とも異なり、仕様通りの設計とは口が裂けてもいえない不並びな様は、内に巣食う化生が現界すべく暴れたと表現するのが正確に思えた。


「随分と、印象が変わったな……グレイグ……」


 挑発と、僅かに残る実体験に乏しい記憶から軽口を叩くスレイブ。

 眼前に立つ敵手の姿にこそ違和を覚える。が、大まかな容姿は記憶の中にある存在と酷似していた。

 グレイグ・B・ジルファング。


「その声で語るなッ、その身体で動くなッ、その目で私を……!」


 一方のグレイグはスレイブの存在を──スレイの肉体を使役する存在の一切を否定し、拒絶すべく変わり果てたルプスを振るう。

 一突きを以って、敵を鏖殺すべく。


「見るなぁぁぁ!!!」

「それじゃあ消えろよ、そっちがよ……!」

風魔圧壊砲エアロ・ブラストッ!」


 問答の間に詠唱を終え、狼牙の砲撃を合図に多数の魔法が続く。

 意識を削がれていたグレイグに躱す術はなく、尽くが着弾。連続する衝撃に姿勢が崩れ、立て直す隙にスレイブは一定の距離を取る。

 揺れる視界の中、濁った翡翠の瞳は憎悪と殺意と悪意を綯い交ぜにした激情を逃げ去る相手へ注いだ。


「逃げるな、その身体を置いて逝けッ……返せぇぇぇ!!!」

「返すも何も、これは俺の身体だろうが……!」


 精神寄生や死体兵の類を想像しているのかもしれないが、スレイブに施されたのは後天的な蘇生措置。鬼族の血を注がれただけで、少なくとも意識の所有権を簒奪されてはいない。

 話し合いの余地さえない断絶。一方的な態度と過剰なまでの憎悪に舌打ちを一つ零し、スレイブは狼牙の側にまで撤退する。


「悪い、武器が潰れた……素手でやり合える相手とも思えねぇし」

「気にするな。今は遠距離で削るべき頃合い……!」

「ほらほら。そんな大柄な槍じゃ、この距離は届かねぇでしょッ!」


 詠唱破棄により間隙なく連発される砲撃。

 突出した兵士を集団で囲み圧倒する。基礎とも言える戦術が、友軍の支援を受けるには距離の離れたグレイグへと多数の魔法弾が注がれた。

 破壊そのものとして再度動かれては、それこそ打つ手がなくなる。

 足を止め、スレイブへの執着を見せる内の圧倒こそが最適解と狼牙が判断するのに、然したる時間はかからなかった。


「ケッ、盾を捨てて足を止めたからこうなる……馬鹿がよ」


 思わず漏れた言葉に口を抑え、驚愕の色に目を開くスレイブ。下手にスレイの記憶を連想させたのが悪手なのか、まるで仲間の失態を自身の過失と捉えたかのような口調に動揺を隠せない。

 側に立つ少年の変調に気づかず、狼牙は体内の魔力を絞り出して魔法を連発。

 埒の明かない現状に激しく歯軋りし、グレイグは乱雑にルプスを振るって尽くを弾き落とす。直撃した所で詠唱を破棄した初歩的な魔法、足止め程度の意味しか有さない。

 しかし振り切って強引な攻め手に出るには、数が多過ぎる。


「邪魔だ邪魔だ邪魔だッ。スレイ様の身体を返せぇッ!!!」

「いやおい、あの体力はおかしくねぇか……?」


 迎撃し損ねて直撃した魔法も数多く、そうでなくとも足元に着弾した分で着実に体力を削っている。単に重厚な鎧を纏っているだけでは説明のつかない、人間にあるまじき耐久力にスレイブが違和感を覚えた頃合いであった。

 遠方から、声が聞こえる。


「……こ行った、あの馬鹿はッ?」

「増援かッ?」


 もしくは単独で突出したグレイグを追跡したか。

 現状取られている策は彼女が単独行動を取っているが故の方針。数で勝っているという前提が崩れれば、形勢は忽ち引っくり返る。


「おい、一旦引いた方がいいぞ。増援が来るッ」


 故にスレイブは撤退を進言。

 まだ視認すらままならない距離で弱気とも思える選択に、非難の視線が突き刺さる。

 しかし、首を傾け忠言を聞き届けた狼牙は何度か頭を縦に振った。


「うむ、今はそれが最善か……同胞よ、一度態勢を立て直すぞ!」

「日和ってんじゃねぇよ、狼牙ろうがッ……クソッたれ」


 長への言葉とは思えぬ豪風ごうふうは際たる例として、他の一族も唸り声や恨めしそうな視線で納得とは言い難い態度を示す。が、流石に指示を無視する様子もなく、形成された弾幕も徐々に厚みを失っていく。

 連続する衝撃が薄まり、獣もかくやな唸り声を上げて槍の切先をスレイブへと注ぐグレイグ。

 足腰を中心に蓄積する禍々しき魔力。幾億もの死体を腐敗させたが如き汚泥が炸裂の瞬間を待ち焦がれ──


「逃がすかぁ……!」

「風煙散布、風魔噴煙砲エアロ・ディスチャージャーッ」

「ッ?!」


 端的な詠唱を挟むと、狼牙の口に展開された魔法陣が噛み砕かれ、荒れた地平を包み込む噴煙が視界を遮る。

 無闇に突撃する訳にもいかず、グレイグはルプスを一閃。

 一振りでは注ぎ切れず、二度三度と槍を振るって噴煙を払えばそこに敵の姿は皆無。濁った翡翠の瞳は無明の荒野ばかりを写し取る。

 虚空へ向け、右手を伸ばす。

 それで何が掴めるでもないことは少女にも理解できていた。それでも腕を伸ばさずにはいられない。

 予想通りに空虚を掴むと、心情は限界であった。


「どこだ、どこにいったぁッ。私と戦えッ、スレイ様の身体を返せぇッ!」


 慟哭に世界が揺れる中、遅れて到達した友軍の足音が背後から響いた。

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