第32話『一つの結末・そして地を鳴らす騒乱』

 噴き出す鮮血が、暖かい朱の液体が、魔法で覆われた爪越しに肉を貫く感触が。

 憔悴し切っていたムクロドウジに万の食事にも勝る栄養を与え、表情に熱を加える。煌々と輝く真紅の瞳に、顔が追随するように。


「私の勝ち、だな」

「そ、のよう……だな……」


 未だグゲは膝を曲げることこそないものの、左右に揺れ動く様は命の灯火が尽きつつあることを如実に証明する。

 観客の誰もが口を開くことはない。

 ドラゴニュート側も鬼族きぞく側も突然の決着に心が追いつかず、長の足元を染め上げる血の池だけが戦いの趨勢を証明した。微動だにすることもなく、ただ眼前で繰り広げられた光景を処理するのに時間をかける。

 唯一スレイブだけは短く拳を握り、口角を吊り上げた。


「ヒハッ、喉を潰す前に謝罪の一つでも引っ張り出したかったのだがな。それは叶わず、残念だ」

「きさ、まに何を……謝罪しよう、かと……」

「それをわざわざ口にさせるか?」


 巨躯の膝が折れ、地面が震える。

 それを切欠にし、ドラゴニュートは口々に声を上げた。

 グゲの名を。回復を祈る声を。現実を否定する叫びを。

 しかして事実を否定するには祈りはか細く、願いは儚い。時が巻き戻ることはなく、ドラゴニュートの長は生命力を血液と共に垂れ流す。


「父上、父上父上ッ。離せ貴様らぁッ!」

「お止め下さいグゴ様ッ。これは決闘です!」

「黙れ貴様らッ。俺の言葉が聞けないのかッ?!」


 薬草で治療したばかりの傷口から血を噴き出し、父親へ駆け寄ろうとするグゴを周囲の部下が五人がかりで必死に抑え込む。彼らも戦場での傷が回復してはいないものの、今のグゴを放置するよりは遥かにマシであった。

 息子の叫びが鼓膜を震わすのか。グゲは意識を辛うじて保ったまま、眼前の少女へ言葉を零す。


「この、まま行けば……貴様、は遠からず……破滅、する」

「ヒハッ、負け惜しみか。自分ならもっと上手くやれるとでも?」


 最期の言葉に冷笑で返し、それでも爪を引き抜かないのは朦朧となった瞳がなおも光を灯しているから。

 遺す言葉に応じるつもりはない。それでも聞く耳程度は持ってやろうという勝者故の傲慢さが、ムクロドウジは獰猛な笑みを浮かべたままグゲを見つめていた。


「ちから、だけ……で、したがう、ものなどそうは……いない」

「今までずっとこうして来たからな。当然、これからも」

「それを、ごうまんと……きさま、に、わがどうほうを……あずける、わけには……」

「預けるとは、随分と上からだな」


 戦で長を失った勢力は他所の勢力に吸収されるのが道理。わざわざ路頭を彷徨う羽目に合わずとも、眼前により強き存在がいるのだからそこに追従すればいい。

 そも、負け戦を演じておきながら他の選択肢があると本気で思っているのか。

 ムクロドウジは確信を抱いて口を開く。


「貴様の勢力は私のものだ。首だけ挿げ替えて、そっくり引き継がせてもらうぞ」

「ふ、ならば…………そのまま……」


 紡ぐ言葉の間隔が長くなり、朦朧とした意識は巨躯を仰向けに倒す。

 一際大きな衝撃が大地を震わせ、ドラゴニュートの長たる古強者の最期を高らかに謳った。


「……」


 暫しの間、少女は自らが屠った獲物を眺める。

 遅れて腕に込めた力を緩め、地面へと着地を果たす。そして魔法の解除に平行して空間魔法を行使し、金棒を魔法陣へと収納。

 途端に堰を切って湧き立つ鮮血が白磁の肌を朱に塗りたくった。

 地に濡れた左腕を力強く掲げると、余力を振り絞って拳を握り締める。


「私の、勝ちだ……!」

「……」


 彼女の勝利を祝福したのは、スレイブの拍手のみ。

 一際乾いて聞こえるのは、周囲があまりにも唖然としているためか。もしくは祝福しているのが直属の部下以外に存在しないためか。

 決闘は終わったと、スレイブはムクロドウジへと歩みを進める。風牙かぜきば一族の長である狼牙ろうがが追従する様はどこか上司と部下の関係を連想させたが、視線に混じった感情を前に上げる唸り声が認識を改めさせた。

 そして力なく項垂れたグゴに肩を貸し、ドラゴニュートの側も歩み寄る。


「正直、俺は亜人種の流儀にはさっぱりなんだわ。決着がついた後は、どういう段取りを踏むのが正解なんだよ?」

「長同士の決闘の結末は、まずは勝者であるムクロドウジの意志が尊重される。次いで側近である貴様……貴様が側近でいいんだな?」

「多分な」


 唯一の部下だのなんだの、彼女がスレイブを特別視しているのは明白。その認識に組織としての意味を持つのかどうかまでは不明なものの、決闘直後に足を運ぶ者が他にいない以上は相応の立場という認識でいいのだろう。

 もしも違えば、判明した段階で謝罪すればいい。

 ある種の割り切りと彼我の認識を確認すると、スレイブは視線を正面の少女へと注ぐ。

 鮮血に濡れた戦乙女と呼ぶには醜悪に過ぎる、鬼族の分隊を率いる苛烈なる少女を。


「ドラゴニュートの長、グゲは決闘の末に壮絶な最期を遂げた。首級を上げるは鬼族王国方面部隊大隊長たるこの私、ムクロドウジだ」

「……」


 声を上げる気力もないのか、グゴは力なく首を縦に振るのみ。敬愛する父親を亡くした直後となれば、止むを得ないことか。

 一切の反応がなければ面倒も増えるが、最低限の意思疎通さえ図れるのなら不満はない。

 純然たる事実を認められずとも、側近が長の意志を尊重すれば部下は従う。肩を貸す部下の沈鬱な表情も、グゴが認める以上は否定する訳にはいかないと本心を殺しているように思えた。

 尤も、ムクロドウジからすれば知ったことではないが。


「貴様らドラゴニュートは、これから私に従え。不満があるようならば、いつでも相手になるぞ」


 不敵な笑みを浮かべるが、流石に虚勢の側面もあるだろう。グゲが与し易いとは口が裂けても言えぬ生傷が、僅かにふらつく足取りが辛うじて彼女が自覚的な仕草として行っていると証明していた。

 対してグゴは首を何度か上下するだけで、自らの意志を表明することはない。

 続けて具体的な指示を出すのか。

 スレイブが二人のやり取りを眺めている時であった。


「なんだ、この音は……?」


 物々しい破砕音が背後から響き、スレイブは振り返る。

 鬼族の後方、彼らの拠点となる森林地帯から砂塵が舞い上がり、緑がへし折れていた。黒の森が破壊され、何者かの手によって思うがままに蹂躙されていた。

 音に釣られて他の面々も徐々に大規模な破壊活動へと視線を注ぎ、あまりの異常事態に閉口する。


「何が、起きている……?」

「スレイブ」


 唯一人、振り返らずにグゴを見つめ続けるムクロドウジが背後に立つ部下へと声をかけた。

 困惑の色相が円陣の間に広まり、零れた声が謎の破壊現象を認識させたのだろう。


「スレイブ、私が信頼する唯一の部下よ。

 私は今動けない。だからお前が森の異変を探れ」


 彼女の語りが単なる決闘直後のやり取り以上の意味を有していることは、僅かに震える足から推測できた。

 一つの部隊を率いる長として気丈に振る舞っているだけで、ムクロドウジは今にも倒れそうな程に衰弱しているに違いない。金棒を空間魔法に収納したのも、手に握る握力も期待できないということか。

 それだけ弱った少女を一人残すことに抵抗はある。が。


「……了解した。こっちは任せろ」

「ヒハッ。任せたぞ」


 顔を向け、シニカルな笑みを注ぐムクロドウジを一目すれば、スレイブの動きにも躊躇はなかった。


「狼牙、頼めるかッ」

「黒の森は風牙一族の住処でもある。止める理由はない」


 側にいる白狼の背に乗り、風を切って加速。

 滑空とも跳躍とも思える距離を数歩で稼ぎ、内臓を殴りつける衝撃が大気より殺到する。

 左腕と両足の三点で力強く狼牙にしがみつく裏で、目だけは見開いて周囲の様子を確認。そして目的の相手を視認し、瞬きの間で蒸発し尽くした眼球を酷使してタイミングを図る。


「これ借りるぞ、オボロッ」

「なッ……!」


 短く、一方的に。

 相手の返事を待つことなく、オボロの側に平で設置されていた金棒を掬い上げ、そのまま疾走する。

 突然の重量増加に顔を顰める狼牙は、低い唸り声を上げて不満を訴えた。が、既に空間魔法に収納済みの剣の貯蔵も底を尽きかけている。

 遠くからでも伐採の様子が伺える未知の脅威を前に、碌な装備も整えずに向かうのは自殺行為と何ら変わらない。ともすれば、鼓膜と地面を震わす破砕の様子は黒の森に生息する万物への挑発行為にすら思えた。


「いったい何事だよ、これは……!」


 焦燥に駆られたスレイブの額を、一筋の冷や汗が滑る。

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