第31話『砂塵の果てにある、結末』

「始めッ!!!」


 天高く掲げられた声を合図に、先に動いたのはムクロドウジであった。

 地を割る踏み込みで距離を詰め、振りかざすは数トンにも及ぶ超重の金棒。

 人も亜人種も関わらず等しく死を運ぶ一撃を、数倍はあろう巨躯のドラゴニュートは右腕を盾にして受け止める。しかして如何に龍の近縁種といえども、内部に響く衝撃までは殺し切れない。


「ッ……!」

「重く、しかしあまりにも軽い一撃だ」

「黙れッ!」


 弾けるように金棒を引き戻し、左腕に迸る雷の魔力を収縮。

 詠唱破棄の上で構築した雷の爪を纏い、更に加速。

 流石に一対一で多数の詠唱を不可欠とする上級魔法を行使する余裕が生まれるとは考え難く、かといって詠唱を抜きにして有効打になるかも未知数。

 正面から攻め立てるのが不可能ならば、背後から切り裂くのみ。

 重鈍な動きのグゲを捉えるのは容易い。赤子の手を捻るように弧を描き、多数の同胞の前でその骸を晒してみせよう。

 一歩も引く気はないと、ムクロドウジは気概を反映した好戦的な笑みを覗かせるが。


「なッ?」


 瞬きの間。

 移動の都合で視界から外れた隙に、巨躯のドラゴニュートは霞となりて姿を消していた。

 振り下ろすアテのない左腕から力を抜くと、左右に首を振って姿を追う。

 あの体躯で視界から消える俊敏な動きが長時間続くとは思えない。やがて限界が訪れて、傷の上に傷を重ねた鱗を白日の元に現す。

 しかし、再び鬼族きぞくの思惑は外れる。


「一族を束ねる者の一撃は、重いぞ。小娘」

「ガッ……!」


 左脇へ突き刺さる鈍痛が、火矢染みた速度でムクロドウジの身体を浮かし、地面を数度バウンドさせる。動転する視界の中、咄嗟に突き立てた爪が削岩の音を鳴らして地面を削り、勢いを殺し尽くしたのは闘技場を形成するドラゴニュートの付近。

 背中に突き刺さる鋭利な殺意には目もくれず、土煙を巻き上げて少女は疾走する。

 グゲは依然として見当たらず、しかして脇腹を青く染める鈍痛は確かな現実。

 ムクロドウジは敵意と殺意を綯い交ぜにした眼差しで虚空を見つめると、乱雑に地面を殴りつける。


「どこにいった、隠れてないで出て来いッ!」


 怒声に反応する者は皆無。観客たるドラゴニュートも、鬼族も揃って無言のまま、少女が八つ当たり気味に地面を破壊する様を観戦していた。

 舞い上がる砂塵が頭上に浮かぶ太陽を覆い隠し、ムクロドウジの姿を影法師へと変換する。


「闇雲に地面を殴った所で駄々を捏ねる童と同じ。単なる暴力は長の振舞いではない。

 粗暴なだけの獣に、力だけの化生に従う者など一人して居はしない」

「黙れ黙れ、知った風な口を聞くなッ」


 どこから大気を震わしているのかも不明な声音が、ムクロドウジへの挑発を繰り返す。喧しい声を掻き消さんばかりの破砕音も、周囲の喧騒ならばともかく身近の敵手が発したものには効果が希薄。

 突然放たれた落石めいた衝撃が少女の頭蓋を直撃し、白磁の肌に一筋の血を垂らす。

 反射運動とばかりに振るわれる金棒は砂塵を引き裂くに留まり、肉を潰す感覚を手首へ届ける義務を放棄。そして反撃には、右肩が吹き飛ぶかと錯覚する衝撃。

 如何なる妙技か。グゲは完全なる隠密を果たし、視界に巨躯を映すことなく一方的な攻勢に及んでいた。


「グゲ様ァ。我らが同胞の受けた痛苦、今こそ奴らへ突きつけて下さいッ」


 自らの大将が優勢なことが伝わっているのか。

 円の半数以上にも及ぶドラゴニュート陣営は、歓声を上げてグゲを応援していた。中には手に持つ木槍を振り上げる者まで観測でき、興奮の程が空気越しにも伝播している。

 一方で鬼族側は然したる興味もない、とばかりに腰を下す。

 戦の直後とあっては声援を送る気力が湧かないのも無理はない。しかし、矛を交えたドラゴニュートが両腕を振りかざしている様を見ては、狼牙ろうがの脳裏には疑問が湧き立つというもの。


「スレイブ、奴らは本当にムクロドウジの部下なのか。本当は洗脳でもして支配した部下ではないのか?」

「それなぁ……どうも奴の部下は力づくで黙らせた連中の集まりなんだとよ」

「何ッ?」


 頭を掻きながら、どこか言い辛そうに告げられたカミングアウトは、不本意な形で風牙かぜきば一族を率いている狼牙をして絶句させた。

 しかしスレイブ自身も、彼女がかつて告白した内容がそうであった以上はそう告げる他にない。実際に耳目を震わせる状況が、いつかの弁が事実であると雄弁に物語っているのだから。


「経緯を考えりゃ、むしろブーイングが出てないのが凄いくらいなんじゃねぇか?」

「そ、そんな……そんな馬鹿な話に納得できるかッ。貴様、冗談にしても性質が悪すぎるぞッ。もっとマトモな理屈を持ってこい!」

「んなこと言われてもなぁ……俺も当人に聞いただけだし。正直すげぇ納得できるし」


 大将同士が雌雄を決しているにも関わらず低い士気も、開戦時とは異なって自ら鮮血を浴びる機会が喪失したことに端を成すと思えば納得できるというもの。

 それに、一部隊の隊長と通路で横切って挨拶の一つもない場面を目撃しているスレイブには答え合わせに似た感覚の方が強い。

 そも、作戦の締めが大将同士の一騎打ちであること自体、彼は初耳であった。

 故にただ、とつけ加えてスレイブは言葉を続ける。


「俺は奴に命を救われてる。だから少なくとも俺は、奴を信じるつもりだ」

「……」


 真っすぐ砂塵の奥を見つめる眼光に何を見出したのか、狼牙は口を紡ぐと彼が覗く先の光景へ視線を注いだ。


「じゃあ私は奴を信じる貴様を信じる……などと安い言葉を吐く気はないぞ」

「そら一族を率いる身なら、慎重にもなるわな」



 砂塵の中、姿もなく振るわれる暴力は既に二桁を超えている。

 鬼というより巻き角を生やした人と言われた方が納得できる矮躯だが、ムクロドウジの耐久力は種族の自己認識が正しいことを証明していた。

 しかし、それもまた限界が近い。

 額から流れる出血は止め処なく、擦過傷は白磁の肌を埋め尽くす程。乱れた髪は無造作に踊り狂い、身に纏うフードも端々に穴を穿つ。

 背を丸め、力なく垂れ下げられた両腕は戦士の構えではなく、飢えた獣のそれを彷彿とさせた。

 血と涎が混ざり合った液体を僅かに開けられた口から垂れ流す様は、最早意識の喪失を疑う程。二本の足が今も地面に対して垂直を保っているのが奇跡だと、そう確信を抱くまでに。

 グゲも獲物の衰弱具合に警戒の色を緩め、徐々にだが距離を詰めるだろう。


「……」


 半開きになった真紅の眼差しに、光が灯っていなければ。

 アレはまだ勝算を見出している。現状のどこになのかは不明だが、勝つ算段を有する者の瞳をしている。

 故にグゲは気配を隠し、姿を見せることないままにムクロドウジとの距離を詰めた。

 そして大きく右腕を振り上げ、巻き上がった砂塵ごと絶死の鉄槌を振り下ろす。

 一秒と経たず、少女の肉体が地面の染みとなる寸前。


「とらえた」

「ッ?!」


 不意に、不可視だったはずの視線が交差した。

 刹那。鞭の如く振り上げられた右腕につられ、金棒が腕を弾く。

 突然の反転攻勢にグゲの爪が剥げ、内から零れるは鮮やかな色味を秘めた血。

 反撃に僅かな動揺を見せるドラゴニュートへ、更にムクロドウジは腰を回し、足裏に力を込めて跳躍。遠心力を加えて振るわれた左の爪が肉を抉り、引き裂く衝撃で血痕が地面に飛び散る。

 衝撃で砂塵が吹き飛び、観客の視界を潰す。


「迷彩……いや、光の屈折か。ま、傷がついた後ならどうでもいいか」


 各々が短い悲鳴を上げる中、グゲは切り裂かれた傷痕を隠そうとする気配もない。皮膚に作用する何らかの手法を用いていたのか、夥しい出血が遅れて透明なはずの巨躯を濡らす。


「馬鹿な、いや……!」


 魔力を用いた迷彩に気づく切欠などないはずだと否定を口にするグゲだが、直後に一つの可能性が脳裏を掠めた。

 先の砂塵。

 ムクロドウジが癇癪を起こしたとばかりに判断していたが、もしもアレが隠蔽された姿を特定するための撒き餌だとすれば。四肢の動きに連動して舞い上がる砂塵を起点に、居場所を特定する策だとすれば。

 己の失策を恥じる時間を得るべく、負けじと迫る相手を払い落そうと左腕を振るう。

 が、微かに付着した血痕を起点に身を捻り、狂笑を張りつけた鬼族は掠める程度に被害を留めた。

 そして鮮血に濡れた爪が空を裂き、喉元へと迫る。


「父上……!」


 一早く目を開いたグゴが安否を呟く直後。

 喉元を抉る一撃が、闘技場に鮮血をばら撒いた。

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