第30話『向き合うは、大将二人』

 黒の森と山岳地帯の境目に位置する平地。

 鬼族とドラゴニュートによる決戦の舞台たる地には今、一つの決闘場が完成していた。

 尤も柵の類すらもない、強いて言えば互いの戦力そのものが決闘者から逃走の選択肢を奪う役割を果たす簡素な代物だが。

 そして、円形に囲っているのは純粋に決闘を見学する者だけではない。


「カスミッ。返事をしろ、カスミッ!」


 円を為す僅か一辺。彼我の戦力差で語れば八分の一程度の役目を果たす鬼族きぞくでは、脇腹と首に折れた槍を突き立てた鬼が横になっていた。

 カスミと呼ばれた鬼の横には、彼へ幾度となく声をかけるオボロの姿。首元にネックレスとしてぶら下げた友の角を揺らし、同胞の意識が途切れぬように叫びを上げる。


「おい、誰か二人で拠点まで運べッ。アイイシなら医療の心得がある。狼牙ろうが、頼めるか?」


 スレイブが指示を出すと、側に座していた風牙一族の長は目つきを鋭利に研ぎ澄ます。


「貴様の小間使いになった覚えはない。葬牙そうが、お前が運べ」

「へいへい、分かりましたよっと」


 長に命じられ腰を上げたのは、先の戦いで戦死した駿牙しゅんがとは異なる白と黒の斑模様の毛並みを持つ狼。

 どこか気怠い雰囲気を持った葬牙は、長に対するものとは思い難い態度で返事をする。しかし指示には従順のようで、血に濡れた鬼族の同胞で毛並みを汚すことにも抵抗はない。


「俺も行くぞッ。ホラ、カスミ、まだ助かるぞ!」

「そうやって声はかけ続けろよ!」


 慌ただしく負傷者を運搬する彼らにも、傷は少なからず蓄積している。仮に決闘を反故にしてドラゴニュートが一斉に攻め立てれば、然したる労力もなく鬼族を壊滅させられるだろう程に。

 一方で、鬼族の様子を眺めるグゴは周囲のドラゴニュート達の手で全身に薬草を煎じた液体を塗りたくられている。

 動ける同胞の中で比較的傷が浅く、必要のない者が率先して簡単な治療をして回る光景は互いに同じ。しかし、グゴはその眼光に大きな違和感を覚えていた。


「すげぇ、流石はグゴ様だ。あんな染みるのを塗ってるのに悲鳴の一つも上げやしねぇ……」

「おい、貴様は父上と共に後方に展開していたな?」

「え、まぁ、はい」


 不意に声をかけられ、治療の手を止めるドラゴニュート。

 その瞳には呟いていた内容を聞かれたのかと、僅かな不安が芽吹いていた。しかし、グゴにとっては彼の小声は大した物事でもない。


「そこにいた女は、自分こそが大将だと声高に主張していたんだな?」

「えぇ、間違いなく」

「ならば、奴は何故部下の負傷に意識の一片も割かない?」

「それは……何故でしょうな?」


 グゴの零した疑問は、決闘場の端でただ正面を見据えるムクロドウジへと注がれていた。

 そして、彼女へ近づく影が一つ。

 先程まで鬼族の周辺を飛び回っていたスレイブが、続けてまだ幼さを残す大将へと近づいていた。


「おいムクロドウジ、決闘ってどういうことだよ?」


 彼が零した疑問は至極当然のもの。

 正面から激突すれば敗北は必至。故に初動で混乱を促し、全軍で穴を突くように突撃して大将首を狙う。

 ムクロドウジには策があると聞いて採用した作戦ではあったが、まさか策が互いの大将による一対一の直接対決とは想定外にも程がある。


「亜人種間の抗争だ、一番強い者の主張に従うのは自然な流れだろう?」


 スレイブは知らないだろうがな、と付け足す少女はどこか得意気で、表情にも余裕の程が伺える。

 しかし、彼女の余裕とは裏腹に少年は既に肝を幾つも冷やしている。

 もしも立案の段階で決闘に持ち込むのが目的と知れば、スレイブは決して首を縦には振らなかった。それは国家未満の勢力間に於ける常識を知らなかったのも一つだが、より大きいのはムクロドウジへの負担である。

 視線をドラゴニュートへと向ければ、そこには周囲と比して一回りは大柄な巨躯を有する存在感。老獪な雰囲気を纏わせる、古強者というのが相応しい男が立っていた。

 彼が大将であることは疑う余地はなく、そしてムクロドウジが彼に勝てると確信する程の盲目でもない。


「策ってのはもっと確実な手段だと思ってたぞ」

「戦に確実も何もあるか。人間の子供でもナイフを握れば、あのトカゲを殺す可能性は生まれるぞ」

「それは屁理屈だろ……」


 嘆息し、頭を抱えるスレイブの不安などお構いなしに、ムクロドウジは好戦的な笑みを浮かべる。

 ドラゴニュートの首魁と対峙するのを待ち侘びているのは明白で、ともすれば一対一で得物を交えることこそが目的だったのではないかと疑問を抱く程に。

 そんな彼女の視線に入り込むのは、何人かのドラゴニュートに肩を貸されて歩むグゴ。


「ハッ、なんだ死に損ないへの叱責か」

「んな訳あるか……」


 額に手を当て、呆れた声を残すスレイブ。

 実際に刃を交えた彼からしても、グゴの実力は極めて高度。種族特性と彼の特異性に頼った側面はあれど、それに極限まで追い詰められた彼が指摘できるものでもあるまい。

 そしてグゴと首魁に何らかの関係があることも、薄々と感じ取れる。

 鬼族かもしくはムクロドウジ個人がかはともかく、人の機敏に疎い者ならば話は変わるが。


「……」

「……!」


 遠目で語る二人の内容は不明。

 だが、煎じた薬草を塗りたくられたグゴの目尻には大粒の涙が幾つも浮かんでいるのは伺えた。


「いったい何を伝えている……?」


 種族間の常識が変われば、内容も相応の変化を見せる。

 顎に手を当て、首を傾げるスレイブ。

 だが、答えの予想を組み立てるよりも早くドラゴニュートの一体が天高く雄叫びを上げる。

 大気を震わす咆哮は、決闘の時が着々と近づいている合図。


「それじゃ、サクッと狩ってくるさ」


 肩を回して円陣の中央へと歩みを進めるムクロドウジ。

 今更決闘そのものに異議を唱えられる訳もなく、そも長同士で決定した趣向に口出し可能な者などいる訳もない。

 だからこそ、スレイブは声援代わりに一つの忠告を送った。


「あのデカいのは使い魔でも発見できなかったんだろ。何か厄介なネタを持ってるはずだ」

「策謀ごと踏み潰せということか……分かった、頭の中に入れておこう」


 背後に立つ部下へ右手を掲げ、ムクロドウジは視線を正面に立つドラゴニュートへと注ぐ。

 鱗に蓄積した傷の数は彼が相対した修羅場の数。それを弱者の証と侮れば、次なる傷跡となるのは明白。

 好戦的な鬼族の長をして、油断できぬ強敵と口端を吊り上げた。


「鬼族王国方面部隊大隊長、ムクロドウジだ」

「ドラゴニュート首魁、グゲ……貴様に部隊を纏める長としての自覚はあるのか?」

「長の自覚? 貴様を踏み潰す準備のことか?」


 所詮力だけの獣。

 短い問答の中で、グゲは鬼族の大隊長をそう結論づけた。

 そうとも知らず、ムクロドウジは金棒を空間魔法で取り出すと巨躯の目と鼻の先へと突きつける。好戦的に喉を鳴らす様は、首魁としての自覚の欠如は明白。


「貴様に負ける訳には、いかんな」

「相手をあまり下に見ては、掲げる首の価値も落ちるというものか」

「……獣が」


 互いの思惑など知らぬと、火花を散らす。


「それではこれより、鬼族王国方面部隊大隊長ムクロドウジ様とドラゴニュートの首魁グゲ様による決闘を開始します!」


 双方距離を取ると、得物を構え。

 かたや好戦的な笑みを浮かべ、かたや冷ややかに敵を見据える。


「始めッ!!!」


 天高く掲げられた声は、原初の戦いの開幕を告げた。

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