第29話『求むるものは、決闘』

 スレイブとグゴが己が得物を交え、雌雄を決していた頃。

 地上、黒の森と山岳地帯に挟まれた平地は混沌の坩堝と化していた。


鬼族きぞく総軍ッ、私に続けェッ!!!」


 大気を震わす咆哮を上げ、得物たる金棒で正面の死線を指し示すは一人の少女。左腕を異形へと変換し、時折稲光を纏わせる獰猛なる存在。

 鬼族王国方面部隊大隊長ムクロドウジは風牙一族の背に乗り、フードをはためかせて先を急ぐ。その背後にはスレイブが降りたことで一層の加速を以って追随する狼牙ろうがに彼女と同様に風牙一族の背へ跨るオボロ、後方には裸足で後を追う鬼族の集団が続く。

 しかし、彼女達が悠々と先を進める時はすぐさま終わりを告げる。


「鬼族め、突っ込んできたぞッ。返り討ちにしろ!」


 戦場を裂く雷鳴がグゴの手で妨げられ、思うように戦果を上げられなかったのか。負傷を押して身体を起こしたドラゴニュートが次々と左右から襲いかかる。


「旦那ぁ、これやっぱ無茶ですって?!」

「それが、どうしたッ!」


 群がるトカゲの軍勢へ金棒を振るい、爪で粗末な鎧を抉る。

 常人の担う剣程度であらば、素の鱗も相まって充分なのかもしれない。が、人間を遥かに超越した身体能力を有する鬼族を相手取るにはあまりにも分が悪い。

 舞い散る鮮血が白磁の肌を塗装し、駿牙しゅんがの体毛にも朱を乗せる。

 真紅に染色された街道を進む者は、大隊長を除いてただ一人。


「突出し過ぎだ、孤立したいのかッ?」


 問いかけるは十重二十重の刃に爪牙、尾を俊敏な身のこなしで躱し続ける風牙一族の現当主たる狼牙。

 彼女達に遅れて進軍していた鬼族は左右から迫るドラゴニュートの軍勢によって足止めされ、各個戦闘を余儀なくされていた。

 七倍近い戦力差は雷鳴による先制攻撃を以ってしても覆すことが叶わず、むしろ半端な消耗が敵の戦意をより高次のものへと引き上げる。中には得物を喪失した者も散見されるが、己が肉体にこそ信を置く一族が相手では何の慰めにもならない。

 狼牙の問いかけにムクロドウジが振り返ることはない。

 ただ、左右より迫るドラゴニュートへの迎撃に専念していた。


「ムクロドウジッ、戦の高揚に身を委ねるなど大将の所業ではないぞッ!」

「うるさい、だったらここで引き返せば形勢が変わるのか?!」

「同胞を切り捨てた勝利に価値などあるのか?!」

「ちょちょちょっ……狼牙の旦那も落ち着いて下さいっすよ。今はそれどころじゃ……!」


 言葉を遮るように、両者同時に跳躍。

 半瞬後に刺突される槍の切先が空を切り、正面より構えたドラゴニュートは驚愕に目を見開く。


「今のをッ?」


 動揺の言葉を吐く直後、眼前に迫った金棒の鋭利な棘が視界を埋め尽くす。

 頭蓋も鱗も、鬼の膂力の前では無力同然。

 尾の如く弧を描く鮮血を引き連れ、ムクロドウジは疾走を再開する。

 やがて狼牙と共に到達するは、山岳地帯へと続く坂道。当然、視界の先にはなおも戦場へ到達せんと歩を進めるドラゴニュートの大群。

 そして、その最後尾には彼らと比して一回りは大柄で巨躯のドラゴニュート。顔を筆頭に各所に刻まれた皺は肉体的にも限界が近いという直感と、グゴを前線に立たせる程の地位を推測させる。

 目標を発見したことで、犬歯を剥き出しにした凶暴な笑みを携えるムクロドウジ。

 距離は遠く、立ちはだかるドラゴニュートもまた多数。

 だが。


「目標は近い、飛ばすぞ駿牙!」

「了解っす、旦那ぁ!」


 少女のかけ声に応じ、漆黒の体毛がより激しく風にたなびく。

 一跳びで十数メートルを駆ける駿牙の速度は、看板に偽りなしとばかりに戦場を突き進む。背後から飛ばされる狼牙の忠告さえも置き去りにして。

 弾ける地面には、血の残滓。

 加速度的に迫る風牙一族と少女にドラゴニュートも無策ではない。


「調子づくなよ!」


 上空へ飛び上がるとドラゴニュート達は俯瞰して狼の軌道を捕捉し、速度から推測を交えて先を抉る。

 多くは彼らを捉え切れず、遥か後方を穿つばかり。

 しかして、如何せん数が多い。


「おぉっとッ!」


 着地点のすぐ側の地面が弾け、通過するは木製の槍。

 二〇を数えた辺りから攻撃の精度が向上し、飛礫が駿牙の身体を掠る程になっていたのだ。

 今はまだ回避も叶う。

 だが、数が更に増した時にも同様の成果を上げられるか。

 逡巡は一瞬。駿牙は転身すると、再度浮上しようと試みるドラゴニュート達と相対する。


「何をやっている、駿牙ッ」

「ここらで奴らを吹っ飛ばすっすよ……風力絶塊ッ」


 祝詞を唱えた魔狼が顎を開くと、一つの球体に沿って幾重にも描かれた魔法陣が回転。色なき球体を圧縮し、先に映るはずの口内を歪める。

 元来の比率を超えて押し込められた大気が反発せんと魔法陣に干渉するも、破壊するには威力が足りず。代替として鳴り渡る耳をつんざく悲鳴染みた音が、搭乗者たるムクロドウジに危機感を抱かせる。


「待て、奴らに生半可な魔法は……!」

風魔圧塊砲エアロ・ブラストッ!」


 少女の声を遮り、臨界を迎えた魔法陣が崩壊。

 直後に空気と魔力の化合物が台風を彷彿とさせる衝撃となりて、正面より迫るドラゴニュートの肉体を抉り上げた地面ごと飲み込む。

 空を埋め尽くさんばかりに舞い上がる土埃と反動で足元に刻まれた轍が魔法の破壊力を物語り、喉を唸らせる駿牙が会心の威力であると誇らしげに主張した。

 しかし、だが。

 戦場で足を止める愚行へ、ムクロドウジが叱責を飛ばす隙すらもなく。


「死ねェ!」

「えッ?」

「駿──!」


 土煙を裂き、愚直に刺突される尾が愚かにも開かれた口を貫く。

 不自然な硬直は極僅か。

 痛苦を味わう暇もなく、一撃の下で絶命した魔狼の身体から力が抜け落ち、膝から崩れた。

 寸前で背を蹴り上げ、跳躍したムクロドウジが見たのは多量の血を吐き出して坂道を穢す狼の骸。念のためと爪や尾、木槍が身体を貫く度に垂れ流される赤はただでさえ薄い生存の可能性を砂塵にも劣らせた。

 着地を果たした少女は舌打ちを一つ。

 追撃の構えを見せるドラゴニュートへ背を向けると、雷をたなびかせて疾走を開始する。

 余裕の姿で悠々と進軍する老獪なるドラゴニュートの首魁は、すぐ側にまで近づいているのだ。今更後退の選択肢など、眼中にも入らぬ。

 肥大化した左腕で地面を殴りつけ、反動で距離を稼ぐ。

 無造作に振るう金棒で群がる集団を牽制し、綻ぶ包囲網へ身体を捻じ込ませる。

 そして眼前には一際巨躯のドラゴニュートと、彼を守護する数人の同胞。


「グゲ様お下がりを!」

「ここは我々が!」

「待て、ここで直接大将首を取ろうと言う訳じゃない」


 槍の切先を向ける一対の近衛に対し、ムクロドウジは直接戦闘の意志はないと金棒を地面に突き立て、同時に肉体強化の魔法も解除。稲光を残して消え去る爪が、彼女の言葉に現実味を与えた。

 敵の眼前にあるまじき無防備に怪訝な顔を浮かべる近衛は互いに顔を突き合わせるも、すぐに意志を眼前の鬼族へと引き戻す。


「我々に話し合いに応じる意思はない」

「利点もな」

「徒に互いの戦力を擦り減らすのが所望か?」

「待つのだ、ベジにゾビ」


 槍を突き出し戦意を漲らせる二人を制し、背後に立つ老獪なるドラゴニュートは一歩踏み込む。

 グゴと比してなおも特徴的な体躯は、種族の垣根を超えて印象を深めさせる。鬼族であるムクロドウジにも分かる、鮮明な差異として。


「尤も、ただの謝罪であらば対価は高くつくがの」

「対価、か……ふっ、貴様らの軍勢から八割を道連れにできるのならば、つり合いは取れるな」

「八割? 何の冗談だ」


 彼我の戦力差はグゲも把握している。

 彼女の弁を信じるならば、僅か一〇鬼程度の敵を相手に七倍近い同胞の大半を喪失することとなる。

 非現実極まりない計算式に喉を鳴らすと、血の如き眼差しが鋭利に睨む。


「たとえば私の部下が抑えている竜腕オリジン・アーム、だったか……アレの価値はそちらではどうだ?」

「む……」


 ムクロドウジの言葉が挑発であることは明白。

 だが、グゲが覗く視線の先では彼女の言葉を証明するかの如く、足に甲冑を纏った少年が彼の息子と火花を散らしていた。

 膂力で容易く粉砕される剣を空間魔法で次々に補充する戦法は、武具の使い捨てがしやすい性質も相まってグゴに苦戦を強いている。正面切っての真っ向勝負を好む武人肌の彼には、単なる種族特性に収まらぬ搦め手への対処に遅れを取っているようであった。

 だが、彼の苦戦はあくまで局地的。

 大局的に押しているのは数で勝るドラゴニュート。


「……たかが一体を抑えてご満悦か、貴様は?」


 動揺を顔に出せば、つけ入られる。

 歳に比例した数多もの経験則がグゲの顔をポーカーフェイスで貫かせた。

 一方でムクロドウジは肩を竦め、あくまで自身の優位性を誇示する。


「されど一匹、とも取れるな。何せ眼前に立つ敵の総大将を差し置いて見る相手だ」


 ただの兵隊ではないだろう。

 見透かしたような態度は、単騎で大将を含む敵集団と相対しているものとは思えず。むしろ交渉を優位に進めようと強気な態度を堅持する。


「で、それがどうした?」

「貴様と私、互いで戦の趨勢を賭けて決闘をしないか?

 徒に頭数を減らすよりも余程建設的だと思うが?」

「ふむ……」


 即答は、控えた。

 わざわざ戦力に劣る相手が提示した条件に則る必要など、何一つしてありはしない。

 素直に戦力差を盾に磨り潰していけば、不確定要素の介在する余地のない勝利は確実。多少の痛手はあるかもしれないが、ドラゴニュートの本拠には予備選力や後方担当も充実している。

 取り返しは、つく。


「どうした。早く首を縦に振らないと、無駄に兵が死ぬぞ」

「貴様ッ、言わせておけば!」


 眼前に突き出された切先は、ムクロドウジの鋭利な眼差しを反転して映し出す。

 後少し押し込めば、白磁の肌から鮮血が噴き出すのは明白。だが、少女は動揺する仕草を見せず、一瞥する余裕すらも伺えた。

 故に叱責するのは、グゲ。


「恥を掻かせるつもりか?」

「も、申し訳ございませんッ。ですが、奴の狼藉はッ」

「そちらが竜腕とやらの戦闘ではなくこちらとの交渉に尽力さえすれば、すぐに終わる話なのだが」

「貴様ァッ!」

「止めいッ!!!」


 大気が揺れ、大地が震撼する。

 首魁の言葉に近衛二人は姿勢を正し、ムクロドウジへ向けられた槍は天高く突き立てられた。


「さぁ、どうする。むざむざ部下を救う手立てを見捨てるか、それとも懸命な決断を下すか」

「うむ……」


 グゲは視線を正面に立つ少女から逸らす。

 しかし。


「おい、今話しているのはこの私。鬼族王国方面部隊大隊長ムクロドウジだ」


 左腕を視線の先へ伸ばすことで遮る。


「さぁ、早く答えろ。さぁ!」

「そう、だな……ならば、応じようか」


 絞り出す声音を前に、望んでいた答えを得られたと少女は口角を歪につり上げた。

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