第28話『混血体と竜腕、決着の時』

 鍔競り合うは数刻。

 空中では踏ん張りが効かないスレイブの肉体は、弾き返されたかのように地上へと帰還を果たす。

 上がる土煙に意識を割かれる者など、一人たりとも居はしない。

 誰もが眼前の敵と矛を交え、屠るべく最善を競い合う。怒号と悲鳴と断末魔が極上の悲劇を奏でる地獄に合って、楽団に所属しない異音は皆無。


「チッ……竜種とやり合うには安物か」


 スレイブは手に持つ刀身の半ばからへし折られた剣を見つめる。

 セッカイの店にガラハドを預けている間、代理として用意した品物であり、抜くのに不便が生じるアロンダイトと比較すれば粗悪品にも等しい。が、それでも並の相手ならば充分とスイガンからは太鼓判を押された代物であった。

 それが、たったの一合にすら耐えられぬとは。


「竜種の腕は伊達じゃないってか……」


 すぐさま意識の注ぐ先を別の存在──土煙を割いて突き出された鋭利な爪へと変更。

 首を抉る軌道へ素早く盾を割り込ませると、下から掬い上げて体勢を崩した。


「己が肉体を誇れぬとは……武具に頼らざるを得ない脆弱さを晒すに等しいなッ」

「黙れよ、トカゲ!」


 空いたグゴの脇腹へ、苦し紛れの刀身を叩きつける。が、有効打とは言い難く、更なる損壊で刀身がガラス同然に砕け散った。

 即座に右横から振るわれる尻尾が強かに身体を打ちつけ、スレイブは肺から空気を吐き出した。

 地面を転がるに数度。距離が離れた所で体勢を立て直し、左腕を合わせた三足で勢いを殺す。風にたなびく灰髪を、頭を振って定位置へと戻した。


「その盾。いつかの戦いで用いたものより数段劣る品のようだが、戦の用意も性急に奇策へ出たのか?」

「抜けない名刀より抜ける租刀だ。知らねぇのか」

「爪牙に頼れぬとは。同情しよう」


 先の落雷を防ぐ際に焼失したのか、グゴの手にハルバートの姿はない。それでも、竜腕さえあれば問題などないとばかりに距離を詰める。

 事実、生物としての性能差を押しつけられて不利に転じているのは紛れもない事実。

 故にスレイブは、盾の表面を撫でる。


「汚れを払うか……死ぬ覚悟ができたようだなッ!」

「誰がッ!」


 叫び、右手をかざした先に浮かぶは、薄紫に輝く魔法陣。

 吸い込まれる右腕が何かを掴み、引き抜くと同時にグゴへと叩きつける。

 甲高い衝突音が鳴り響き、魔竜は驚愕に目を見開いた。


「剣が、修復したッ?」

「そうじゃねぇ、よッ!」


 動揺で力が緩んだのか、押しが弱くなった隙を逃さずにスレイブは腕を振り抜く。

 弾かれ飛んだグゴが体勢を立て直すと、距離を取った状態から相手の手に握られている得物を注視した。

 鈍色に輝く刀身を持つ長剣。先程へし折った代物と寸分違わぬ形状だが、左手に伝わる感触は幻覚の類ではないと雄弁に物語る。

 距離を詰めて追撃を仕掛けるか逡巡していると、先に動いたのはスレイブであった。

 足を覆う甲冑に魔力が集中、足裏で炸裂した推進力が地面を抉り、彼の肉体を宙へと浮かべる。勢いがついたままに振り下ろされる剣を左腕の一振りで一蹴すると、再度はばたく。


「様子見を嫌うか……なれば追撃よ!」

「俺が跳べるとは思わなかったかぁ?」

「飛ぶというものは……!」


 二度、三度。

 両翼が風を掴む度、グゴは鋭角的に軌道を変える。

 他のドラゴニュートよりも大型の翼は広大な飛膜をもって推力を増し、竜腕オリジン・アームで重量が増しているグゴの肉体を自在に舞わせた。

 あくまで重力に従って落下しているだけのスレイブの視界から外れるなど造作もない。

 背後を取ることも。

 側面に迫ることも。

 どこから突撃を仕掛けるかなど、掌の上。

 首を左右に振って、腰から上を捻るばかりの相手に。空中のドラゴニュートを捉えることは不可能。

 充分な攪乱は果たしたと、グゴは空中で静止すると一気に加速。揺れる視界の中、スレイブとの距離を詰めた。

 狙うは背後。

 背中から爪牙を突き立て、臓腑を抉りて首級を上げよう。


「こういうものだッ!」


 音の壁を穿ち、振るわれる爪はしかし、致命の一撃とはなり得ない。

 代わりに鳴り響くは甲高い金属音。


「ハッ。後ろから来るたぁ、随分と狡い奴だなぁ!」


 舞い散る火花は一瞬。

 爪と鍔競り合う刃は大きくひしゃげ、もう一押しすれば容易に破砕されそうな程に。

 だが、不敵な笑みを浮かべるスレイブはさながら勝利を確信したかの如く。


「……戦略に優れるとッ」

「あッ、何を……?」

「言って貰おうか!」

「テ、メェッ……!」


 剣を軸に回転して上下を逆転すると、グゴは大翼をはためかせる。

 突然の転身に意図を察するスレイブだが、こと空中に於いてのアドバンテージは相手が握っていた。

 風を一身に受けた肉体が急降下し、流星となりて戦場へと落下。

 加速で肺を圧迫され、少年は空気を吐き出す。脚の甲冑から圧縮魔力を放出して対抗しようにも、再使用に足る程の蓄積には至らない。

 軽い破裂音で空気を僅かに押し出すばかりで、肉体は微動だにしないことが雄弁なる証拠。

 苦虫を噛み潰す間にも急速に地面は距離を詰めて来る。

 止むを得ず、腕で盾の表面を撫でるとスレイブの背後に薄紫の魔法陣を展開。

 直後に暴力的な力で叩きつけられ、地面に無数の亀裂が走る。


「かッ……はッ……!」


 血反吐を吐き出し、衝撃に身体を丸める。が、スレイブの眼光だけは絶えず竜腕の先にあるグゴを凝視していた。

 常人ならば致命に至る一撃を受け、なおも戦意を滾らせる少年の姿に竜の近縁種は高揚と共に疑念をも抱く。

 衝撃を緩和する手段はないはず。しかし、現に混血体の少年は強かに打ちつけたとは思えぬ戦意をグゴへと注ぐ。翳りなき闘争心は敵手として好ましいものの、その出所が不明とならば話も変わる。

 右腕を振り上げ、灰髪を携えた頭部を粉砕する。


「つッ……!」


 そう判断したものの、左腕に走った鈍痛が思考を妨げた。

 苦痛の先には、先程の上級魔法を防いだ際に穿たれた傷口へ指を突っ込む不届き者。


「ご自慢の腕によぉ……随分と、ヒッデェ傷が残っちまったなぁ!」

「粗野な獣がッ!」


 痛む左腕を押して振るい、スレイブを弾き飛ばす。

 彼が落下した亀裂の走る地点に転がるは、幾らかの金属片。

 落下地点に偶然得物が転がっており、それが緩衝材の役割を果たしたか。否、偶然にしても出来過ぎている。

 それに不均一な金属片は、折り重なって設置されたことで衝撃が上方に集中した結果。下方へ意識を向ければ、多少刀身が曲がった程度で鈍器としてなら再利用が可能とすら思えた。

 如何なカラクリが為す技か。

 左から迫る殺気が、グゴの思考を妨げる。


「クッ……!」


 咄嗟に左腕を盾にして防御姿勢を取るも、飛来する得物を一目して動揺が走った。

 二本の剣。

 刺突せんと駆け抜ける刃がグゴの腕と衝突して砕かれ、もう一振りが右の翼幕を掠める。傷口から走る痛痒に顔を顰めるも、更に投擲される刃が反射的な回避を促した。

 殺意の籠った眼光がスレイブの展開する魔法陣へと注がれる。


「空間魔法とやらの術式を刻んでいたか。面妖な絡繰りを……!」

「おっと、遂に気づいたかッ!」


 言い、スレイブが引き抜くは投げ捨て、破砕され、なおも数刻前と微塵も変わらぬ品質の剣。

 タネが分かれば何ということもない。

 混血体キメラの彼は剣が破損ないし投擲する度、刻みつけた術式で発動する空間魔法を介して別の地点から随時補充しているだけの話。ただ複製したかの如き品質が、目を曇らせたに過ぎない。

 そして、盾にネタがあるのならば対策も容易い。


「ならばその盾を粉砕するのみよ!」


 両翼で風塵を巻き起こし、突貫。

 微かに斬られた右翼から血が舞い散るも、飛翔に影響を及ぼす程でもない。

 瞬く間に詰められた彼我の距離に、振り下ろすは竜腕の所以たる左腕。

 地を割る一撃を転がって回避した怨敵へ腰を捻り、しなる尾で追撃。直撃、という程ではないが、感触は剣を砕いて身体を打ちつけている。

 破片が宙を舞う中を、更に距離を詰めて接近。

 牽制の尾による刺突を素早いステップで回避されるが、本命たる左腕は盾を掴み取る。


「さぁ、どうするッ。己が得物を投げ捨て果てるか、もしくは得物と共に心中するかッ?」

「ッ……!」

「さぁッ!」


 威圧的に押し込めば、竜種と相対し得る程に強度が優れる訳でもないのか。軋み、悲鳴を上げていた盾が僅かに凹む。

 盾に刻まれた術式へ影響が起これば、グゴとの差を埋めていた空間魔法も封じられる。歯を食い縛って踏ん張っているスレイブも、実情は歯を食い縛るしか為せる抵抗がないということ。

 そう早計したグゴへ、少年は不意に口角を吊り上げた。


「……ハッ」

「走馬灯でも見てるのかッ?!」

「何の話だよ」


 足へ力を込め、スレイブは充填された魔力を開放。


「なッ?」

「俺はまだなァ……!」


 瞬間的に開放された圧縮魔力が殺人的な加速を以って互いの膂力差を逆転させ、スレイブの身体を浮遊させる。

 しかし、驚愕にグゴが目を見開くのは極僅か。

 一時的な力ならば、推進力を失ったところで叩きつければ済む話。

 その錯覚が、スレイブに盾の裏側を撫でるという行為を許可する。


「アイツに恩を返せてねぇんだよッ!!!」


 刹那。グゴと盾の間に薄紫の魔法陣が展開。

 蓋の空いた壺よろしく、流れ込むは剣の山。

 一つ一つは人間が振るえるよう、極端な重量をしている訳ではない。ドラゴニュート、それも突然変異の左腕を持つグゴならば数本纏めて持ち上げることも容易い。

 だが。

 だが。

 だがしかし。

 それが数十、数百にも及べば話も変わる。


「な、んだ……これはッ……!」


 加速度的に増していく左腕への負担に、傷口から瀑布を思わせる量の血が噴き出す。

 指の隙間から零れ落ちる剣は刃の削れ、折れや刃毀れの目立つ不良品。もしくは戦場で回収され、本来なら一度融かした上で再度新造するための品々。

 無論、自由落下に任せた一撃などグゴの肉体に然したる痛痒を与えるには至らない。

 それでも数が増せば、投げられた石が岩壁を粉砕するように。

 あるいは水滴が下の岩を貫くように。


「グッ、が……が、あぁぁぁあぁぁぁッッッ!!!」


 やがて肘が曲がり盾が眼前にまで迫る。落下する剣も数を増す。

 足元に転がる不良品の数など、数えるのも馬鹿らしい程に。鮮血と亀裂に溢れた戦場を染め上げる主役だった刃は、かつての栄光を取り戻すかの如く赤に濡れる。

 その意味が、自らが腕を下す意味を重々理解しているグゴは叫び、自身を鼓舞した。

 大気を震わす咆哮はしかし、対の方向から力を込めて引き抜かれる刃が上げる断末魔の叫びにも等しい。

 限界を迎えた一点を起点にへし折れる、最期の叫びに。


「落ちろォッッッ!!!」


 駄目押しの力が追加され、グゴの肉体は地面へと叩きつけられる。

 無限に湧き立つ刃がドラゴニュートの鱗を刺激し、僅かにでも隙間を見つければ貪欲に掬い上げて引き剥がす。

 波を止め、魔法陣を閉じるとスレイブは盾を持ち上げる。

 然したる抵抗もなく叶った先には、全身から血を流すグゴの姿。


「俺の勝ちだ。俺達の勝ちだ」

「戦は、まだ……終わらん。我が父が、我が同胞が……貴様らを……!」

「ハッ、あの世で言ってろ」


 改めて展開した魔法陣から剣を引き抜くと、グゴの首筋へと当てる。

 戦の趨勢はともかく、彼自身に抵抗の意志はないということか。首を動かす仕草さえも見せない。

 なれば、せめて首を刎ねて痛苦の辱めから解き放つことが敵手としての礼節であろう。

 大きく振り上げ、全力で振り下ろす。

 刹那。


「戦を止めろッ。大将による決闘が始まるぞッ!!!」

「……ハァ???」


 スレイブの予期せぬ間抜けな驚愕が、戦場中を駆け抜けた。

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