第27話『鳴り渡るは、金属音』

「結局というべきか、それとも言った通りというべきか」


 鬱蒼とした黒の森を進む道中。風牙かぜきば一族の背に乗り、ムクロドウジは一人思案する。

 スレイブの言葉に応じた狼牙ろうがが如何な話術で説得を試みたのか、それは不明である。

 当初から主張していた三匹を厳守したのか。もしくは更なる追加を求めたのか。或いは自身を除く二匹を全力で説得したのか。

 ともかく現在、ドラゴニュートと矛を交えるべく進軍する鬼族きぞく、そして混血体キメラのスレイブに合わせて歩む風牙一族は三匹であった。

 宣言通りとはいえ随分と少ない増援に不満がない訳でもないムクロドウジであったが、当初の口約束を遵守したとも取れるが故に口に出すことも躊躇われる。

 むしろ、口に出すべき不満は別にある。


「しかし、何故私ではなくスレイブを乗せているんだ。狼牙は」


 普通なら王国方面部隊に於いて最高責任者の大隊長である自身を乗せるべき風牙一族の長は、ムクロドウジではなくその従者ともいうべきスレイブを背中に乗せていた。

 彼女の零した不満が聞こえたのか、すぐ側を歩く狼牙は口を開く。


「貴様よりもスレイブの方が話が通じるからな。信じるに値する者を乗せるのは必然だ」

「それはどういう意味だ?」


 信じるに値しないムクロドウジを乗せるのは嫌だ。

 露悪的な見方抜きに解釈しうる言葉に、ムクロドウジも苛烈な眼差しと口調で応じる。舐められたら終わりという幼少からの経験則が、一応の同盟関係への姿勢を強固とする。

 一触即発の緊張した空気に、割り込むのは一人と一匹。


「互いのトップが同時に落ちたら、それこそドラゴニュートに負けるだろって意味だよ」

「まま、気にしないでくんさいな旦那。そこの長よりも俺の方が足は早いっすよ」


 スレイブの言葉は釈然としないものを残すが、彼女を乗せている風牙一族のものにはなるほどと相槌を返した。

 今回の作戦に際し、足の素早さは重要な要素を占める。

 迅速に切り込み、作戦を遂行することが肝要であり、一端速度を失えば数で勝るドラゴニュートに磨り潰されるのは想像に難くない。如何に種族特性で勝るといっても、倍では効かない戦力差を覆す程かと問われれば、答えは否。


「お前、名前はなんだ?」

「へへ、あっしは駿牙しゅんがってもんですぜ。以後、御贔屓に」

「駿牙か、お前はよく分かっているみたいだな」


 頭付近を撫でてやれば、照れくさいのか駿牙は黒毛を僅かに揺らして身動ぎする。尤も、背中を掠める程に激しく尻尾を振っていればどのような感情に起因した動きかなど明らかだが。

 客将のつもりで招いているアイイシを拠点に残して現在、鬼族は全戦力を以って進軍している。

 事前に使い魔を介してドラゴニュートの進行速度は凡そ把握しており、横槍が入らなければどこでかち合うかの検討もついていた。


「ムクロドウジ、敵の様子はどうだ」

「ちょっと待ってろ、今確かめる」


 スレイブの問いに左目を覆い、ムクロドウジは意識を閉ざした目蓋へと注力。

 数秒と経たずに魔力のリンクを確立、使い魔の視界を掌握する。

 今回選択した小鳥の使い魔には定期的にドラゴニュートの軍勢上空を旋回し、変化があれば即座に指示を飛ばすように設定済み。それが無反応な以上、特段すべきこともない。

 荒れ果てた岩肌を下り、踏み締めるは獣の足。面で展開するためか、一定の高度を維持して追従する軍勢も多い。

 握るは木製柄が安価な槍。身に纏う鎧も決して高価な代物ではなく、真に重きを置くのは自らの屈強な肉体であると誇示するかの如き軽量さである。

 ドラゴニュート。

 黒の森近辺で巡回していた部隊やグゴの同胞。


「さっきまでと同様の速度で移動中だな。このままなら、山岳地帯から降りたタイミングで衝突する。

 パッと見だが、七〇以上はいるだろうな」

「七ッ……あっしら、マジでそんなのとぶつかるんすかッ。真正面から?」

「一鬼辺り六、七体もやればいい。簡単な話だろ」

「無理っすよ!?」


 駿牙からの指摘など意にも介さず、ムクロドウジは使い魔の視界から情報を得る。

 自分達より上を取る存在がいるなど露程にも思ってないのか。もしくは、竜種の派生故に魔法方面の知識も疎いのか。

 軍勢が上空を意識している様子はない。


竜腕オリジンアームとやらは先頭集団に混じって進軍しているな。随分と勇ましいことで」

「グゴ……」


 今回の作戦に於いて、グゴの存在は重要な位置を占める。フリーのままで行動を許せば、それこそ根本から瓦解する程に。

 自然、スレイブも盾を握る握力を強めた。

 一方で、使い魔を使役する少女はもう一体の重要人物への索てきを続行。


「大将っぽいのは……どこだ?」


 後列を中心に捜索を続けるが、ドラゴニュートを率いる長は見当たらない。

 他種族から見た差異に乏しい種族というのは珍しくない。が、それでも大将ならば少しくらい派手な武具を用いているはず。

 しかし、ムクロドウジの視点で最も派手な武具がグゴの握るハルバートであり、他に目立つ得物などありはしない。

 近く森を抜け、衝突予測地点。

 少女の顔に焦燥の汗が滲む。


「どこだ……どこにいる……!」

「おい、そろそろ準備した方が……」

「ダメだッ。まだ大将が見つからない!」


 スレイブからの指摘に荒い声で返し、ムクロドウジはなおも使い魔の視界に注力する。


「ネックレスか何かが証なのか……だったらもっと近づけば……!」

「距離を詰めたら流石に気づかれるだろ」

「だが……!」

「初動を制せば相手は勝手に混乱する。そうすれば陣形なり指揮なりから大将の予想はつく。

 相手に気づく手がかりを残すことこそ回避すべきだ」

「クッ……分かっ、た」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、ムクロドウジは使い魔との接続を解除する。

 一時的に手で顔を覆うも、十秒もすれば普段通りの好戦的な笑みを取り戻していた。

 大隊長に相応しい表情のまま振り返ると、数多の血を啜った金棒を異空間から取り出し、天高く掲げる。


「王国方面軍大隊長にして、アバラドウジの子たるムクロドウジが告げる!

 この戦いは切欠に過ぎないッ。

 我ら鬼族はこの地を納め、抗う全てを薙ぎ払う。そのための一撫で、始まりの一歩だ。

 敵は所詮、数だけ多いトカゲの軍勢。彼我の実力差を、たかだか七〇程度で補えると盲信する愚物ッ。

 我らは奴らの夢を破り、その血肉を浴びる者ッ。奴らの血を以って、存分に身を清めようぞ!!!」


 ムクロドウジの演説に、派手なリアクションこそない。

 しかし、スレイブは士気の高まりをひりつく空気から感じ取っていた。

 それが大隊長の言葉だからか、或いは単に開戦の時が近づいていることを確信したからかは分からない。

 だが、狼に乗った彼女らに追従する彼らの目付きに鋭利なものが宿り、吐かれる吐息に熱が籠ったのは紛れもない事実であった。



 土煙が舞い上がり、天を覆う。

 大気を震わす地鳴りは聞く者に恐怖を覚えさせ、中には急ぎ足で地鳴りから逃げ出そうとする者も混じる始末。

 亜人種の大進行は決して珍しい光景ではない。国という形式にまで勢力を発展させられない存在にとって、最も信頼できる移動手段は自らの足なのだから。

 それは仮にフォルク王国国境近辺であろうとも変わらない。国を攻め落として自らがその地位に着こうと野心を燃やす存在は、星の数程にもいるのだから。そうした外敵によって滅んだ国もまた、砂漠の砂を数えるよりも多い。

 例外があるとすれば、彼らの進行には今回、フォルク王国は関係ないこと。

 山岳地帯の荒れた斜面を下るドラゴニュートの軍勢は今、鬼族の拠点が存在する森林地帯──通称黒の森を目指していた。

 黒の森近辺に展開していた哨戒部隊の壊滅。

 それを通じた通信魔法による挑発行動。

 ゴブドルフ連合国に於いてグゴが遭遇した二人組。

 度重なる活動に痺れを切らしたドラゴニュートは、鬼族殲滅のための進行を開始したのだ。翼の展開し難い森林という悪条件を押して、奪われたものの落とし前をつけさせるべく。

 稚児でも理解できることを。

 行動には責任が伴うのだと、奴らに思い知らせるために。


「森だ、森が見えたぞ!」


 声を上げたのは先頭集団に混じって両翼を広げる、先祖返りした左腕を持つ男。グゴ。

 揺れる視界の中に鬱蒼とした森が映ったことで士気は一層高まり、上がる雄叫びは開戦の狼煙に相応しい。

 一番槍は戦の誉れ。

 成ればこそ先頭の暑苦しいまでの士気は、ドラゴニュートの戦意がどれ程のものかの表れ。

 勇み足で速度を増す軍勢が長大に伸び、先頭が斜面を下り切る。

 地面につけば、後は決して遠い道程ではない。彼らの脚力であらば、数分もすれば緑生い茂る空間へと入り込めることだろう。

 不意に足元が青白く発光しなければ。


「──主よ、主の意思よ。主の意向告げし代弁者よ」


 臓腑の底冷えする悪寒が、グゴの身体を駆け巡る。

 彼の警戒心が伝播したのか、竜腕の硬直を目撃した周囲から徐々に動きを緩める。平地で歩みを止めるなど、弓矢や魔法に狙ってくれと宣伝するにも等しい。

 それでも、無策に突撃すべきではないという直感が、グゴの歩みを妨げる。


「主の権能を持ちて、この地を永劫に照らしたまえ。

 絶えざる光持ち、不浄なる世界を灌ぎたまえ」


 稲光が大気に瞬き、ひりつく感覚が肌に伝わる。

 悪戯に危機感ばかりが高まるも、肝心の元凶が掴めない。

 過剰に巻き散らされた余剰魔力で空気が淀み、鉛を飲み込むかの如き息苦しさを覚える。


「神咒を唱えよ、尊き名を。

 神威に呑まれよ、長く深く。

 神楽を舞われよ、讃え呼ぶべく」


 最早雷鳴と呼ぶべき光が鱗に覆われた皮膚を薄く焼く。

 下級魔法程度であらば意に介することもない、ドラゴニュートの皮膚を。

 こうしている間にも先頭集団と合流した後続は、足を止めた連中を不審に思いながらも我先にと進行を続ける。青白い光も、たかだか魔法によって構築された罠に足止めされるなど愚挙の極みと嘲る余地すら持ち備えて。

 たかだかの、取るに足らない魔法だと。


「主よ、主の権能が一片よ。永劫の刻を主の御座へ届けよ──」

「止せッ!」

振り下ろす権能の名は雷鳴ロッズ・フロム・セイヴァ


 グゴが怒号を上げて翼をはためかせた刹那、世界から音と色が消滅した。



「魔法の発動完了ッ。全軍突撃だ!」

「承知っす!」


 肩で息をするムクロドウジを乗せた駿牙を先頭にし、森から飛び出したるは荒々しき肌の鬼族。

 彼女から血を分たれし混血体のスレイブを乗せた狼牙は、鼻腔にこびりつく肉が焼けた臭いに不快な顔を浮かべる。が、風の如き軽やかな足取りに淀みはない。


「竜種に連なる種族ならば武具だけではなく魔法も軽視する、か……どうやら読みは当たっていたようだな」

「あれだけの小節を抱えた上級魔法だ……邪魔が入らなければ竜種にもある程度は有効なはず。ましてやそこまで強靭な鱗ではないドラゴニュートなら、部隊の混乱は必須だ」


 光に包まれた先から響く飛来する音は、作戦の第一段階が成功したことを意味する福音。

 少数精鋭などと言ってられない程に数で劣る鬼族が勝利するには、序盤の趨勢を握ることが必須。だからこそ先陣を切る部隊へ最大火力を叩き込み、混乱した部隊を風牙一族の速度と鬼族の身体能力で強引に切り開き、大将首を直接刈り取る。

 スレイならば流石に苦笑いする力技の作戦だろうが、スレイブはそれが最善手だと確信して正面を見据えた。

 やがて雷鳴に包まれた視界は晴れ。


「不意打ちとは姑息な……しかし、我が竜腕に傷をつけるとは見事な一撃だ……!」

「ッ……やっぱり生きてるか、お前は」


 なおも上空を飛ぶ一体のドラゴニュートへ目を細める。

 先祖返りを果たした左腕を盾にし、防御で勝る自らが直撃を引き受けることで部隊への被害を抑えたグゴ。自慢の左腕は竜麟が捲れ、火矢で穿たれたかのような穴を見せるも、未だ両翼で姿勢を制御する余地すら見せている。

 当然継戦も可能か。

 光が薄れるに連れ、再度の魔法を警戒して地面に下りたドラゴニュートの姿が散見された。確かに横たわっている敵も多いが、それでも半分は余力を抱えているだろう。

 スレイブは盾に収納されていた剣を引き抜くと、切先を上空に浮かぶ唯一のドラゴニュートへ向ける。


「いつかの決着と行こうか。えぇ、グゴッ!」


 少年の声が届いたのか。

 眼下に視線を向けたグゴも、風牙一族の背に搭乗した人と鬼族の混血体へ血が滴る左腕で指差した。


「フッ、面白い……我は誇り高きドラゴニュートの戦士にして首魁グゲの息子!

 竜腕の異名を持ちし、グゴッ!」


 高らかに告げられる口上は、いつか語った言葉と一字一句変わらない。

 言外に求めているのだ。

 再戦に当たって、自らへ挑むに値する返答を。戦場に掲げるべき敵手の首級に、どれ程の価値があるのかを。


『そうだ。なんだ、ただのスレイブとは……

 私の部下なんだから、もっとマシなものを考えるぞ』


 脳裏に過ったのは、昨日ムクロドウジから提案された名乗り。

 元より命を救われた身。名乗りの根拠とすべき記憶が失われている以上、現在身を寄せている集団のものをベースに吟味するのも、手であることは事実。

 尤も、羞恥の念が皆無かと問われれば、スレイブも首を横に振るが。


「俺は鬼族王国方面部隊大隊長ムクロドウジより血を分たれし戦士にして、その右腕!

 混血体のスレイブだッ!」


 狼牙の背を蹴り、スレイブは空中へと身を投じる。

 応じるグゴもまた、両翼を最大まで広げると歓喜を示すかの如く空気を押し込み、矢と化して加速。


「我が腕を汚す血には、戦士こそが相応しいッ!」

「言ってろよッ、怪我人がよぉッ!」


 地上では今まさに金棒と槍が衝突するという瞬間。

 開戦を告げる甲高い音が、上空より戦場へと木霊した。

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