第26話『静かに動き出す、勢力図』
「父上、ただいま帰還しました」
岩肌を剥き出しにした山岳地帯の一角。山道が土砂崩れによって崩落した影響で通常の手段で到達する術を無くした大穴に、一騎のドラゴニュートが滑空する。
左腕に先祖たる竜種の要素が色濃く反映され、右腕と比べて一回り大きく強靭な竜麟に守られた戦士。グゴ。
扉なき穴倉には夜風が吹き抜け、赤錆の鱗を冷やす。
夜も深まる時分。その上、事前通達もない状況となれば待ち人がいないのも無理はない。
グゴ自身も期待していた訳ではない。それでも、長にして血を授かった親へ帰還を報告したかったがために、声を抑えずに告げた。
「遅かったな」
故に、予想外の声が闇の底から聞こえたことにグゴは身体を揺らす。
声の方角へ視線を向ければ、夜の闇に影が浮かぶ。
「ち、父上……起きていたのですか」
咄嗟に膝をつき、平伏の姿勢を取るグゴ。
動揺を隠せず、声には僅かな震えが混じる。
「戦の準備を整えていたからな。武具の補充も直に終わる」
深く、そして静かな声音は鐘の音が如くグゴの身体に響き渡る。
彼が父と仰ぎ平伏の姿勢を貫くドラゴニュートの首魁こそ、グ族の雄。数多くの武勲を以ってドラゴニュートを山岳地帯の王者へと駆け上らせた立役者。グゲ。
黒の森境界付近に展開していた部隊の敵討ちとして感情的に飛び出してしまったグゴとは異なり、冷静に情勢を見据えて戦の時を見計らっていた男は帰還した息子を見つめる。その瞳に宿る感情を推測することは、夜闇も相まって困難を極めた。
遅れて、首魁の静止を振り切ったにあるまじき戦果に、グゴは冷や汗を流す。
「……」
グゲが何か口を開く様子はない。ただ、無言のまま視線を注ぐ。
報告を待っているのだと息子が理解したのは一秒後か、一分後か。一時間も経過はしていないはず。
「……申し訳ありません。仇を発見しておきながら、首級を上げ損ねました」
「……」
無言の圧力の中、絞り出したのは精一杯の謝意。
受け取ったグゲが口を開く様子はない。
代わりに溜め息を一つ吐き、視線を目敏く動かす。
赤系統の鱗に主だった傷こそない。二つ名にもある自慢の竜腕も無傷。ハルバートも損失することなく持ち帰っている。交戦して時間が経過したのだろうが、息一つ乱れてはいない。
刃を交えた、という彼の言説にあるまじき状態は彼我の戦力差を指し示す。
「……明日の夜明けより、我らドラゴニュートは黒の森へ進軍を開始する。
グゴ、お前には前線の指揮を担ってもらう」
「父上ッ、となると漸く……!」
グゴの声は明るく、そして歓喜に満ちていた。
黒の森の豊富な緑は、ドラゴニュートの主食として申し分ない資源であった。これまでは木々が翼の展開を妨げること、そして元来生息する種族からの抵抗を危惧して積極的な攻勢には出なかった。
それが、遂に解き放たれる。
眼前に垂らされていた餌へ、全力で飛びつくことを許されたのだ。
「あぁ、我らドラゴニュートが……黒の森を掌握する」
グ族の親子が黒の森進軍の意志を確かめ合っていたのと同時刻。
フォルク王国、ハーツノナリス城にて玉座に座する国王ウォーレンス・K=ハーツノナリスに膝を立て、頭を下げる精鋭が二人。
一人は苦々しい表情を浮かべ、一人は好戦的に口角を吊り上げる。
苦々しい表情を浮かべた男は、大柄な体躯に古代遺跡に多くみられる歯車を模した意匠の鎧を身に着け、黒髪をに短く切り揃えていた。
一方、好戦的な表情の男は火国で用いられる和服を胸元辺りまで着崩し、高下駄を着用した傾奇者。真紅の髪を跳ねさせた姿は、王宮の規律からは著しく浮く。
それぞれが得物たる大斧、大弓を眼前に置き、忠義に二心なき姿を表明していた。
「夜分遅くに済まないな。ギルバートにムスペル」
ウォーレンスは二人へ交互に視線を送り、労いの言葉を注ぐ。
彼らは元極組織とも呼ばれる、フォルク王国が誇る最精鋭ギルドを率いる首魁。
報奨金を出しギルド制を奨励している王国にあって莫大な利益をもたらし、大陸中に広まった有名そのものが時として抑止力として作用する。
たとえ国家間の戦争であろうとも一組で充分な、高名極まるギルドの首魁を二人も招いた理由。名を呼ばれた二人も疑問に思っていたそれが、ウォーレンスの口から明かされる。
「黒の森に展開中の
「ッ……!」
鬼族。
その名を聞いた刹那、ギルバートの身体が僅かに強張り一瞬、王宮にいることも忘れて殺気を零れさせた。
単に自らが恥辱に塗れただけの、未熟が成した訳ではない。
国軍にまで被害が及んだこと、そして彼としても他の団員と変わらぬ情を注いでいた少年の命が、彼に動揺を引き起こした。
一方で歯車旅団が失敗した程度の情報しか掴んでいないムスペルは、過去に赴いた時の経験を元に推論を語る。
「黒の森には元々、
「なるほど。早期に手を打つ必要はない、と」
「尤も、俺らにビビッて手を組むってんなら、話は変わるがな」
一国の王へ向けたとは思えぬ口調に、側に控える衛兵は苦虫を噛み締める。が、肝心のウォーレンスは気に病むこともなく、彼の進言を受け入れた。
続け、ギルバートにも所見を促す。
「して、実際に鬼族を垣間見たギルバートはどう考える」
「私は……」
言葉に詰まる。
軽率な判断で兵を、仲間を死地へ運んだ経験が安易な返答を咎めた。
とはいえ、一ギルドを率いる者として王に求められた以上、答えぬ訳にもいかない。元より、鬼族と直に矛を交えたのは歯車旅団と国軍しかいないのだから。
「鬼族は……脅威です。
並大抵の刃を鈍とばかりに受け止める皮膚。技術の介入する余地を無くす金棒を難なく振るう膂力。魔法を用いる様子こそありませんでしたが、魔力もまた潤沢……
もしも勢力を広めるつもりならば、早急に対処すべきかと」
経験に基づいた認識に、王はそうかそうかと何度か頷く。
黒の森はフォルク王国から見て、良質な木材や名産のフォルミナアップルと豊富な資源に溢れている。魔力溢れる土地故に魔物も多く生息しているが、遭遇の危険が少ない西側付近を中心として産業が成り立つ程。
他国との間で不可侵領域となっているのも、一重に魔物が多く生息するためであり、もしも掃討できるのであらば森林地帯の全てが莫大な利益をもたらすのは想像に難くない。
その資源を狙ったのか。
報告に上がった鬼族は十人程度だが、先遣隊だとすれば更なる増援が後詰めで控えているのは明白。そして受け入れるための拠点は存在している。
「……」
熟考を重ねるウォーレンスは口元で呟くばかりで、誰かへ向けた言葉は残さない。
その間、首魁二人は身動ぎ一つなく平伏の姿勢を貫く。
精々ムスペルが何度か横のギルバートへ視線を送る程度で、何か意味のある言葉を吐くこともなく、互いに無言のまま時間の経過を待っていた。
どれ程の時が経っただろうか。
漸く口を開いたウォーレンスは、一つの決定を下した。
「よし、歯車旅団並びに火線戦団へクエストを発注する。
第三次黒の森開発計画へ向けた先遣隊を国軍と共に組織し、調査を妨げる魔物を掃討せよ」
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